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偽りのドラゴンナイト  作者: F
一章:空の彼方へ
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1-7:竜の少女

 ……さて。


 脱走自体はあっけなく終わったものの、そのあとのことを全く考えていないことに気が付いた。


 ――ここから出て……俺は、それからどうすればいいんだ……?


 そんな思考と同時に、ミラが言った。


「トアはこれからどうするの?」

「俺は……」


 少し考えたが、何も見つからなかった。


「……正直何も考えてなかった。行く当てもないし……まぁ、どうにかするさ」

「こんな何もない荒野で?」

「……うぐ」


 その通りだった。ただ当てもなく彷徨っても飢え死にするのがオチだろう。


「……ねぇ。……行く当てがないなら、私と一緒に来てくれないかな?」


 ミラが俺をじっと見て言った。


 冗談かと思ったが、俺を見るまなざしは真剣だった。


 俺は頭を掻いた。


「……さっき言った通り、俺には行く当てがない。……俺が普通じゃないからだ。魔法が使えないからな。たぶん、誰も受け入れてはくれないし、どこに行っても結局は同じなんだよ。……付いて行ったらミラに迷惑をかけることになるかもしれない。だから――」


 だから駄目だと断ろうとした。


 しかしミラは肩を竦めて、軽い感じで言った。


「――それは大丈夫だよ。だって、私を助けてくれたもん」

「……そんな楽観的な」

「……それに、実を言うとね、まだトアの力が必要なの」

「力って……魔力のことか?」

「うん」


 ミラは手を後ろ手に組んで、ゆっくりと歩き始めた。俺もその後ろを遅れて付いて行く。


「……私、まだトアに言ってない秘密があるの」

「言いたくないなら、別に言わなくていいからな」

「恥ずかしいようなことじゃないから」


 そしてミラは、少し溜めて言った。


「トアは、その……『竜人』って知ってる?」

「……聞いたことはある。でも、実際に見たことはない」


 竜人とは、その名の通り竜の血を宿した種族のことだ。


 竜についてはそれほど詳しくは知らないが、竜から取れる素材は魔法の触媒として最上級のものらしい。だから魔法使いとの争いが絶えず、竜たちは住処を追われ、数を減らしているらしい。


 まさかと思ってミラを見た。


「実はね、私がその竜人なんだ」


 声音が低くなった。


「……隠しててごめんね。先に言ってたら、もしかしたら脱走に協力してくれないかもしれないと思って……言えなかった」

「言ってよかったのかよ、そんなこと……」

「いいと思った」


 ミラはまるで俺の口調を真似したように言った。


「……だって、トアだって隠さずに教えてくれたのに、私だけ隠しておくなんてずるいでしょ?

 ……それに、言ったでしょ?まだトアの協力が必要だって。

 ――私の故郷に帰るためには、どうしても竜の力を使う必要がある。そのための魔力が足りないの。協力してもらうためにも話した方がいいって思ったんだよ」

「……なるほど。律儀なやつだ」


 思わず苦笑した。ノープランでミラの手助けをした俺とはずいぶんと違う。きっと根がまじめなのだろう。


 それにしても――。


 俺は改めてミラの全身を見たが、とても竜らしき要素は見当たらなかった。角が出ていたり、羽が生えていたりといった外見的な差異はどこにもない。


 目の前に居るのは至って普通の、一人の女の子だった。


「……それで、協力してくれる?」

「するよ。付いて行っていいってことなら、俺としても助かる」

「ありがと」


 そう言ってミラははにかんだ。


 それが初めて見る彼女の笑顔だった。見惚れるというのはこの瞬間のことを言うだろう。かわいいと思った。一秒足らずの出来事だったのに、それは深い衝撃を持って心に刻まれた。


