晦(つごもり)
まひるから衝撃的な話しを聞いて五日過ぎた。
あの時、戸籍を取ってみると約束したものの、平日は学校と塾で時間が取れず、まだ役所に行けないでいた。
蒼海の平日は学校と塾の往復だ。
蒼海の母陽は蒼海を医者にしたいと考えているらしい。病院を経営しているからだろう。その為中学に入った頃から塾に通っていた。
蒼海としては反発したい気持ちもあるが、別の職業を選ぶにしても、勉強することがマイナスになることはないと考えていたので、いまは陽の言う通りにしている。陽は親の敷いたレールの上を蒼海がそのまま進んでくれると思っていたのだろう。だから京都の大学を受けたいと言った蒼海に我慢が出来なかったのかも知れない。京都の大学については未だに折れそうも無かった。
塾は学校からバスで30分ほどの場所にある。バス待ちの時間を入れると、学校を出てから塾が始まるまでの間に役所に行く時間はなかった。
朝の申し送りで、午後の授業が自習になったこと聞いた蒼海は早退して役所に行く事を思いついた。
担任に役所に行きたいので早退したいと伝えると、役所に行く理由を尋ねられた。
蒼海は正直に母に内緒で実の父の戸籍を取りたいと話した。
担任は驚いていたが、先生自身も子どもの頃に親が離婚していて、高校生になった頃、実の父親はどんな人か知りたいと思った事があったので、蒼海の気持ちはよく解ると言った。先生は戸籍を取るまではしなかったが、そうすることで蒼海の気持ちに整理がつくのならと、早退の許可をくれた。
蒼海は役所に来ていた。
ドキドキしながら階段を上り、受付で戸籍を取りたいのですが何処へ行けば取れますかと尋ねた。
受付の人が戸籍を発行する係の場所を教えてくれた。
戸籍のところで、キョロキョロしていると担当の人だろう、蒼海に近づいて来た。
「今日はどのようなご用件で来られたのですか?」とその人は言った。
蒼海は助かったと思いながら「あのー、父の戸籍を取りたいのですが・・・」と役所に来た目的を話した。
「お父さんの戸籍ですね。それではこちらの申請書に記入して下さい」
その人は申請書用紙がある机に行き、一枚の申請用紙を取ってくれた。
「この申請書に必要事項を書いた後、あそこの機械で番号札を取って、呼ばれたら窓口に出して下さい」と窓口の近くにある番号札を取る機械を指さした。
蒼海は『戸籍謄抄本(記録事項証明書)等交付申請書』と書かれた紙に、内容を確認しながら必要事項を書いた。
心の中では大丈夫だろうかとドキドキしていたが、でもこうして役所に来たからには実行あるのみと思い申請書を埋めていった。
書いている途中で、『全部事項(謄本)』『個人事項(抄本)』と言う項目があった。どちらを取ったら良いのか分らなかったので、申請書用紙の机まで案内してくれた人を捜していたら、別の人が声を掛けてきた。
「何かありましたか?」
「すみません、これはどちらを選んだら良いでしょうか」
「どなたの戸籍を取られるのですか?」
「父のです。でも父は母と離婚して、別の方と再婚された後亡くなったと聞きました。僕は父の事が知りたくて戸籍を取りに来ました」
「そうしたら、お父さんの個人事項(抄本)になると思います」
「ありがとうございます」
個人事項(抄本)に一通と書いた。
申請用紙に記入して番号札を取り順番を待つ。
本当に戸籍は取れるのだろうか。蒼海はだんだん不安になってきた。
15分程待っていると、番号を呼ばれたので窓口に行った。
申請書を提出すると、窓口の人が僕を見て尋ねた。
「おいくつですか?」
「15歳です」
「今日は保護者の方は?」
「僕一人で来ました」
「そうですか。学生証ともう一点健康保険証か何かを持っていますか?」と事務的に聞かれた。
蒼海は学生証と健康保険証はいつも持っているので、それを窓口の人に渡した。
窓口の人はそれを確認しながら、「何に使われますか?」と聞いた。
