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前編

「アリエラ・アールストン。いや、今日からはアリエラ・ファミルトンか。結婚してしまったのだからな。けれど私が君を愛することはない。わかっていることだとは思うが……。君も、私を愛することは決してしないでくれ」


 結婚式の最中ですら銀の仮面をつけたままだった旦那様であるリヒト様が、屋敷に着いてからもそう言い切った。

 何かわたしが言うよりも早くさっさと離れて自室に籠るのは、この結婚が本当に不本意だからだろう。

 ファミルトン家の執事のセバスチャンが気づかわしげに「奥様、どうかお気を悪くされませぬよう」と平身低頭に詫びてくるけれど、むしろわたしなんかに気を使わないで欲しい。

 わたしは没落聖女なのだから、当たり前なのだ。

 

 本来、このランドネル王国の元第三王子である旦那様とわたしでは、身分が違い過ぎる。

 わたしは辛うじてアールストン伯爵令嬢ではあるものの、突出した能力は何もない。

 アッシュグレイの癖っ毛に榛色の瞳はごく平凡で、醜くはないものの、美しくもないのだ。

  

 先祖は聖女を数多く輩出したアールストン家だが、年々聖女の数は減少。

 それに伴い栄華を極めていたアールストン家は没落していった。

 聖女が出やすいというだけで何の特産もない領地なのだ、アールストン領は。

 初代の頃は一族だけで二桁にのぼる聖女を輩出したアールストン家だが、ここ数代前には一代で一人の聖女が誕生すればよい方。

 ついにわたしの代では一人の聖女も出現しなかったのだ。


 女性に多く聖女としての資質が現れるのだけれど、わたしの代では生まれたのは男性ばかり。

 兄が五人もいるのに姉は無し。

 待望の女の子であったわたしがやっと誕生したけれど、そのわたしも辛うじて初級程度の治癒魔法を使えるだけ。

 聖女の称号を頂けるほどに強くはなく、治せるのは骨折ぐらい。

 男性である兄達ですら、中級治癒魔法やものによってはそれぞれ上級治癒魔法まで扱えるというのに、ありとあらゆる病気を治し、解毒までできる歴代の聖女たるご先祖様に比べると、わたしの治癒能力は何ともお粗末だ。

 そしてそんなわたしに付いたあだ名が『没落聖女』。

 聖女ではないのに聖女と付けられてしまうあたり、皮肉が利いていると思う。


 けれど秀でた容姿も能力も持たないわたしが元とはいえ王子の嫁に選ばれたのは、呪いのせいだ。

 元第三王子リヒト・ファミルトン。

 本日わたしの旦那様となった彼は、十年前、何者かに呪いを受けてしまった。

 王家総出で呪いを解こうとしたものの、いまだにその呪いは解けていない。

 解けずとも、呪いを術者に返してしまうという方法もあるはずなのだが、なぜかそれも出来ない。


 その為、本来は誰もが振り返る美貌の顔は醜く焼けただれ、黄金を集めたような輝く金髪は、この国では嫌われることの多い黒に変色してしまったらしい。

 ……らしい、というのは、わたしがまだリヒト様のお顔を直接見たことが無いからだ。


 十年前はまだわたしは七歳で、デビュタントも済ませていない。

 だから、呪いの前のリヒト王子の姿を見たことが無い。

 残っている絵姿を見る限りでは、噂は真実で、とても美しい男性だったのだと思う。

 十年前十七歳だった頃のリヒト王子の絵姿には、サラサラの金髪に青い瞳の美貌の青年が描かれていたのだから。


 そして現在は、髪の色は噂通りの黒髪なのだけれど、顔は常に銀の仮面で隠されている。

 呪われたお顔はあまりの醜さに見た人が叫んでしまうほどに悍ましいらしく、どんな時でも決して銀の仮面は外さないのだとか。

 唯一覗く口元から顎にかけてのラインはすっと整っていて、令嬢にも引けを取らない白く滑らかな肌をしているのがわかる。銀の仮面の奥の青い瞳は肖像画と同じようだ。

 けれど隠れている部分がどうなっているのかは想像もつかない。


 だからだろう。

 十年もの間呪いは解けることなく、二十七歳になった今でも独身。

 出来る限り人に会わず、優秀なのに公務はすべて裏方を担当し、人前に姿を現すことを極力避けるリヒト様を、父である国王は藁にも縋る想いで没落聖女であるわたしに白羽の矢を立てた。

