第125話 「少しナーバス」
見上げる空には異世界アノレカディアがある。今の状況を作り出したアン・ドロシエルはあれ以降、一度も姿を現していない。
7人いる魔獣人の内、1人はナインと黒金光太によって捕縛され、もう1人はハンターズという組織のリーダー滝嶺飛鳥に始末された。
「どうしたバリュフ、学校の屋上でボーッとして…良い景色でもないだろ」
「ノートさん…」
ノートさんは隣に来ると、金網のフェンスに背中から寄り掛かって、反対の空を眺めた。
「少しナーバスになってました。世界はこんな状況で、僕は魔獣人に手も足も出なかった」
「あたしが一緒に戦って負けたんだ。ありゃあ相手が強かったんだよ」
「でも、その魔獣人はナインと黒金が倒しました」
「じゃああいつらがもっと強かったんだ」
「僕は…悔しいです。あなたと共に戦うと誓っておきながら負けてばかりだ」
愚痴なんて吐いたところで何の意味もないのは分かっているが、思わず垂らしてしまった。
「そう落ち込むなよ。あ~あ、あたしが落ち込んだ時は先輩が旨い定食屋に連れて行ってくれたんだけど、どこもやってないからなぁ…」
校舎の周りには魔獣の侵攻以降、手を付けられないままの崩壊した街並みが広がっている。定食屋なんてそもそも建物すら残ってないだろう。
「ジゾルゴ」
ファーストスペルを唱えると、僕の手に球体が現れた。さらに単語を付け加えることで、この球体が炎や雷へと変化する。
しかしこれだけでは勝てない。事実、炎の魔獣人にはどの攻撃も通用しなかった。最強技のメガント・ジゾルゴ・アロアでさえも、ノートさんがスーツで作ったゲートを通してでないと火力が出ない。
「気持ちが弱まると技の威力も弱まるぞ。あんまり深く考えすぎるなよっと!飯食ってくる!」
ノートさんはフェンスを飛び越えて、グラウンドへ飛び降りて行った。確かに、俺は無駄に悩んでいるのかもしれない。
気晴らしに弓の練習をすることにした。的は普段テープとして使っているシタカタメレオンの舌で代用するとしよう。
シタカタメレオンとはアノレカディアの魔物で、舌に強力な粘着力を持つカメレオンだ。
舌を5cmずつに切り分けて塔屋の外壁へと貼り付ける。そして離れた場所で弓を構えた。
「すぅ…はぁ…」
僕はエルフだ。エルフの耳は風の流れを聴くことが出来る。
「…フゥッ」
風が静まると同時に手を離す。矢は真っ直ぐと翔んでいき、小さな的に命中した。
矢は全て狙った的に命中する。ここの風は穏やか過ぎる。ノートさんに修行を付けてもらった嵐の谷では立っていることすら困難だった。
「この戦いが終わったら…また修行を頼もうかな」
それからしばらく練習を続けていると、突然風の流れが変わった。
邪悪な存在の気がこの場に流れて来ている。きっと魔獣人だ。
屋上から飛び降りるとちょうど、ナインと黒金も校舎から出て来ていた。
「バリュフ!魔獣の魔力が近付いて来てる!この感じはニックルってやつだ!」
「ニックル…厄介なユニークスキルを持った男か」
ニックルは僕とノートさんが一番最初に戦った魔獣人だ。脱皮というユニークスキルで完全回復と速度アップを行い、僕達は一度負けた。
「まだそいつの魔獣に関しては何もデータがない。それでも強いのは確かだ」
「脱皮しまくった後のあいつ滅茶苦茶速かったよな。ノートがいなかったら俺死んでたし」
「スピード勝負なら超人モードだけど…出来そう?」
「あぁ、今なら問題ない。変身するんだな?」
スピード勝負…僕には肉体強化の魔法がない。こうなると後方からの支援をやることになるな。
校舎の窓からハンターズの隊員が兵器を構えている。サヤカ達も遅れて校舎から現れて、迎撃の準備は万全だ。
「…ニックルが足を止めたぞ」
静かになった風の動きで分かる。ニックルはその場で立ち止まっている。
「どうなってるんだよ」
「分かんないよ」
ボオオオオ…
超人モードという姿に変身したナインの髪が、まるで炎のように靡いている。まるで彼女が人の姿をしている炎のようだ。
「…動き出したぞ!」
「さっきよりも魔力の動きが速い!脱皮するために止まってたんだ!」
もうすぐここに来る!このままだと視界に捉えた瞬間に一撃をもらうことになる!
「ジゾルゴ・ウォルア・タワード!」
呪文を唱えて大地を操り、筒状の壁を造った。屋根がないので頭上ががら空きだが、これでいい。
「分かってるな、2人とも」
「うん、任せたよ光太」
「え?なんの話?」
「超高速の俺の攻撃から身を守ろうと壁を造ったか!しかし屋根がないから跳べば侵入できてしまうぞ!」
なんて声のうるさいやつだ。壁で隔たれてるはずなのに耳元で叫ばれているみたいにうるさい。
「しかし俺は直進する!試練という名の壁を飛び越えるのではなく挑戦するのだ!」
ドガァン!