「僕は幼少期に父と別れたので、父の事をほとんど覚えていません。父が亡くなっていたことも最近知りました。母は僕に父の事を教えてくれません。だから父を知るために戸籍を取りたいと思ってきました」
「分りました。少しお待ち下さい」
戸籍を取るのに理由がいるとは思わなかったので蒼海は焦った。父の事が知りたいのは本当の事なので、その思いを込めて言った。
しばらく待つと、個人事項を手に入れることが出来た。
その場ですぐに確認したかったが、塾に遅れそうだったので、貰った戸籍を封筒に入れ鞄にしまうと役所を出た。
授業を聞きながら、蒼海は心配だった。今日取った蒼空の戸籍にまひるの出生事項は書いてあるのだろうか。早く見たい気持ちと、見たくない気持ちの両方があった。もしまひるに取って重大な事実が書かれていたとしたら、それをまひるより先に知ってしまうのも見たくない理由だった。
結局蒼海は塾の帰りにまひるに電話を掛けた。
まひるは僕の電話に少し声を潜めて「部屋に戻って時間割を確認して掛け直す」と変な答えが返ってきた。側に小夜さんがいるのだろう、僕は分ったと言って電話を切った。
しばらくしてまひるから電話が掛ってきた。
今度の土曜日は大丈夫でしょうか?と聞かれた。土曜日の昼は空いていると答えると、土曜日の昼に公園で待ち合わせることにした。まだ内容を見てないので、会った時に一緒に見ようと伝えた。
小夜はまひると居間でテレビを見ていた。
あの弁護士が来てから、しばらくまひるの様子がおかしかった。でも、小夜からはその理由を聞くことが出来なかった。
あさひとまひるは蒼空と小夜の子どもだとずっと言ってきた。二人ともそれを信じて疑わなかったし、小夜自身もいまではそれが当たり前のように感じていた。
それなのに、あの人達は・・・。
思い出しただけでも身震いがした。
結婚するときだって、反対して式にも参列もしなかった人達。
星夜さんが亡くなったときは、私達兄妹が殺したと責めて責めて、お葬式にも出席させて貰えなかった。私を追い出した人達。
いまさら、何の用があるというのだろう。
まひるは蒼空の子どもです!と追い返したときの、弁護士の探るような目。
だから、言ったのに・・・兄さん。
小夜は仏壇に目をやった。
その時、まひるの携帯が鳴ったので驚いた。
まひるは電話を取ると、私の顔をチラッと見て、小声で「部屋に戻って時間割を確認して掛け直す」と言って電話を切った。
まひるに電話が掛ってくることはほとんどない、誰からの電話だろうと小夜は思った。
しばらくして、まひるは二階に上がっていった。
小夜はまひるを目で追いながらまた考えていた。
あの弁護士が来た日からまひるは少し変わってしまった。
「子どもの父親は誰ですか?」の言葉を思い出す。
まひるはそれを聞いていたらしい。
小夜が落ち着いた頃を見計らって、あの人は何故あんなことを言ったの?と聞かれた。
小夜は動揺を隠せずに、兄さんと私の子だと言ったけれど、本当に信用してくれたかは分らない。
しばらく、まひるは小夜と顔を合わせるのを避けているように感じていた。なのに、蒼海君と一緒に帰って来たあの夜から、以前のまひるに戻ったように感じる。蒼海君は何を言ったのだろう。気にはなったが、小夜から確かめる勇気はなかった。
土曜日の昼、蒼海は公園でまひるを待っていた。
今日の目的を考えると落ち着かなかった。
出掛けるとき陽から用事を頼まれそうになったので、友達と図書館で勉強する約束していると言って出て来た。
約束時間の少し前にまひるが現れた。
ジーパンにTシャツ、Tシャツの上に小さめのチョッキ、バッグをななめ掛けにしてキャップ帽をかぶっている。
普通の格好をしているのに、可愛いと思ってしばらく見とれてしまった。
何も言わなかったから、おかしいと思ったのだろう「どうかしたのですか?」と聞かれてしまった。
