ミニ番外編 情報元は幼馴染だった
あるよく晴れた日の事だった。
午前中に家事を済ませ、ハノンは子ども達を連れて散歩に出かけた。
義両親から出産祝いにと贈ってもらったベビーカーに生後7ヶ月のポレットを乗せ、ルシアンの手を引いて公園までの道のりをのんびりと歩いていた。
ハノンは息子ルシアンに話しかける。
「ルシー、公園に着いたら何をして遊ぶ?」
「うーんとね、しゅべりだい!」
「ふふ、じゃあすぐに滑り台のある広場の方に行きましょうね」
「うん!」
ルシアンは目をキラキラさせて元気よく返事した。
しかしふいにハノンの足取りが止まる。
「まま?」
ルシアンは不思議そうに母親を見上げた。
――フェリックス……?
公園と王宮に繋がる街の中通りの向こう側の道に、ハノンは夫の姿を見つけた。
そういえば今日は昼過ぎに上がれると言っていた。
ちょうど仕事が終わり、家へ帰る途中なのだろうか。
本当ならすぐに声をかければいいのだが、
なんだかそれが憚られた。
何故なら、フェリックスは一人ではなかったからだ。
夫はとても美しい女性と一緒だった。
おそらく身分は貴族と思われる。
どう見ても同僚や仕事仲間ではなさそうだ。
年は……少し上なのだろうか。
見るからに上質な生地のワンピースドレスを優雅に着こなす、洗練された大人の女性といった感じの人だ。
誰だろう、知り合いだろうか。
やけに親密な空気感が二人の間に流れている。
物理的な距離感ではない、二人の間には常識的な幅がきちんと開いているのだから。
だけどなんだろう、普通の知り合いではない、そんな雰囲気が二人にはあるのだ。
――まさかフェリックスに限って浮気なんて……
は、あり得ない。
ハノンはすぐに自らの脳裏に浮かんだ疑念を否定した。
彼がそんな不誠実な人間ではないと、自分が一番よくわかっているはずた。
でも、相手の人が何を思っているかはハノンにはわからない。
もしかして夫に想いを寄せる者なのだろうか……
自慢じゃないが、夫はかなりモテる。
未だに自宅に一方的な想いを綴った懸想文が届くし、
たまにフェリックスと別れろなどという脅迫めいた手紙もハノン宛に届く。
まぁそれらの手紙は全てフェリックスに対処して貰って、二度と同じ人物から手紙が届く事はないのだが。
それでも新たにフェリックスに懸想する女性は後を断たず、ハノンはもはや気にするのも無駄だと無視していた。
しかしこうやって夫が他の女性と共にいる姿を目の当たりにしてみると、モヤっとするしイラッとするし心配になる。
フェリックスがハノンへ向けてくれる愛情は本物だと信じていても。
フェリックスがハノンを裏切るわけがないとわかっていても。
やっぱり嫌なものは嫌なのだ。
声をかけるべきかどうか……と思いあぐねていると、父親を見つけたルシアンが元気よく大きな声でフェリックスを呼んだ。
「ぱぱーっ!」
「ま、待って…ルシアン……!」
――まだ心の準備がっ……
ハノンは内心、かなり狼狽えた。
一方、一度呼ばれただけですぐに最愛の息子の声だと気付いたフェリックスが通りの向こう側から笑顔で手を振った。
そして相手の女性に何かを話し、二人揃ってハノン達の方へと歩いて来る。
ハノンは少し緊張した面持ちで夫が近付いてくるのを眺めていた。
「ハノン、ルシアンとポレットも。公園に遊びに行くのか?」
フェリックスは優し気な顔でハノン達に声を掛けてきた。
そして父親に会えた嬉しさで思わず飛び付いて来たルシアンを軽々と抱き上げる。
「え、ええ。せっかくのいいお天気ですもの」
ハノンが答えると、フェリックスが隣に並んだ女性の方を見遣り、言った。
「ハノン、こちらは俺の幼馴染の姉君で、アシュリ=ジェンソン子爵夫人だ。俺も子どもの頃はよく遊んで貰ったんだ」
「幼馴染の……お姉さま……子爵夫人」
ハノンが繰り返して呟くと、アシュリと紹介された女性が大いに破顔してハノンの手を握ってきた。
「はじめまして!貴女がフェリックス様の女神ね!本当にお会いしてみたかったの!ようやく念願が叶って嬉しいわっ!」
その言葉が、笑顔が偽りではないと心から信じられる、そんな屈託のない笑みを浮かべる女性だとハノンは思った。
一瞬、懸念した自分が恥ずかしくなるくらいにアシュリの人柄は朗らかで気持ちのよい感じだった。
ハノンは心の中で詫びながらアシュリの手を握り返して挨拶をした。
「はじめましてジェンソン夫人。ハノン=ワイズです。どうぞよろしくお願いします」
「どうかアシュリと呼んで頂戴。なるほど……こんなに素敵な女性なら諦められないわよね。何をしてでも、占いに縋りついてでも見つけ出したいわよね」
アシュリはニヤリと笑いながらフェリックスに言った。
「?」
フェリックスがハノンの居場所を占い師により告げられた事は知っていたが、なぜアシュリがその事を?