 

 ――聖女の血を少しでも引いているのだから、もしかしたら、呪いが緩和することもあるのではないか、と。


 あまりにも無謀である。

 なんせわたしは治癒以外に能力が無いのだから。

 解呪なんて無理。

 顔合わせの時に、試しにということで王子の手をお借りして必死に祈ってみたものの、これといって変化はなかった。

 

(あの落胆した表情、辛かったなぁ……)


 出来ないことはわかっていても、それでも多少の期待をしていた国王夫妻は、リヒト様に何の変化もないのを見ると、目に見えて消沈していた。

 当のリヒト様といえば、悲しむでも怒るでもなく、淡々と、「無謀なことはやめましょう、父上」と国王を宥めていた。

 そのまま婚約の話も結婚の話もなかったことになってくれたらよかったのだが、残念ながらそうはならず、わたしはリヒト王子とめでたく夫婦となったわけだ。

 無茶苦茶である。


(とはいえ、持参金も出せないほど没落した我が家には、結婚条件が破格値だったのよね)


 結婚と共にリヒト様は伯爵位を賜ってリヒト・ファミルトン伯爵となった。

 わたしは持参金無しどころか、王命で強制的に結婚させるので、多額の寄付をアールストン家へ約束してもらえたのだ。

 さらにアールストン伯爵領から王都までの通行料を通常の半額にまで値下げしてくれた。

 

 そしてそれでもまだ足りないと思われたのか、三人の弟達は王都の貴族院へ無償で入学できることになった。

 聖女を諦めきれなかった両親はわたしの後にも弟を三人も産んでいるのだが、正直、王都の貴族院へは通えるほどの財産は無かったから、王家のこの申し出は喉から手が出るほど欲しいものだった。

 貴族院を出ているのといないのとでは、将来就ける職業に大きな差があるからだ。


 兄達は働いているのだが、収入は芳しくない。

 皆真面目で堅実なのだが、稼ぐということに向いていない。

 そして結婚した長男のお嫁様、つまりわたしの義姉に当たる人は、生まれつき身体が弱かった。

 当然、治療費がかさむ。

 病ならともかく、生まれつきのものはたかが治癒魔法では治せないからだ。

 これで義姉が性格の悪い人なら見捨てることも出来るのだが、幼少期からずっと人を頼らねば生きられなかった義姉は、本当に穏やかで優しくて控えめな方で、誰も彼女を諦めるという選択肢はなかった。

 王家はこの義姉の治療費までも全額請け負ってくれた。


 もう断るという選択肢は存在しない。

 わたしが呪われたリヒト王子と結婚さえすれば、すべてが解決するのだ。

 

 なのでわたしと王子の間に愛情などというものは最初から存在しないし、望むべくもない。

 改めて愛することはないと言い切られると多少は傷つくが、事情が事情なので仕方が無いとしか言いようがない。


(愛することはなくても、友達ぐらいの距離にはなれたらいいのだけれど)


 せっかく夫婦になったのだ。

 愛し愛されるというほどではなく、呪いも解けなくとも、気楽に何でも話せる家族にはなりたい。


 でも……。

 今日は早めに寝ておきましょう。旦那様が寝室に来るとは思えないし。

 わたしはさっさと寝巻に着替えると、旦那様を待つことなく眠りについた。


◇◇◇◇◇◇


 窓の外から聞こえる小鳥の声で目を覚ます。

 昨日は本当にぐっすりとよく眠れた。

 わたしはゆっくりとベッドの上で伸びをする。

 ベッドの隣にはやはりというか、当然のことながらリヒト様のお姿はない。

 わたしはさっさと着替えて自分で身支度を整えると、部屋の前から使用人が声をかけてきた。


(……男性が来るのは珍しいわね?)