蒼海はその質問には答えずに、「何処に行く?」と聞いた。
「僕は何処でも良いのですが、出来ればゆっくり話しが出来る所が良いです」
「じゃあ、図書館に行く?」
蒼海は陽に図書館に行くと言って出て来たので、思わずそう口にしていた。
「図書館ですか?」
「ダメかな」
「良いですけど・・・」
まひるは少し渋っている。
「出来れば誰にも邪魔されずに話せるところが良いです」
確かに、図書館では話せないし周りの目もある。
それに、蒼海もまだ見ていない戸籍の内容によっては、まひるは泣いてしまうかもしれない。何処が良いかと考えながらふと周りを見ると、公園の柵の向こうからこっちを見ている衣都と目が合った。衣都はしまったという顔をして頭を引っ込めたが、蒼海はしっかり見ていた。
「衣都」と思わず呟いた。まひるは不思議な顔で蒼海の視線の先を見た。
「衣都、見えてるよ」と蒼海は声をかけた。
その言葉に衣都が悪戯がバレた子どもみたいな顔をして立ち上がった。衣都だけと思っていたら、隣から篤も顔を出した。
「篤君まで!どうしたの?もしかして、デート?」と現れた二人にまひるが声をかけた。
それを聞いて慌てたように篤が否定した。
「違う、まひるの家に行こうと思ったら、まひるが出掛けるところだったので、思わず後を付いてきただけだ」
衣都も篤に続けて「私は後をつけたわけではありませんのよ。ただ、お兄様が出掛けたから、私も出掛けただけですわ」と言った。
「それで、一緒にここに現れたと?」
蒼海の顔が少し怒っている。
「違いますわ、たまたま同じ方向に歩いていたら、篤とばったり会ったのですわ」
衣都が涼しい顔をして否定する。
「それより、どうしてお兄様とまひるはこんな所で会っていたのです?」
衣都の視線に蒼海はまひるとは会っていないと言っていたのにどうして?と尋ねられているような気がした。
「この間、偶然まひるちゃんに会って、勉強のことで質問されたから、一緒に勉強しようと誘っただけだよ」
「本当に?」衣都の目が疑っている。
「本当だよ。中学に入って、勉強について行けなくて悩んでいたんだ。期末試験の前に少し勉強を見て貰うつもりだったんだ」
まひるは蒼海の嘘に乗って話しを合わせた。
「そうだったのか。僕はてっきりまひると蒼海さんが付き合っているのかと思って焦ってしまった」
篤がいかにもホッとしたという表情をした。
「付き合ってるって・・・」まひるの顔が赤くなった。
「あら、違いまして?」と衣都は意味深な目でまひるを見る。
「違うよ!僕たちはそんな関係じゃない!」まひるは真っ赤になりながら完全否定をした。
蒼海はそこまで全力で否定しなくてもと思いながら、衣都と篤に聞いた。
「君たちも一緒に図書館に行く?」
「図書館はイヤですわ。せっかく集まったんですもの、何処か遊びに行きたいわ」と衣都。
せっかく集まったって、呼んでないんだけど・・・。
「まひるちゃん、どうする?勉強は明日にして、今日は衣都と篤君と一緒に何処か遊びに行く?」
蒼海は仕方ないと言うように、今日の予定の変更をまひるに求めた。
「蒼海さんが明日勉強を見てくれると言うのなら良いですよ。二人とも明日は邪魔しないで下さいね」
まひるは渋々というように予定の変更に妥協した。
「分ってるよ。明日は僕も用事があるから来ないよ。でも、まひる、勉強教わったら僕にも教えてくれよな。何を隠そう僕も期末は怪しいんだ。特に数学がいいな」と篤が注文をつけた。
「数学かぁ、泣きそうだよ」とまひる。
どうやら、明日は本当に図書館に行かないといけないようだと蒼海は思った。
ところが衣都は違うらしい。
「明日は先日買った新しいゲームをする予定ですの。だから、図書館はパスですわ」とあっさり断ったが、期末は大丈夫なのだろうかと蒼海は心配になった。
まひるはこれなら日曜日に約束すれば良かったと後悔したが、後の祭りだった。