不思議に思ったハノンに、フェリックスが説明してくれた。
「俺が占って貰った精霊占術の占い師の事だけど、話を聞いたのは妹のアリアからだったんだが、実はアリアに教えたのはこのアシュリさんだったらしいんだ。俺もさっき聞いて驚いたんだ」
「え?そうなの?」
ハノンが驚いてアシュリの方へ視線を向けると、アシュリは少し肩を竦めながら告げた。
「でも本当は私は弟に頼まれただけなのよ」
その言葉に反応したのはフェリックスであった。
「あいつが?アルトが?」
アルト……誰だろう?と一瞬思ったが、
アシュリは“弟”と言っていたし、フェリックスの幼馴染の事だろうとハノンは察した。
アシュリは話を続けた。
「そうなの。何を思ったのか今まで音信不通だったくせにいきなり、フェリックスが困ってるようだから精霊占術の占い師ダイという男を訪ねるように伝えてくれと連絡して来たのよ。それで丁度その時お茶会の席で会ったアリアに貴方へ教えてあげて欲しいと頼んだの」
フェリックスは顎に手を当てながら言った。
「アイツ、どうして俺が人を探してるって知ってたんだろう?」
「さあ?昔っから地獄耳っていうか千里眼っていうか、そういうところがある子だったからね~」
「アルトは今、どうしてる?」
フェリックスが尋ねると、アシュリは両手を上げて答えた。
「それが、役目のためにアブラス王国へ行ったっきり。帰ってくる気があるのかないのか、さっぱりだわ」
「相変わらず自由な奴だな。突然、精霊魔術師になると言って出て行ったきりか……大陸一の精霊魔術師となったアイツの噂はよく耳にするよ」
「まぁ肩書きだけは立派みたいだけれどね」
ハノンに二人の話はあまりよくわからなかったが、要するにフェリックスと再会出来た恩人姉弟である事は理解出来た。
「とにかく、わたし達夫婦の恩人というわけなのね」
ハノンがそう言うと、フェリックスは少し照れくさそうに、でも嬉しそうに微笑んだ。
「そうだな。二人には心から感謝しているよ。占い師に会いに行くよう言ってくれてありがとう」
フェリックスとハノンは心からの感謝の気持ちを込めてアシュリを見た。
「ふふ。お役に立てたなら良かったわ。アルトにも手紙で伝えておくわね。本当に幸せそうで何よりだわ。今日、偶然道で会えて良かった」
「俺もそう思う。ありがとうアシュリさん」
「どういたしまして!では私、そろそろ行くわね。夫への差し入れに王宮へ向かう途中なの」
そう言って、アシュリは笑顔で手を振りながら颯爽と去って行った。
ハノンはフェリックスの手をそっと握った。
そして正直に白状する。
「ごめんなさい、本当はあなたが知らない女性と一緒にいるのを見て、モヤっとしていたの」
「そうだったのか?俺にはハノンしか見えてないと散々言っているのに?」
「だってなんだか親密そうな雰囲気だったから」
「まぁ子どもの頃からの付き合いだからな」
「ふふ、よかった」
「愛してるのはハノンだけだよ」
「フェリックス……」
思わず見つめ合う二人の間に、ルシアンがひょっこりと顔を挟んだ。
「ねぇこーえんいこうよ。しゅべりだいちたい」
お利口さんに待つのも限界のようだ。
ポレットはベビーカーの中でスヤスヤと眠っている。
「ごめんねルシー、じゃあ公園に行きましょう」
ハノンが言うと、ルシアンは嬉しそうな顔をしつつも、フェリックスの騎士服をきゅっと掴んで言った。
「ぱぱは?ぱぱもいく?」
「ぱぱも行くよ。今日は仕事は終わったからな。ルシー、一緒に滑り台で遊ぼう」
「やったー!」
「良かったわね、ルシー」
「うん!」
そうして親子四人で、公園へと向かって歩き出したのだった。
今回もミニ番外編と称しながらミニでない字数で失礼しました。
今回のお話で出て来たアシュリさんは、
某屋上から愛を叫んだ人と叫ばれた人との愛娘でございました。
幼い頃は母親と一緒にパパウォッチングをしていたあの幼子ですね。
そして作中に出てきたアルト。
明日から投稿を始める新作に登場いたします。
タイトルは
『その時はちゃんと殺してね』
憑依者として育てられ、いずれ自国に災いをもたらす“厄災”をその身に封じて死ななくてはならないヒロインのお話です。
お読み頂けましたら、作者とっても幸せでございます!
どうぞよろしくお願いします。