 部屋の外からかけられた声は男性のもので、わたしは首をかしげる。

 そういえば、この屋敷を案内されたとき、女性を見かけなかったような気もする。

 

(リヒト様が女性嫌いだからかしら?)


 醜い顔を見て倒れるのは、高確率で女性だったとか。

 男性はまだ、耐えられるらしい。

 そのせいか、リヒト様は女性とは接したがらない。

 けれどまさかとは思うが、この屋敷に女性の使用人はいないのだろうか。

 身の回りのことは自分でできるので専用の侍女が付いていなくともどうとでもなるから問題ないけれど。

 わたしは急ぎ部屋から出ると、待っていた使用人が驚いた顔をしている。


「お一人で身支度を整えられたのですか?」

「えぇ、そうですけれど」

「っ、来るのが遅くなりまして、申し訳ありません!」


 がばっと使用人が頭を下げる。

 この人は昨日執事のセバスチャンと一緒にいた人だ。

 名前は確かファレドさん。

 その顔は真っ青で、土下座しそうな勢いだ。

 そしてその隣には目隠しをされている女性の使用人が立っている。

 ここまでファレドさんに手を引かれてやってきたらしい。


「あの、大丈夫ですよ? いつもしていることですから。それより、このメイドは何故目隠しを?」

「はい、あの、そのことをお伝えしようと参りました次第です……」


 もにょもにょと言い辛そうにファレドさんは語尾がすぼまる。

 なんだろう?


「実は、この屋敷には基本的に女性の使用人はいません。本日は離れの別邸から彼女を連れてまいりました。ですが、毎日それでは不便であろうと、女性の使用人も普通に勤めることが出来る離れに移るのはどうか、とリヒト様からご提案がございまして……」

「……それはつまり、わたしにこの屋敷から出て行け、ということなのかしら」

「いえ! いいえ! 違うのです、そうではないのです。離れの別邸といっても、すぐ隣です。あぁ、もう、説明が下手で申し訳ありません! 旦那様はアリエラ様のことを心底気遣っておいでなのです。だからこそ、アリエラ様とのご接触を最低限にし、こうして私に言伝を頼んだのです。どうか誤解なきようにお願いします!」


 がばりっ、勢い良く頭を下げる使用人からは、微塵も悪意を感じない。

 執事のセバスチャンと同じく、わたしへの気遣いも感じられる。

 それはつまり、リヒト様がこの屋敷の使用人達の前でわたしを軽んじる発言をしたことが無いという証でもあるだろう。


 使用人は主人の心に沿うものだ。

 リヒト様がわたしを嫌って疎んじているのなら、それ相応の冷遇が待っているはず。

 けれど部屋はわたしが来た時には魔石を使った暖房器具ですでに暖かく整えられていて、ベッドも暖かかった。

 虫なども当然入れられていなかったし、ベッドの脇の水差しも新鮮な水が用意されていた。

 良い香りがする枕の下にはサシェがあった。

 昨日は疲れていたのであまり部屋をよく見ていなかったが、南向きで日当たりが良く、品の良い調度品は当然のように真新しく貴族の女性向で、奥様としてきちんと迎え入れられているのがわかる。

 

(呪いのせい、かしらね?)