四人は遊園地に行くことにした。
観覧車に乗ったり、ジェットコースターに乗ったりと、まひるは久しぶりに楽しい時間を過ごした。
楽しい時間はあっという間に過ぎるようだ。もっと遊んでいたかったが、蒼海の塾の時間ギリギリまで粘って帰ることにした。
家では小夜がまひるの帰りを待っていた。
普段と違う母の様子に、先日の弁護士がまた来たのかと思って、不安を隠せずに「どうしたの?お母さん」と聞いた。
「お帰りなさいまひる。お婆ちゃんが入院したらしいの。明日病院に様子を見に行くつもりなんだけど、まひるはどうする?」
お婆ちゃんとは、お母さんのお母さんのお母さん。まひるから見たら曾お婆ちゃんになる。隣の県の老人施設に入っていると聞いたことがあった。
弁護士の話で無いことにホッとしたまひるは、明日蒼海と図書館で勉強を教わる約束をしてるから行けないと伝えた。
小夜は少し驚いて「蒼海君と?」と尋ねた。
「うん、今日、篤君と衣都ちゃんと蒼海さんの四人で遊園地に遊びに行ったんだ。それで、今度の期末試験の勉強を見てもらう約束をしてきたんだ」
まひるは少しだけ嘘をついた。
「そうね、もうすぐ試験だったわね」
小夜はまひるの話しを疑わなかった。少し考えてから「そしたら、蒼海君に家に来て貰って、ここで勉強を教わったら?」と言ったのでまひるは驚いた。
「ここで?」
「まひるにあまり外に出て欲しくないの。蒼海君だったら、お母さんも安心だから。お母さんが戻ってくるまで二人で留守番して欲しいの。まひるは家で勉強するのはいや?」
「いやではないけれど、蒼海さんが良いと言ったら、僕は何処で勉強してもいいから・・・」
「じゃあそうしてちょうだい」
小夜の顔が少し明るくなった。
まひるは不思議だった。今までだって一人で留守番をすることは何度もあったのに、今回に限って戻ってくるまで蒼海と二人で留守番をして欲しいなんて、小夜はいったい何を心配しているのだろうと思った。
何となくモヤモヤするけれど、家だったらゆっくりと話しが出来るから、都合が良いかもしれないと思ったので、蒼海と相談してそれでいいと言われたら、明日は家で勉強すると小夜に言った。
蒼海に電話を掛ける。
留守番電話になっていた。
そういえば塾だと言っていた。用件は入れずに夜に掛け直すことにした。
10時過ぎに蒼海から電話が掛ってきた。
塾の帰りらしい。電話の向こうから車の音が聞こえる。
まひるは明日は小夜が出掛けるので、家で留守番をしながら勉強を教えてもらってもいいですかと尋ねた。蒼海は少し驚いたようだった。
電話の途中で、小夜が変わって欲しいと言った。
「お母さんが話しがあるみたい」と蒼海に伝えて、電話を小夜に渡す。
「急に留守番をお願いをしてごめんなさいね。まひるももう中学生になったから、一人で留守番をさせても良いのだけれど、女の子一人で留守番をさせるのはちょっと心配だから蒼海君が居てくれると安心して出掛けられると思って、迷惑を掛けますがお願いしますね」と小夜は言った。
蒼海は今までは男の子だったから、一人で留守番させても特に心配はしていなかったけれど、女の子になって一人で留守番させるのが心配になったのだろう。そう考えると、小夜の気持ちも分るので、「心配しないで下さい。僕で良ければ小夜さんが戻ってくるまで一緒に待っています」と小夜を安心させた。
蒼海の返事を聞いて小夜はホッとした顔で「おねがいします」と誰もいないのに電話を持ったまま頭を下げた。そして、電話をまひるに返した。
「もしもし」とまひるが言うと、
「明日は午前中に行けると思う」と言って蒼海は電話を切った。
翌日、小夜が出掛けて30分もしないうちに蒼海が来た。
「おはよう」
玄関で出迎える。
「おはよう」と言って玄関に入ってきた蒼海の顔を見て、まひるは何故かドキッとした。
誤魔化すように笑いを浮かべたまひるは「おはようございます。今日はよろしくお願いします」と頭を下げた。
