3-6:目を開けて
――お願い……間に合って!……お願いだから……!
黒竜は私たちのことを見失ったようだった。追撃はない。
あの時トアに渡された魔力で、私は『空間透過』という魔法を使った。私が両親に教わった秘匿された魔法の一つ。光の因子と風の因子を掛け合わせ、特殊な膜を作り、その作用で姿を隠す魔法だ。
雲海を抜けた先は枯れた渓谷が広がっていた。
そうやって黒竜を撒き、私は瀕死のトアを引きずって、とある建物の中に避難していた。
そこは『虚構の祭壇』と呼ばれる場所だった。この場所も両親から教えられた。だから、他にこの場所を知りえるものはいない。建物自体も、渓谷の陰にひっそりと建てられているため、空から見つかる心配はない。
そして今。
私は横たわるトアを必死に治療しようとしていた。
ひどいケガだった。ローブの上から右腕半ばが抉られ、そこから大量の出血。服はおびただしい血で染まっている。
私は傷を正しく把握するために、焦る気持ちを抑えてローブを脱がせた。傷の位置や具合を確認するのは必要なことだ。闇雲に治癒魔法をかけるより、的確にその損傷個所に使った方が効果は高いからだ。
どうにかしてローブを脱がし終えた私は、それを見て思わず息を詰まらせた。
抉られた箇所の出血がひどい。
しかし、それ以外にも傷がいくつかあった。
――……これは……さっき付けられた傷じゃない?
考えながらも手を動かす。
まず、二の腕付近を固く縛り、血を抑える。
先に塞ぐべきは抉られた箇所。光の因子を行使し、治癒魔法を試みる。
血が少しずつ止まっていく。だが、止まりが遅い。傷が深すぎるのだ。私の中の魔力があっという間に溶けていく。このペースはまずい。足りなくなる。そうと分かっていても、ここを止血しないことには――。
ここを止めたとしても、まだ傷がいくつも残っている。その傷は切り傷ではなかった。まるで内側から裂けたような裂傷。
――内側から……?
私ははっとした。
トアの、魔力操作の力だ。
トアはその力を使い、一瞬のうちに魔力を流し込み、あるいは奪うことで敵を無力化していた。それはつまり、敵が動けなくなるほどの高濃度の魔力が腕に流れたということ。その負荷に耐え切れず、腕が裂けた――。
「――ばか……!」
私は泣き叫んだ。
それは彼に対してではなく、自分への言葉だった。
いつから?
最初から?
彼はずっと、隠していた。村を発つときにはもう限界だったのだと悟る。
どうして隠していたの?――なんて、言うまでもない。私が心配するからだ――。
ばかだ。
本当にばかだ。
どうして気付いてあげられなかったんだろう。
少し考えれば分かったはずなのに。
彼はずっと無理をしてきたのだ。
私を守るために傷付いて。
私のせいで傷付いて。
全部、私のせいなのに、彼は何も言わなかった。
言わなきゃいけない。
ごめんなさいって。
ありがとうって。
だから、目を開けて。
「――お願いだから……目を開けてよ……!」
私の叫びは、祭壇に空しく反響し、消えた。
痛いほどの静寂。
応えるものはない。
一番大きな傷の止血は終わった。
でも、まだ他にも傷は残っている。
なのに、魔力があと少ししかない。
足りない。
血が流れ過ぎた。
血の気を失い、蒼白になったトアを、私は呆然と見下ろした。
もう、どうしようもない。
このまま緩やかに、死へと向かっていく彼を見送ることしか、私にはできない。
考えた。
必死に考えた。
なにか手はないかと。
息を詰めて必死に考える私の手に、
「………………み、ら」
「――ト、ア……」
彼の手が触れた。
目は閉じたまま。かろうじて左手を動かして、私の手に触れた。
私は声にならない声を上げてその手を握った。そして必死に呼びかける。
「――トア!お願い、もう少しだけがんばって……!魔力が回復したら、そしたら、傷を塞げるから……!だから――」
「………………」
聞こえるのは弱々しい喘鳴だけ。
目を覚ましたのが奇跡なくらいに、瀕死の状態。
そんな状態なのに――。
「――っ!?なんで……トア……!?」
彼は魔力を私に送り込み始めた。ゆっくりとしたペースで私の中に魔力が満ちていく。
だめだ。
今魔力を渡したらだめだ。
魔力は生命の源。彼の中に魔力があるからこそ、辛うじて生きている状態。そんな状態で魔力を私に渡したら、本当に死んでしまう。
私は咄嗟に手を振り払おうとした。
しかし、私の手を握るその手は、瀕死にも関わらず強い力で離されんと抵抗した。
そこに、彼の意思を見た気がした。
どうせ死んでしまうなら、せめて魔力を私に渡そう。
そんなことを思っているのだ、彼は。
あの時の――空の上でも、同じだった。彼はいつも自分を犠牲にしようとする。いつもだ。村で襲われた時だってそう。進んで自分から犠牲になって、それが私のためになるって、本気で思ってる。
そんなわけがない。
約束したのに。
ずっと一緒にいるって。
それだけが、私が望んでいることなのに。
「……死ぬのだけはだめだって……あの時そう言ったのはトアなのに……!」
私の声は届かない。たぶんもう聞こえてすらいないのだ。
とうとう彼の手の力が弱まって、力無くぱたんと落ちた。
歯を食いしばれ。
――死なせない。
涙を振り払え。
――絶対に、死なせないから……!
魔力が満ちた。これだけの量があれば、傷を塞ぐのは簡単だろう。だが、塞げたとしても助かるかどうか。すでに血が流れ過ぎた。このままだと止血はできても衰弱死する。
血が足りない。そこだ。そこさえどうにかすれば――。
「――ある。一つだけ」
私は自分の両手を見つめた。
ある。一つだけ、彼を救う手立てが。
ディーグ家に代々伝わる秘伝の魔法。その中で、今に至るまで使われたことがないという古の魔法。魔力に満ちた今なら、使える。
ぶっつけ本番だけど、もうこれしか手はない。
私は彼の左胸――心臓に両手を当てた。
「――トア。もう一度、目を開けて……?」