 醜い顔を運悪く見て、倒れてしまわないように。

 この女性の使用人が目隠しをしているのも、万が一リヒト様のお顔を見てしまわないようにだろうか。


「うーん、それなら、わたしは大抵のことは一人でできるから問題ないと思うわ」


 リヒト様がわたしを嫌っていないなら、出来れば離れに移るよりもここにいたい。

 そのほうがお会いできる確率も増えるだろうし、段々と、打ち解けて頂けるかもしれないのだから。


「で、ですが、夜会などに出られるときは、お一人で着られるドレスでない場合もあるのではないでしょうか」

「それはそうね。でもその時だけわたしが離れに赴けばよいのではない?」

「確かに……」

「納得して頂けたなら、ファレドさんは彼女を離れに戻してあげて頂けるかしら。わたしは、少しリヒト様とこのことについて直接お話ししてみるわ」

「直接……そうですか、わかりました。失礼させて頂きます」

 

 ファレドさんは目隠しのメイドの手を引いて去っていく。

 その姿を見送って、わたしは昨日教えて頂いたリヒト様の部屋に向かう。

 少し早い時間だけれど、起きていらっしゃるかしら。

 そんなことを思っていたら、丁度リヒト様が部屋から出ていらした。


「リヒト様、少しお話ししたいことがあるのですが」

「っ?! アリエラ、何故君はまだここにいる? 早く離れに移るんだ、いいね?」


 びくりと肩を跳ねさせ、リヒト様は焦った声で言いきる。

 銀の仮面をしっかりと押さえるところを見ると、本当にお顔を見られたくないのだなと思う。


「いえ、わたしは離れに移るつもりはありません」

「なぜだ? あぁ、離縁を心配しているのかい? 私と離縁したら王家から実家への支援が打ち切られてしまうだろうからね。けれどそのことなら心配しないで欲しい。私は君を決して愛することはないが、離縁して君や君の家族を苦しめるつもりは毛頭ないんだ」


 やはりリヒト様はわたしが没落聖女だから離れたいわけではなさそうだ。

 そうすると呪いが思い浮かぶのだけれど、リヒト様のお顔はそれほどに醜いのだろうか。

 

「苦しめるおつもりが無いのでしたら、なぜわたしを離れに移そうとなさるのですか? 考えても見てください。結婚してすぐに別邸に追い出されるなどと、これほどの醜聞はございません。皆こぞって噂するでしょう。没落伯爵家の娘はやはり気に入られることはなく、結婚早々離縁間近に違いないと」

「確かにその可能性はあるが、私は君のことを調べてあるんだ。君にあるのは治癒能力であって、呪いの解呪はできないと。なぜか父上はそれでも強引に話を進めてしまったが、私はこれ以上君に不自由を強いるつもりはない」

「不自由しておりませんが?」

「え?」

 

 リヒト様が青い瞳を見開く。

 何もおかしなことは言っていないのだけれど。


「ですから、わたしは何も不自由していません。ここに来てまだ二日目ですが、お部屋は素敵だし、使用人の皆様もとても丁寧に接して頂いています。リヒト様がそうするようにして下さったのでしょう?」

「それはもちろんだ。私のようなものの妻にさせられる君を虐げるような人間はこの屋敷にはいない!」

「でしたら何も問題ございません。わたしをこのまま本邸にいさせてください」

「いや、だがそれは……」

「自分のことは自分でできますから女性の使用人を本邸に招き入れる必要はありません。どうしても女性の使用人の手が必要なときは、わたしが離れの別邸に赴きます」

「し、しかし、それだと君が私の姿を見る機会が増してしまうではないか」

「当然です。夫婦ですもの。むしろ、見ないほうがおかしいのではないですか? まさか一生、わたしと食事を共にとることもなく、姿を見ることもなく、出かけることもなく、それでいて夫婦として過ごすとおっしゃるのですか」