蒼海を居間に案内する。
日比野家の居間は和室なので、畳に座ることになる。
座卓に付きながら「小夜さんは?」と蒼海が尋ねた。
「30分程前に出掛けました。隣町の病院なので面会時間に間に合うように出掛けました」
「病院?誰か病気になったの?」
「曾お婆ちゃんが入院したと、施設から連絡があったそうです。それで病院と施設に行かなければ行けなくなって、少し遅くなると言っていました」
「そうなんだ。そういうことなら、今日は塾も休みだから、小夜さんが戻ってくるまで一緒にいるよ」
蒼海は安心させるような目でまひるを見た。真っ直ぐまひるを見つめる目にまたドキッとした。
「あ、ありがとうございます。あ、いまジュースを入れますね」
まひるは顔が赤くなるのを感じて、慌てて台所に行った。
ジュースをコップに入れながら、冷静にならなければと思った。きっとこの間の出来事が思い出されて、蒼海を見てドキッとしたのだろう。蒼海は平気みたいだから、まひるも普通にしていなければと思った。
ジュースの入ったコップを二つ持って戻ってきたまひるに、蒼海から今日のスケジュールが伝えられた。
「今日は試験勉強をした後に戸籍を見ることにしよう。先に見ちゃうと勉強が出来なくなると困るからだけど、それでいい?」
「気にはなるけれど、僕もその方が良いです」
「じゃあ、どの科目からする?」
「数学からお願いします」
蒼海は苦笑いをしながら、家から持ってきた数学の参考書とミニテストの用紙を取り出した。
まず何処が分らないのか、ミニテストで理解できていないところを知ることから始めた。
蒼海の教え方が良いのか、まひるは問題を解きながら、分らなかった問題が分るようになるのが楽しくなっていた。
居間の時計が12時を告げた。
集中していたのだろう、まひるは時報を聞いて驚いた。
「もう、お昼ですね。少し休憩をしませんか」
「そうだね、お昼を食べてから続きをしようか」
「お母さんが、お昼に食べなさいとそうめんを作ってくれています。今持ってきますね」
まひるはテーブルの上を片付けて台所に行った。そして、そうめんとおにぎりの乗ったお盆を持ってきた。
「僕もコンビニでパンを買ってきたけど・・・」と蒼海は鞄から菓子パンを出した。
「これは、おやつにしませんか?」
まひるの提案に「そうだね。じゃあ後で食べよう」とパンをテーブルの上に置いた。
昼食を食べながらまひるが尋ねる。
「蒼海さんは大学は何処に行くかもう決めているのですか?」
「うん、京都の大学に行く予定なんだ」
「京都ですか?」
まひるは意外な顔をした。
「朔さんに頼まれたんだ」
朔に頼まれたと言う言葉にまひるが驚く。
「御門野は覚えてる?」
「僕が死にかけているのを助けてくれた人でしょう」
「そう、彼女は今平安時代に行っているんだ」
「平安時代!」信じられないとまひるがまた驚いた。
蒼海は御門野から聞いた不思議な話をまひるに話した。そして、京都で御門野が平安時代から戻ってくるのを待っていて欲しいと、朔に頼まれたと言った。
「御門野は恩人だからね。朔さんの話しだと御門野が戻ってくるのは三年以上後らしい。だから大学は京都に決めたんだ」
「そうだったんですね」
まひるは自分の為に蒼海が朔の頼みを聞いたことを申し訳ないと思いシュンとなった。
「すみません、僕のせいですよね」
「違うよ、御門野は僕の友達だから、まひるちゃんの事がなくても行くと思うよ」
蒼海は元気のなくなったまひるを安心させるように笑った。
その時、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。
「誰だろう?」
まひるが立ち上がってインターホンの画像を見て固まった。
応対しないことを不思議に思った蒼海がまひるの横に来た。
「どうしたの?」
「あの人、たぶんこの間の弁護士さん」