壁が砕かれた。その直前に黒金が振ったスプリング・ワンドで地面が勢いよく押し上がったことで、俺達は筒状の壁から脱出していた。
「みんな!やっちゃえ!」
ナインが指示すると、校舎にいる隊員が一斉に攻撃を始めた。爆発が何度も起こって壁は崩壊を起こした。中にいるはずのニックルはきっと脱皮で回復するだろう。
ドガァン!ドガァン!ドガァン!ドガァン!ドガァン!
しかし攻撃は止まらない。脱皮することで防御力と引き換えに回復するお前は、やがて脱皮を発動させられずに死ぬ。
「メガント・ジゾルゴ・アロア!」
「烈火!直火炎柱!」
さらに僕の魔法とナインの炎を撃ち込んだ。
「ニックルはまだ生きてる!けどだいぶ弱ってるよ!みんな攻撃を続けるんだ!」
その時だった。地上で続いている爆発の中から、何かがこちらに向かって飛び上がった。
「脱皮とは成長である。そして成長の先には進化が待っている」
あれはニックルか?しかし様子が変だ。腕が大きくなっている!
「ある生物は生きるために泳ぎを忘れて陸を歩き始めた。またある生物は走ることを捨てて翼を手にした。しかし俺の進化に代償はない!試練を乗り越えることで俺は進化する!お前達という試練で俺のユニークスキルが今、進化した!」
「あいつ!腕が翼になっているぞ!」
ユニークスキルが進化しただと!?そんなことがあるのか!?
「バリュフ、光太を頼む!」
僕は黒金を抱えて屋上に飛び込んだ。そして攻撃を構えたが、既に介入できる戦いではなかった。
「お前も転生者なのか!どうしてアンの味方をする!?」
「進化をやめて停滞し続ける人類など生き続ける意味がない!そんな時、アン・ドロシエルが現れて俺を殺した!そして魔獣人に進化させてくれたんだ!」
「少なくとも僕はそう思わないけど!凄くゆっくり進化してるんじゃないかな?」
「ゆっくりだとしても遅すぎる!向上心が感じられない!流されるままの進化とは進化ではなくただの変化なのだ!」
空中戦を繰り広げているナインが火力を上げた。そして脚だけで戦うニックルの翼に火を点けた。
そのまま落ちていくかと思いきや、攻撃を行っていた脚が突然変異を起こす。2本から10本へと増えたことで、まるでイカのような下半身になった。
「な、どうなってるんだ!?」
「俺は空を飛ぶのではなく泳ぐことにしたぞ!そして喰らえ!」
翼はいつの間にか腕の形へ戻っている。渾身のパンチを喰らったナインは後方のフェンスに激突した。
「空泳ぐって意味分かんない…!」
ナインはフェンスを溶かしてその場に滞空する。まだ戦うつもりらしい。そして彼女に気を取られている今がチャンスだった。
「ジゾルゴ・フロズア!」
氷塊を作り出し、ニックルへ向けて発射。あいつのユニークスキルが脱皮でなくなった今、もう回復は出来ない。
これで致命傷を与えることが出来る!
「どれだけ巨大でスピードが出ても所詮は氷塊。簡単に砕けてしまうぞ!」
氷を砕かれ視界が悪くなった刹那、俺は矢を放った。障害のない一直線を翔んでいき、矢は敵の肩に命中した。
「ぐぬぅ!」
いい悲鳴だ。深く刺さったみたいだな。
「ジゾルゴ・フレイア!」
「これ以上は…」
ニックルは空を泳いで逃げ始めた。イカみたいな姿なだけあって速い。炎の魔法は当てられなかった。
「僕が貰うよ!」
しかし、視界の外から飛んで来たナインがジゾルゴ・フレイアと接触。炎のパワーを自らの物に変換した。
「ウオオオオ!」
「は、速い!」
ニックルに追い付いたナインが両腕を掴んだ。10本の足が彼女を払おうと動き出した時にはもう遅く…
ドガアアアアアアアアン!
ナインは炎の力を一気に高めて大爆発を起こした!なんて熱量だ!目の前の鉄柵が熔けている!
丸焦げになったニックル。ナインはさらに、黒焦げの身体を放り投げ、そこから踵落としを繰り出した。
「フンッ!」
ニックルの身体は地面へと叩き付けられる。脱皮を失った今、あいつに回復する術はない。
しかしあれだけ喰らっても生きているとは…魔獣人とは恐ろしいものだ。
「…ナイン!早くトドメを刺せ!」
光太がフェンスを鳴らしてそう急かした。
そうだ!あの男はまだユニークスキルで姿を変えているだけだ!まだ魔獣の力を使っていない!
「…ナイン、どうした!」
「ナイン!」
炎が消えて姿が元に戻っている!まだ超人モードとやらを維持できる程の魔力は残っているはずだ!
「なんか…苦しい…」
黒金にも異変が起こる。言われてみると、さっきより空気が薄くなっている気がする。
炎を失ったナインが落下を始める。落下には耐えられるはずだが、真下にはニックルいる。なるべく近付いて欲しくなかった。
「世話が焼けるねぇ」
そんな時、下の教室からウォルフナイト・リガイチが飛び出して、ナインをキャッチ。そのまま空を蹴ってこちらにやって来た。
黒金は凄い形相で、ウォルフナイトから彼女を取り上げた。
「感じ悪いねぇ…感謝くらいしてくれてもいいんじゃないかな」
「ニックルはどうなった…」
熔けた鉄柵に触れないように、敵が叩き付けられたグラウンドを見下ろす。
しかしそこに、ナインが追い詰めた男の姿はどこにもなかった。