「それは……」


 わたしに言われて初めて気づいたかのように、リヒト様は口に手を当ててわかりやすく絶句した。

 ずっと姿を見ないでいるなどということは、夫婦として過ごすなら無理だろう。


「ですので、わたしはこちらにこのまま住まわせて頂きます。それから、食事も出来るだけ一緒に取って頂きたいです。仮面をつけたままですから、問題ありませんよね?」

「私は出来るだけ君とは接触したくないんだ」

「あら、先ほどおっしゃったではありませんか。『私はこれ以上君に不自由を強いるつもりはない』と」

「それと食事に何の関係が?」

「わたしは実家では家族みんなで食事をとっていましたの。なのにこれからは毎日一人で食べるとなると、寂しくて体調を崩してしまうかもしれませんわ?」

「……その程度で体調を崩すほどか弱い方には見えないのだが」


 あら、意外と見抜かれている。

 リヒト様とお会いしたのは本当に数えるほどで、こんなに長く会話を交わしたのは初めてじゃないだろうか。

 そう、わたしは一人で何でもできてしまうし、寂しさで体調を崩すことなどないだろう。

 けれどここはもう、それで押し切るつもりだ。

 こちらは不自由をさせないという言質を取っているのだ。

 リヒト様のやさしさに付け込むのは少々気が引けるが、このまま引いてしまっては、それこそ夫婦どころか一生友人にすらしてもらえない。


「まぁ! たしかにわたしは普通のご令嬢よりも頑健に見えるかもしれませんが、慣れない土地で暮らすのですよ? 今は元気でも、そのうちどうなるかわかりませんわ。ご存じの通り、わたしの治癒魔法はささやかですから、倒れても自分で自分を治すことなどできないかもしれません。一緒に食事をとってさえ頂ければ、そんな心配も一切なくなります。そうでしょう?」

「そ、そういうものか……?」


 口をはさむ隙を一切与えず一気に言いきるわたしの勢いに呑まれ、リヒト様はこくりと頷く。

 よし!


「いま、頷いて下さいましたね?」

「え、いや?!」

「さぁ、朝食がまだでございましょう? わたしはもうお腹がペコペコなのです。旦那様もご一緒に食堂へ向かいましょう。さぁ、さぁ!」


 ぐいぐいぐいっ。

 リヒト様が困惑している隙にどんどん話を進める。

 

 ――そうして、わたしは出来る限りリヒト様と一緒に食事をとる権利をもぎ取った。

 友人計画一歩前進である。

 

◇◇◇◇◇◇


「うーん……」


 リヒト様と結婚して早一か月。

 わたしは、本館に隣接してある図書館に入り浸っている。

 読書はもともと好きだが、いまここにいるのは呪いに関する情報を得るためだ。

 わたしは脚立の上に腰かけ、本棚から解呪の本を手に取る。

 なぜに呪術系の本は本棚の一番上に並んでいるのか。

 最初の頃は数冊ずつ手に取って机へもっていって読んでいたが、もう面倒でここ最近はそのまま脚立の上で読みふけっている。


(解呪は、色々方法があるようだけれど、呪いの種類を見極めなければ不可能なようよね?)


 この世界にはありとあらゆる呪いが蔓延っているが、その分、呪いを解く方法も発見されている。

 だから、誰かを故意に呪う場合は、数種類の呪いをかけ合わせたりする。

 一種類では、すぐに解かれてしまうからだ。

 けれどその場合、必要な魔力も準備も多く、おいそれとは成立しない。


(王族であるリヒト様にそう簡単に複合呪術をかけられる機会はそうそうないと思うのだけれど)


