最終話 平和を脅かす存在
雲一つ浮かんでいない日の夕方、単端市の河川で氾濫が起きた。しかし天候は豪雨や台風ではなく快晴。災害が起きる要素は何一つない一日だった。
「魔力はあの川からだよ」
「堤防が決壊してるじゃねえか!ヤバイぞ!」
そんな河川を高い建物の上から見物している光太とナインは、この現象について何らかの心当たりがあるようだった。
「間違いない。あの河川の中に魔獣がいる!」
魔獣。それは世界に害を成す存在。本来はアノレカディアに出現する存在であり、ナイン達魔族やそちらに生息する魔物とは全く異なる性質の、生物かどうかも怪しい存在である。
ナインの角には魔力を探知する機能が備わっており、彼女は魔獣の放つ魔力を感じるとこうして現場に駆けつけては対処に当たるのだ。
「アンを倒したところで魔獣の発生は収まらないか…まずは水を止めよう。光太はこれを使って」
「あぁ!」
2人は杖を持つ。そして決壊した堤防の方へ杖を振り下ろし、魔法を発動した。
「スポンジ・ワンド!」
すると、堤防の決壊していた部分を埋めるように巨大なスポンジが出現。スポンジが限界まで水を吸うと、ナインは再び杖を振ってスポンジを召喚。それを繰り返していき、決壊した箇所はスポンジで埋め尽くされた。
「フロスト・ワンド!」
それを見た光太が杖を振った瞬間、スポンジとその周囲を流れていた水が凍り付いた。
「堤防の修理は戦いが終わってからだ!まずは魔獣を倒そう!」
ナインは光太を抱えて建物から飛び降りる。二人は線路の敷かれた鉄橋に移り、濁りきった河川を睨んだ。インフレが死んでいる今、ここに立っていても電車に跳ねられる心配はない。
「魔獣はどこだ…」
「まだ河川の中で魔力が動き回ってる。魚みたいな姿をしてるんじゃないかな」
水のせいで魔力が分散してしまい正確な位置が掴めない。すると光太が閃いた。
「水中から俺があいつを操って跳ねさせる。そこに強烈な一撃を叩き込め」
光太はこの世界で産まれた何の変哲もない少年である。そんな彼は魔獣を操る能力があるのだ。
「そんなの危ないよ!」
「行ってくる!」
鉄柵を越えて河川を見ても怯むことなく、光太は鼻を摘まんで飛び降りた。
ドボンッ!
(そういえば、あいつと初めて出会ったのも河川だったか。凄く浅かったのに溺れそうになってたんだもんなぁあいつ…)
濁った水中で目を開くのに抵抗はなかった。しかし目を開けたところで、敵の姿は見当たらない。そして何より光太は人間だ。魔獣と違って潜っていられる時間はかなり短いのだ。
(どこだ…)
彼が視認できるのは僅か1mほど。しかし自分以外にもこの水中で何かが蠢いていることを感じていた。
(そこだ!)
身体を右へ捻り、何かがいる位置へ意識を集中。そして彼と魔獣は繋がった。
(名前は濁流魔獣パイグ・ポスタ…)
魔獣と繋がった時、その個体名と能力を知ることができ、そして操る事が出来る。
(打ち上がれ!)
命令と同時に、無意識に人差し指を伸ばした右手を頭上に掲げた。そして光太に操られた魔獣は、水面へ向かっていった。
鉄橋から河川を見つめるナインは異変に気付いた。水面の一ヶ所が黒く濁っていき、そこ以外は水底が見える程透明になっている。そこには陸へ上がろうと泳いでいる光太の姿も見えた。
(濁りが集中している…!)
ドボオオオオン!!!
そして濁りが集中する箇所から飛び出して来たのは、濁った液状の肉体を持つ龍だった。
魚のような姿をイメージしたナインの予想は外れた。
「濁流そのものが魔獣だったのか!」
身体を水上に出した時点で、光太の指示を遂行したことになる。そして今、彼に支配されていない魔獣は水中へ戻り、堤防の破壊活動に戻ろうとしていた。
「逃げるな!」
敵の目的を察知したナインは魔法の杖を2本抜き、それらを同時に発動させた。
「ヘイト・ワンド!ロックオン・ワンド!」
魔法は魔獣ではなく彼女自身に掛けられた。まず、ヘイト・ワンドによって誰が見てもナインは憎い存在になった。そしてロックオン・ワンドの力で魔獣は何が何でも彼女に狙いを定めることになる。
憎き少女に狙いを定めた魔獣は、堤防の破壊という目的をサッパリ忘れた。そして身体から勢いよく水を放射し、殴るように鉄橋へ撃ち込んだ。
「くっ!」
片側からの支えを失った橋は、さらに脚を壊されたことで水面へ近付いた。
液状の魔獣は水面で身体を広げて、近付いて来るナインを待ち構える。
「…あれ?」
下で待ち構えられていたら上へ逃げるのも一つの手。しかし逃げようにも、義肢であるナインの両手は湿って動かなくなっていた。これでは魔法の杖が取り出せない。
「間接に塵が詰まってる!あの液体の身体にどれだけの異物が含まれてるっていうんだ!」
魔獣は巨大な図体を水面から垂直に伸ばし、ナインの立っている場所へ倒れる。絶対絶命のピンチに思えたその時、何かが彼女を連れて飛び去った。