 そうだ、目の前に居るのは俺とほとんど年の変わらない女の子なのだった。


 まずい。変に意識してしまったせいで顔をまっすぐ見れなくなった。


 そんな俺の心の葛藤を知る由もなく、ミラは近付いてきて言った。


「それじゃ、また魔力貰っていいかな」

「あ、あぁ……」


 また手を握る。意識してはいけないと思えば思うほど、彼女に意識が向いてしまう。


 小さな手。男の俺とは違う、細くて、滑らかな指。柔らかい。


 思えば俺が話したことのある人間は祖母くらいしかおらず、こうして誰かと会話することなんてなかった。不思議だ。奴隷になってからそんな機会が来るなんて。


 目を瞑る。深い呼吸に切り替え、魔力の譲渡に意識を集中させる。


 一度集中し始めてしまえばもう平気だった。意識は完全に魔力だけに向けられている。俺の体内の魔力を、腕という導線を通してミラに送り込んだ。


 さっきよりも長い時間送ってようやく「もういいよ」と制止がかかった。


 ミラは自分の調子を確かめるように手を何度か握っては離すことを繰り返した。


「――よし!」


 ミラは手をぐっと握って言った。そして、俺の方を見た。


「ちょっと危ないかもしれないから、少し離れてて」

「わ、わかった」


 ミラは俺から十歩ほど離れた。俺も念のためさらに二歩下がった。


 ミラはふぅっと息をゆっくり吐き出すと、目を閉じた。自然体で立っている。どこにも余計な力が入っていない感じだ。


 変化はすぐ現れた。


 風が、吹いた。


 彼女を中心として風が巻き上がっている。


 同時に、彼女の全身が淡い青の光に包まれ始めた。光は徐々に強さを増していく。気が付けば光の中の彼女の姿は見えなくなっていた。


 そして、その光はやがて形を変え始める。


 人の形は崩れ、体の大きさは増し、変質していく。背中から三本の何か――翼としっぽが伸びた。四肢も太く変わり、先端は鋭利に尖る。


 そして、それらを支える本体は、滑らかなラインを描くようにして伸びた。頭部もまた刺々しいフォルムへと変容した。


 全ての変質が終わると、光は拡散した。中の彼女が再び姿を現した時、そこに先の年頃の少女の面影はなかった。


 月の光に照らされて、蒼の鱗が煌めいた。


 それはまるで、よく晴れた空の色を思わせる色合いだった。彼女の髪の色にそっくりだ。


 俺は目が離せなかった。その美しさに見惚れていた。


「……これが……本物の竜――」


 威圧感が違う。生身の人間と対峙するのとでは訳が違う。人間の俺ではとても太刀打ちできないような存在。


 竜が俺を見た。


 鋭利な牙が並ぶ口が、ゆっくりと開かれた。


「――やった、うまくいったよ!」


 その凛々しい見た目に似合わない、あどけないしゃべり口調だった。


 目の前で起こった変身も含め、あまりの落差に頭が付いてこない。


「……そ、それはよかった」

「うん、よかったよ。これで帰れる」


 俺は恐る恐るミラに近付いた。傍に立つ。


 元々の背丈は俺よりも頭一つ分は低かったのに、今では体格も背丈もまったく敵わない。真横に並ぶと、彼女の顔を見るためにはかなり見上げなければならなかった。


 ミラは首を傾げた。


「どうかしたの?」

「……なんでもない」

「うそ。そんな風には見えないよ?」

「ほんとだよ。ほんと……」


 ならいいけど、とミラは言った。


「背中に乗って」


 ミラは姿勢を低くした。翼を畳み、体を地面に這わせるような体勢だ。


「落ちても拾えるとは思うけど、そうならないようにしっかり捕まっといてね」


 俺は遥か上空から落下する姿を想像して、思わず顔が引きつった。


 内臓を冷たい風が撫でるような悪寒がする。正直怖いし、嫌だ。


 でも、もう引き返すことは出来ない。


 俺は両頬を叩いて気合を入れると、ミラの足を取っかかりにして背中に上った。


 背中には背筋に添うようにして甲殻が連なっていた。俺は翼の付け根辺りまで上ると、ミラの首に腕をしっかりと回した。


「いけそう?」

「な、なんとか」

「なら、行くよ――」


 ミラはゆっくりと姿勢を起こした。


 俺は背中で斜めに掴まっている状態。


 視界の両端で、畳まれていた翼がふぁさっと広がった。


 そして、羽ばたきが始まった。


 初めはゆっくりと。


 次第にそれはせわしさを増す。


 風が吹き荒れる。


 もう目を開けていられない。


 聞こえるのは翼が空気を押す音だけ。


 その音が一定間隔になった瞬間、ミラは走り出した。


 助走をつけ、その羽ばたきで空気を蹴り、そして――。


 吹き付ける風。


 俺は引き剥がされないように必死に掴まっていた。


 風だけではない。重力が俺を引きずり降ろそうとする。


 たぶんもう空にいる。


 もう下に足場はないのだ。そう思うとより一層恐怖が増して、ますます体が強張る。


 何も見えない。


 純白の世界。


 何も聞こえない。


 風を裂いて、ぐんぐんと空へと昇っていく。


 無限にも思えた時間。それは唐突に終わった。


 風が、止まった。


 音が、消えた。


 俺はゆっくりと目を開けた。


「――あぁ……」


 俺は息を呑んだ。


 俺たちは、雲の上にいた。


 真下には月に照らされた白の絨毯が広がり、下の様子なんて全く見えない。


 周囲には視界を遮る建物も何もない。ほんとうに、何もない。


 天井にはまだ空が続いている。そこには星々が無数に煌めいていた。もしかしたら、手を伸ばせば届くかもしれない。でも、手は離せない。風にさらわれて落ちてしまうから――。


 きれいだった。今までに見たどんな景色も霞んでしまうほどの風景。人間では届きえない領域。俺はその中に居るのだ。


 それはとても怖くて、最高に気持ちよかった。


 気が付けば俺は笑っていた。ミラも笑っていた。たぶん、同じ気持ちだったのだろう。


 きっと今なら空の彼方まで飛んで行ける気がする。


 俺は飽きることなく夜空を眺めていた。





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