 事件当時をよく知らないのだが、リヒト様が呪われたのは王宮での出来事だったとか。

 毎年、ランドネル王国では春先に花祭が開かれる。

 王都が鮮やかな花々で彩られ、歌姫は歌い、踊り子は道に花びらを撒きながら踊る華やかな祭りだ。

 そんな祭りを見に、隣国のシロコトン国からは三人の王女が訪れていたとか。


 当時上の姫は十六歳で、リヒト様の婚約者候補だった。

 けれど事件の影響か、婚約には至らなかった。

 真ん中の姫は十四歳で、こちらは、現在第二王子とご結婚されていて臣下に下っている。

 そして一番末の姫は当時まだ七歳。

 いまはわたしと同じ十七歳だけれど、彼女の噂はあまり良くない。

 王女でありながら人前に出たがらず、公務をおろそかにして引きこもっていらっしゃるのだとか。

 隣国であるにもかかわらず、なぜわたしがそんな話を知っているかといえば、噂好きの貴族令嬢に聞えよがしに嫌味を言われたからだ。


『灰色の髪と榛色の瞳は能無しの印なのかもしれないわねぇ? 魔力無しの引きこもり王女も同じ色だっていうじゃない』


 そんな風にくすくすと嗤われたから、よく覚えている。

 隣国の第三王女はわたしと同じ髪色と瞳の色を持ち、そして魔力無し。

 王族でありながら魔力が上手く扱えなかった彼女に対する世間の目は、聖女の血筋なのに聖女たる資格のないわたしに対するものよりもずっと厳しいのだろう。

 人目のある場所へ出たがらなくなるのは当然のことのように思える。

 幼少の頃から引きこもっていらしたのかどうかはわからない。

 ランドネル王国へいらしたのだから、当時は違っていたのかもしれない。

 十年前の花祭の最終日。

 王女たちが隣国へ帰る日に、リヒト様は呪いに見舞われた。


(……どうして、呪い返しをしないのかしらね)


 図書館に籠り呪いに関する記述を調べていると、やはりその点が引っかかる。

 複合的な呪いであれ、多量の魔力と技術があれば、呪いは解かずとも術者に跳ね返すことが出来るのだ。

 リヒト様の呪いが解けずとも、王宮魔導師達が総出で呪い返しを行えば、呪いは返せるのではないだろうか。

 思いつく一番もっともな理由は返した場合リヒト様の命も危険にさらされる可能性だろう。


 魔術と共に呪いも日々進化している。

 呪いを返されないように、返そうとした場合即座に対象の命を奪うような呪いも存在する。

 けれどそういったものすらも、それを凌ぐ多量の魔力を用意できれば命を奪われる前に返すことが出来るのだ。

 ランドネル王家がその魔力を、魔導師達を、用意できないとは思えない。

 我が国は魔術大国といって差し支えないだろう。


 聖女の称号を得られるほどの癒し手はいまは出ていないが、それ以外の魔導師ならそれこそ掃いて捨てるほどに多い。

 平民でも才能のある者は登用する制度も整っているから、近隣国の中では一番魔術に長けている。

 そんなランドネル王国の王宮魔導師達が総出でも叶わないほどの魔力を一人で持った術者がいたのなら、それはもう呪いなどに頼らずとも、一人で国を亡ぼせるだろう。


(うーん、頭が痛くなってきたわ)


 わたしはあまり頭を使うことに向いていない。

 そもそも、本を読んで呪いを解くことが出来るのなら、とっくの昔にリヒト様の呪いは解かれているのだ。

 たかが少し治癒魔法が広範囲に使える程度の没落聖女たるわたしに、解呪など最初から無理なのだから。


(でも、出来ることなら、解いて差し上げたいのよね……)


 一緒にご飯を食べる作戦は成功し、最初はほぼ無言だった食事も、毎日共にしていると段々とリヒト様もわたしと会話を続けてくれるようになったのだ。

 たぶん友達ぐらいにはなれた、と思う。

 そして同時に、本当にリヒト様は呪いを気に病んでいらっしゃるのだということも一緒に過ごせば過ごすだけ感じてしまうのだ。

 王命とはいえ、リヒト様にわたしと結婚するメリットは一つもなかった。

 リヒト様が強く拒否していれば、回避できたのではないだろうか。

 けれどそれをしなかったのは、わたしの家の事情を知っていたから。

 

 貧窮した伯爵家。

 身体の弱い義姉。

 まだ幼い弟達。

 そして、聖女の家系に生まれながら没落聖女と蔑まれるわたし。


 リヒト様が縁談を断れば、アールストン伯爵家はさらに貧窮し、幼い弟たちの未来は閉ざされ、わたしは呪われた王子にすら拒絶された令嬢と蔑まれたことだろう。

 

(聖女の血筋は、残念ながら呪いの緩和には何の影響ももたらしていないのよね)


 側にいる時間が増えれば、国王が期待したようにわずかでも呪いが緩和してくれればよかったのだが、リヒト様には相変わらず変化はない。

 漆黒の髪はどこまでも黒く、銀の仮面は一度としてわたしの前で外されることもないから、醜いといわれているお顔を見たことはない。


 わたしは軽くため息をついて、本棚に本を戻そうとして――バランスを崩した。


「えっ?!」


 ぐらりと脚立が揺れ、身体が宙に浮く。

 咄嗟に本棚につかまろうとして、本棚すらもこちら側に倒れてくる!


