とある獣の誕生日
鐘の音が崩れかけた塔の上より鳴り響く。
崩れ落ちた建物。
そこかしこに埋め尽くされた死体の山。
血と肉が飛び散り、捥げた獅子がそこら中に転がっていた。
破壊の雨が既に過ぎ去ったその町には最早生者の気配は残っていなかった。
・・・積み重なった死体の山の一つがもぞもぞと動く。
暫く動いていたそれの中から、小さな手が一つ這い出した。
手は藻掻く様に転がった死体や微かに見える地面に指を突き立てては前に前にと、
少しずつ這い出る。
指先、手首、肘、肩、遂に頭、胴まで這い出る。
転がり出るように死体の山から抜け出したのは、血塗れの幼子だった。
幼子はその身を血で真っ赤に染め上げ、
その様は最早髪も地肌も何色なのか判別もつかない有様。
幼子は自身の置かれた状況の一つも理解できないと言わんばかりにキョロキョロと視界を回す。
暫くすると、ぐぅ、という音が幼子の腹から鳴り出した。
しかし幼子には問題があった。自ら空腹を満たす術すら幼子は知らなかったのだ。
幼子は手癖のままに、手当たり次第に辺りに転がっていたそれを齧っては、
吐瀉物を吐き出して、それをひたすらに繰り返し、
終いに疲れ果ててそのままゴロリと蹲ってしまった。
無論、そんな幼子一人で生き延びる術など在る筈も無く、
幼子はそのままその短い生涯を終える、筈だった。
人の気配が消えた町に、狼の群れが訪れた。
狼達は灰色の毛皮を身に纏い、群れの主たる大狼の下、町を訪れた。
狼達は町を一瞥すると、静かに死骸を貪る。
その様を幼子は確かに眺めていた。
そうして、狼達の真似をして、もう一度、何度も、
転がっているそれに食らいつく。
瞬間、物音に気付いた狼達が幼子に視線を向けた。
幼子は視線を気にする素振りも見せず(見られている事すら理解できてはいなかったが)、
我武者羅に手当たり次第に拾って口に含み、吐き出してをひたすら繰り返し続けた。
そんな有様の幼子を哀れんだか、大狼は暫くすると、その場から離れたかと思えば、
何かを加えて幼子の前に舞い戻った。
大狼は加えていた何かをぺっと、幼子の前に放り投げた。
大狼が加えていたそれは、大きな猿だった。
猿は既に息絶えていたが、その大きさたるや、
この場にある死体の山を全て切り盛りしたところで足りぬほどだった。
幼子は大狼の意図を理解したのかしていないのかはさておき、
放り投げられた猿に齧り付いた。
だが幼子に猿を噛み千切ること等出来る筈も無く、
ただただその皮を噛んでは引き延ばす事しか出来ず。
大狼は座ってその様を眺めていたが、やがて大猿に嚙み付くと、
千切って幼子の前に放り投げた。
幼子は目の前に出されたそれを迷うことなく咥えた。
咀嚼、そして飲み下す。
無心で貪り食らっていた幼子は暫くすると突然蹲って悶え苦しみ始めた。
何度も泣きながら転げ回っていた幼子だが、
漸く落ち着いたかのように転がるのを止めると、大きく泣き出した。
その声はおおよそ人の子が出しているものとは思えない。
しかしそれでいて、声に孕まれていた感情は、悲観的なものではなく、
自分が生まれ落ちたことを喜ぶ産声の様に思えた。
かくして、とある滅びた町にて、一匹の幼子が産声を上げた。
幼子の頭上では、その誕生を祝うかのように、黒い鐘が鳴り続けていた。