「大丈夫か!」
「サンキュー!助かったよ!」
窮地を救ったのは河川にいたはずの光太だった。飛び込む前には素手だった彼は今、つるはしを握っている。
これはミラクル・ワンドと名付けられた物で、元々はナインが光太の為に造った何の変哲もないつるはしだった。しかしこのワンドはこれまでに幾度となく奇跡を起こし、彼らをピンチから救って来た。
飛行する光太達を狙って、魔獣の身体から巨大な水の玉が勢いよく発射される。しかしミラクル・ワンドが発生させるバリアによってそれは無効化された。
「あいつは液体そのものが魔獣なんだ。河川と一体化して山から伝わる自然のエネルギーを吸収している状態じゃどれだけ攻撃したところですぐに回復するぞ」
「なるほど…つまりあの濁りはただ液状の肉体に巻き込まれただけのゴミってこと?」
「濁流魔獣なんて名前だがその通りだ。河川から引き離して地上で戦えば勝てる」
「一滴でも残したら再生なんてことは?」
「そこは大丈夫だ。あの肉体がバラバラに弾けたとして、水分量が500mlに満たなければそのまま霧散する………どうだ凄いだろ?一瞬繋がっただけでかなりの情報を引き出せたぞ」
二人は壊れた鉄橋の近くへ降り立った。魔獣は相変わらずナインを狙っており、次の攻撃を繰り出そうと準備している。
「だったら超人モードだ!」
「そう言うだろうと思ったぜ!」
魔獣の方を向きながら二人は目合わせする。そして光太がミラクル・ワンドを掲げて、二人は叫んだ。
「「超人モォオオオオオド!」」
辺りの気温がガクッと下がり、魔獣が蔓延る河川が凍る。ナインの身体は蒼く変化しており、彼女から冷気が発せられていた。
これこそ、ミラクル・ワンドによって引き出されるナインの力、超人モード。この蒼い姿は氷の力を持つ超人モード堅氷である。
「河川を凍らせた。これでもうあいつはエネルギーを吸収出来ない!」
河川は水中まで完全に凍っている。しかし液体の肉体であるにも関わらず、魔獣はウネウネと動いていた。
あいつを完全に倒すまで戦いは終わらない。ナインが正面へ走り出すと、魔獣も迎撃しようと、全身から水の弾を連射した。
「よっと!」
ジャンプして靴底に氷のブレードを生成し、ナインは凍った河川を滑って弾を回避。背後から聴こえる氷の砕ける音が、その威力を物語っていた。
「どうだこのハイスピードスケートは!そんな攻撃当たらないよ!」
滑走して魔獣へ接近すると、氷で造った両手で掴むように流動する肉体に触れた。これで攻撃の準備は完了だ。
「堅氷!氷河戦斜槍!」
ドドドドドド!
凍った河川から勢いよく、無数の巨大な槍が伸びる。次々と伸びる槍は魔獣を貫き、その冷気で一瞬の内に液状の肉体を凍らせてしまった。
「光太!ファーストスペルを!」
「ナイン!」
光太が叫ぶ。そして溢れ出る力で氷塊となっていた魔獣を持ち上げた。
光太が叫んだのはナインの名前ではなく、彼のファーストスペルだ。
ファーストスペルとはそれぞれが持つ謂わば潜在能力と呼べる呪文である。当然、人によって唱える言葉も効果も違っており、かつて光太が共に戦った仲間の中には防御に転用出来るオーロラを発生させる者や、エネルギーを発生させ、そこから単語を付け加えて炎や雷に変化させて戦う者がいた。
光太のファーストスペルはナイン。これを唱えることによって、一時的にナインをパワーアップさせる事が可能なのだ。
「ウォリャアアアアアアアアア!」
身体中に力が走る。そしてナインは氷塊を頭上へ投げ飛ばし、その反動で凍っていた河川が一気に割れた。
「トドメを撃つぞ!」
「ナイン・ワンド!」
陸地から戦いを見守っている光太が叫ぶ。
するとナインが巻いていたバッグのチャックが勝手に開き、その中から複数の杖が飛び出した。それらは空中で融合して魔法の杖となり、彼女の目の前で停滞した。
ファーストスペルにワンドという単語を付け加える事で発動するナイン・ワンド。バッグの中にある杖を融合させて、それらの能力を行使可能な1本の魔法の杖にする呪文だ。
魔法の杖と書いたが正確には、エネルギー化した複数の杖を棒状に収束させた魔力の塊だ。
「決めろ!ナイン!」
「セオリャアアアアアア!」
ワンドを握ったナインはそのまま垂直に飛び上がる。そして地上へ戻ろうとしていた魔獣に突撃し、ナイン・ワンドで貫いた!
凍っていた魔獣は魔法によって昇華。肉体が霧散してバラバラになったことにより、その存在を保てずに消滅していった。
その後、二人は魔法の力で壊れた堤防や鉄橋を本来使われていた素材に近い物で修復。街に流れた水も処理して、元通りとは言えないが人が暮らせる環境にはなった。
「…どうせ誰も戻って来ないのに、直す必要ないだろ」
「かもしれないけど、一応僕達の街だからね。住民が少なくても、僕達で大切にしていかないと」
そう語るナインは何故だか少し寂しそうな表情をしていた。