(え、まってまって、落ちる! 潰される!)

 

「アリエラ!!!!」


 ぎゅっと瞳を咄嗟につぶったわたしにリヒト様の叫びが響く。

 

 派手な倒壊音とバラバラと落ちてゆく本、そして巻き上がる埃。

 床にたたきつけられて本棚に押しつぶされるはずだったわたしは、けれどそうはならずにリヒト様の腕の中に囲われ守られていた。


「アリエラ、無事か?!」


 自分の背中に降り積もる本の山を振り払い、リヒト様はわたしを抱き寄せながら倒れた本棚から助けてくれる。


「は、はい、リヒト様が守って下さった……の……で……」

「アリエラ?」


 床に手をつき身体を起こそうとして、わたしは固まった。

 怪訝そうにリヒト様がわたしを見つめる。


 銀の仮面がはがれ、いつか見た肖像画のような美しい面差しがそこにはあった。

 見えていた口元と同じように、陶器のようななめらかで白い肌。

 すっと通った鼻筋。

 切れ長の青い瞳。

 髪の色こそ黒く染まっているものの、そのお顔は決して醜くなどない。

 むしろ……。


「なんて、綺麗……」 


 ぽつりとつぶやいた瞬間、リヒト様ははっとして自身のお顔に手を当てる。

 

「駄目だ、アリエラ、見てはならない……っ」


 必死にお顔を隠そうとするリヒト様の側で、ピキリと音がした。


「え、なにが……」


 指先だ。

 わたしの指先が、氷のように変化している。

 それは指先だけにとどまらず、どんどん進んでわたしの手が氷と化して小さな花を咲かしていく!


「駄目だ、アリエラ、醜いというんだ! 美しいなどと思ってはいけない、醜いと叫べ!!!」


 リヒト様がお顔を片手で隠しながら叫ぶが、わたしはどうしていいかわからない。


(なぜ手が凍り付いていくの? 氷の花が増えていくわ。ううん、手だけじゃない。足も凍り始めているわ、醜いと言えばいいの? でもそんなことをしたら、リヒト様が傷つくわ。呪いは解けているの? 醜くなどないのに!)


 困惑するわたしの身体はどんどん氷の花に覆われていく。

 リヒト様がわたしをかき抱く。


「頼む、頼むっ、叫んでくれ、醜いと! ふためと見られない顔だと! 頼む、死ぬな……っ!!」

 

 リヒト様は目に涙を浮かべ、必死に叫ぶ。

 もうわたしの身体は半分以上が凍り付き、意識も朦朧としてきた。

 だからわたしは困惑しながらも口にする。 

 わたしが氷に変わったら、リヒト様は醜いといわれるよりもっとずっと苦しむのだと理解したから。


「み、醜いわ……?」

「もっとだ! はっきりと、叫ぶんだ!!!」

「醜いわ! 醜い!!」


 言われるまま、叫ぶ。

 瞬間、凍りかけていたわたしの身体から氷の花がパラパラと剥がれ落ち始めた。

 落ちた花びらは愛しそうにリヒト様に吸い寄せられ散ってゆく。

 

(あぁ……そうなのね……リヒト様の呪いは、本当は……)


 氷は溶け始めたけれど、わたしの意識は遠のいていく。


「アリエラ……すまない……」


 わたしを抱きしめるリヒト様の声を聴きながら、わたしは意識を失った。

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