蒼海は驚いて画面を見た。男の人と女の人が映っていた。
ピンポーン
「どうする無視しようか?」
蒼海がまひるに確認をしていると、今度は玄関をたたく音がした。
「小夜さん、居るんでしょう」
女の人の声が聞こえた。
「僕が出るから、まひるちゃんは黙っていて」
蒼海はインターホンに向かって「どちら様ですか?」と尋ねた。
「小夜さんを出しなさい」女の人は名前は言わずに、イライラした声で言った。
「出掛けております。僕は留守番です」
「居留守使うなんて卑怯だわ」
女の人は怒っているようだ。
蒼海はまひるに出てこないように言って、玄関に向かった。
玄関を開けて外に出る気配がする。
蒼海は玄関を出るとドアを閉めて、弁護士と女の人を見た。
「すみません、ドアを叩かないで下さい」
外に出た蒼海が言っているのが聞こえた。
「蒼空さん!?」女の人は蒼海の顔を見て驚いた様だった。
「蒼空は僕の父ですが、何かご用ですか?」
女の人は一瞬たじろいだが「小夜さんは?」と聞いた。
「叔母は出掛けております。僕は留守番です」
「居留守を使っているのでしょう。私は誤魔化されないわ!」
少し甲高い声で女の人が言う。
「どういうご用件か分りませんが、出掛けておりませんとしかお返事できません」
「まひると言う子はいるんでしょう!」
ますます声が高くなる。横で弁護士が女の人を宥めている。
「彼女も叔母と一緒に出掛けています。用件があるなら伝えますが・・・」
「あなた嘘をつくものじゃないわ。早く出しなさい!」
眉を上げて唇を震わせて、今にもつかみかかりそうな女の人を見て、蒼海は少し低い声で言った。
「あなたは昔と少しも変わっていないのですね」
蒼海の言葉に女の人はなぜか衝撃を受けたようだ。蒼海を戸惑った表情で見てる。そして、少し小さな声で「・・・あなたに会ったことはないわ」と呟いた。
「会いましたよ。13年前僕は3歳でしたけど、病院であなたが父と叔母にとても酷いことを言っていたのを僕は覚えています」
「まさか・・・」
「僕は父の後ろで全部見てました。疑われるのなら、あの時あなたが言ったことをここで再現することも出来ます」
女の人がたじろいだ。それほど蒼海の口調は落ち着いて冷たかった。
なぜか女の人はそれ以上反論が出来ずに、呆然と蒼海を見ていた。
弁護士は女の人を庇うように背中に隠し「では、小夜さんが戻られたらこれを渡して下さい」
一枚の紙を蒼海に渡した。それはまひるの戸籍だった。
「私どもは、この方の父親に疑問をもっております。そのことで小夜さんにお伺いしたいことがあるとお伝えください」
「分りました。戻って来たら渡しておきます。叔母から連絡を入れるように伝えますので連絡先を教えてください」
弁護士は蒼海に名刺を渡した。
その間女の人は、初めの勢いは消えてぼんやりと蒼海の顔を見ていた。
弁護士は動かない女の人を促して帰って行った。
蒼海は車が離れるまで玄関に立っていた。
そして戻ってこないことを確認すると、家の中に入り鍵を掛けた。
「蒼海さん、すごいです!」
まひるが感嘆の声で迎えた。
「小夜さんから連絡すると言ったけれど、大丈夫かな?」
「大丈夫です。それ僕の事が書いてあるのでしょう」
まひるは蒼海の持っている書類に目をやる。
「まひるちゃんの戸籍みたいだね」
「僕の戸籍」
蒼海は居間に戻り、まひるに戸籍を見せた。
父親は『驫木星夜』。そして、養父として『日比野蒼空』となっていた。
「やっぱり、僕のお父さんは違ったんだ」
「まひるちゃん」蒼海は心配してまひるを覗き込んだ。
「僕は大丈夫です。美月さんの記憶があったから、そうじゃないかなと思っていました。これで、お母さんと向き合って話しが出来ます。ありがとうございました」
まひるはなぜかスッキリした顔をしていた。
「それだったらいいけど・・・」
