1-6:脱走
外は薄暗い。明かりは月明りだけ。ぼんやりと照らされた地面を、記憶を頼りに走る。
この奴隷農場は、四隅に黒い柱が四本立てられている。それが結界だ。
俺たちの右足に付けられた枷がそれに反応し、その柱に囲まれたエリア外に出ることを禁止している。枷を壊せない限りここから脱走することは出来ないのだ。
そして、そんな力を残している人間はいない。だから見張りも見当たらない。そんなものは必要ないのだ。
「――待て」
ふいに何かが聞こえた気がして、俺はミラを引き留めた。
ミラも同様に聞こえたらしく、さっと立ち止まり、姿勢を低くした。暗い周囲を見渡しながら辺りを耳を澄ませた。
「……あっちだね」
「あぁ」
音のする方向は、俺たちが来た方角からさらに左手側にいった先からだ。
記憶が正しければ、あそこには峡谷がそびえ立っているだけだ。そのはずなのに、今はそこに微かな光が灯っている。
誰かがいる――誰が?監督たちの宿舎は別の方角にある。あんな場所に、一体誰が――。
「………………行こう」
俺は迷った末に言った。
聞こえたのはどうやら歓声のようだった。きっと、酒か何かでも飲んでいるのだろう。
誰が、何のために、どれくらいの規模でそこにいるのかは分からないが、幸い距離が離れている。俺たちが見つかることはないと判断した。
「…………うん」
ミラは不安そうに言った。
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それから俺たちは誰にも見つかることなく、四つ柱のうちの一本の根本へ辿り着いた。
まずは走って乱れた呼吸を整えた。
夜の冷たい空気が気持ちよかった。深く吸い込むたび、喉が、肺が透き通るような気がする。
そして人心地ついてから、作業に取り掛かった。
まずは俺の魔力をミラに渡す必要がある。俺の中の魔力は、この過酷な労働環境の中でだいぶ消耗していたが、それでも十分な量を残していた。
「両手を出してくれ」
「ん」
差し出された手をしっかりと握る。本音を言えば、少し緊張していた。大規模な魔力譲渡は祖母にしか経験がないし、ここ数年はやってすらいなかった。
俺は集中するために目を閉じた。
自分の体に巡る魔力。そこに意識を集中する。そして、そこから両腕に、さらにそこに触れているミラの手に意識を向ける。
俺の体は魔力。腕は導線。俺はそこに向かって流れを作るだけ。内なる魔力を少しづつ触れた手に流し込んでいく。
「……あ」
ミラの驚く声が聞こえた。
「……すごい……ほんとに魔力が入ってくる――」
ブランクがあったとはいえ、問題なく譲渡できている。
そのまましばらく魔力を流し込み続けた。
「――ん。そろそろいいかも」
目を開けた。手を離すと、ミラは調子を確かめるように自分の手を何度か握った。
「いけそうか?」
「たぶん」
ミラは屈みこむと、俺の足の枷に触れた。
「一瞬熱いと思うけど、我慢してね」
「あぁ」
何となく痛い瞬間を見るのが嫌で、俺は夜空を見上げた。真っ暗な空に、銀色の月と無数の星々が瞬いている――。
右足にジッと痛みが走った。同時にからん、と金属が落ちる音。
「――っ」
「ごめん、痛かった?」
「いや、平気だ」
痛みは一瞬で、すぐ気にならなくなった。足元を見ると、ついさっきまで俺の足にあった枷が地面に転がっていた。屈みこんでそれを手に取る。切った、というより溶かしたという感じだった。
「炎の魔法か?」
「うん、そう。私の得意分野だから」
続いてミラ自身も自分の枷を壊した。
今度はちゃんと見ていた。
両手を枷に触れ、小言で何やら呟く。指先に炎の種が生まれ、それを器用に操って、枷の表面をすっと撫でると、金属の枷が飴のように溶けた。生まれた隙間から足首を抜けば終わりだ。
「――これで、ここから出られるんだね」
「あぁ――」
俺たちは顔を見合わせた。
俺は農場と外との境界線にゆっくりと足を乗せた。反応なし。思い切ってそのまま歩く。俺は何の抵抗感もなく外に出た。
遅れてミラも付いてきた。
「……なんというか……あっけないね」
「……そうだな」
農場の脱走は、思っていた以上にあっけなく完了してしまった。