「ホントに大丈夫です。蒼海さんが居てくれて良かったです」
蒼海はまひるが悩んでいるようには見えなかったので、それで良しと思うことにした。ここから先は、蒼海が口を出す問題では無いと思ったからだ。
「じゃあ、勉強の続きをしようか?」
「はい!」
「良い返事だね」
蒼海は思わず笑った。
夕方近くに小夜は帰ってきた。
蒼海は小夜から夕食を食べていくように進められたが、断って帰って行った。
小夜と二人になったまひるは、昼間に弁護士が来た話しを小夜にした。そして、まひるの戸籍と弁護士の名刺を小夜に渡した。
全てを知ってしまったのにまひるが落ち着いているのを小夜は不思議に思った。
まひるは、美月さんの記憶の中で小夜が美月さんのお兄さんと結婚したことを知っていたのでそれほどショックは無かったと言った。
それよりも、弁護士と女の人が来たときの蒼海の対応がすごかったと感激していた。
「あなたは昔と少しも変わっていないのですね」と蒼海が女の人に言ったその一言が、美月の記憶の中の星夜が母親に言っていた言葉とシンクロして驚いた、とまひるは興奮気味に小夜に語った。
小夜は星夜の口癖が「あの人達は少しも変わらない」だったこと思い出した。
小夜は以前から、蒼海の顔は蒼空とよく似てるけれど、性格とか話し方はどこか星夜と似ている感じがしていた。
蒼海と話すと懐かしい気持ちになるのは、蒼空だけでなく星夜にも似ているからだと確信した。蒼海が星夜と似ていると考えれば、美月が兄を慕っていたように、無意識だけどまひるの中にも蒼海を慕う気持ちがあるのかもしれない。だからまひるは蒼海と話すことで心が落ち着くのだろう。今日のように突然の弁護士の訪問も、蒼海が居たことでまひるはそれほどショックを受けなかったのかも知れない、蒼海に留守番を頼んで良かったと小夜は思った。
蒼海は自分の部屋で、今日の出来事を考えていた。
まひるはやはり父の子では無かった。
まひるの戸籍を見た時、心の何処かでホッとしたのを感じた。
それにしても、まひるは想像していたより動揺も驚きも無かった。生まれたときから父という存在が近くに居なかったからだろうか。それとも、美月さんの記憶の中の星夜さんと小夜さんのことを知っていたからだろうか。真意は分らないけれど、事実を知った時のまひるは何故かスッキリしたように見えた。
自分なりに予想はしていたのだろう。戸籍はあくまでも確認の為の手段で、ただ何も話してくれない小夜さんにどう話しをすれば良いのか迷っていたのだろう。そういう意味では、弁護士がまひるの戸籍を持って来たことはいいきっかけになったのだろう。
しかし、弁護士とあの女の人に対して取った自分の態度は良かったのだろうか。あとで小夜さんが何も言われなければ良いのだけれど・・・。
あの女の人の顔を見たとき、父と小夜さんが病院の廊下で頭を下げて謝っている光景が浮かんだ。その時、父と小夜さんの前に立っていたのがあの人だった。父も小夜さんも何もしていないのに、この人は何故こんなに顔を引きつらせて一方的に怒っているのだろう。子供心にとても恐かったのを覚えている。いま思えば身内を突然亡くして感情を何処に持っていけば良いのか分らなかったのだと理解できる。
でも、今日は違う。あの時、あの人は「もう貴方たち兄妹の顔も見たくない、二度と私の前に現れないで!」と言っていたのに。どうして今頃現れて、小夜さんとまひるの生活に口を出してきたのだろう。
大人の事情かも知れないけれど、あの話し方は我慢できなかった。あの人は昔とちっとも変わっていなかった。ただ一方的に自分の感情をぶつけているだけだった。思わず「あなたは昔と少しも変わっていないのですね」と言ってしまったけれど、冷たく言い過ぎたのだろうか。その後あの人の態度が変わった様に見えた。
この事で小夜さんに迷惑が掛らないと良いのだけれど・・・。
蒼海は窓の外を見た。外は暗く月も見えなかった。