閉じられた扉の向こうの幸せ畑
「まいどあり」
王国の暖かい街灯が届かない下水道。臭気と寒気がすきぬけ風と共に通るこの場所で、ハンカチを口に当てているスーツの男と泥色のローブを羽織った者が向かい合い、草と袋いっぱいのパンを等価交換する。
「本当に効き目があるだろうな、この毒草というものは?」
スーツの男は目の前の者を疑わしげに睨む。フードを目深に被っており、顔をうかがえない。
「政敵の前に御自身の近隣で試してご覧になっては? 足がつきやすくなるのでオススメはしねぇがね」
受け取ったパンの袋を泥色のローブの裾にしまい、クックックッと金切り声のような笑い声をあげ、下水道に響く。
「……ちっ、まぁいい。効かなかったらお前を突き出すからな。王国の大罪人、外道の魔法使いめ」
魔法使いは笑うのを止め、泥色のローブを翻してスーツの男に背を向け歩き去る。
「1つ気になる。お前が拐った姫は、本当に材料となったのか?」
下水道の暗闇に消える魔法使いにスーツの男は尋ねた。コツコツという足音が消える。
「本当だ。俺を突き出した時、アイツを材料にした呪薬を貴様にぶっかけるさ」
王国を取り囲む山林、最も暗い色合いの草木の奥に一際巨大な樹がある。紫色をした葉の大樹の根っこには扉があり、魔法使いは蔦を持って扉を開ける。
「おかえりなさい!」
蔦をつたって魔法使いが扉から降りたとき、明るい緑葉の色をした髪の少女が駆け寄ってきた。
「ただいま、今日もホラ、美味しい食べ物がたくさんだ」
魔法使いは裾からパンを取りだし、少女に差し出す。
「お草がパンに変わった! 良かった!」
「お前のおかげだぞ、育て上げた草が、こうしてパンへと変わる」
魔法使いは床に生えた草を見渡す。
「今日はね、あっちにある草が生えたの! あとね、イチゴが実ったから、パンにつけて食べよ!」
少女は楽しみを待つ笑顔で魔法使いの裾を引っ張った。魔法使いは少女に引き寄せられ、身を屈めてイチゴの育ち具合を少女と共に確認した。
少女は姫だ。契約を破った王への腹いせに、魔法使いが王から拐った一人娘だ。
「ざまぁねぇな、王様よ」
大樹のてっぺんに登り、魔法使いは煌めく王国の光を睨んだ。
魔法使いはかつて王国に仕えた薬草師であった。ある日身重な妃のために薬を調合し、おかげで無事に姫が生まれた。
なのに、王国はそれを妃の懸命な思いが姫を産んだと公表した。お前の手助けは僅かな働きだったとして報酬は給料より僅か多いだけ、出世すらなく、醜く不衛生めいた容姿からの蔑みも変わらず続かれた。
自らの境遇に鬱憤を抱いていた魔法使いは、それを機に王国から脱け出した。生まれたばかりの姫を誘拐して。
終われる身となった魔法使いであるが、山林は深く生い茂り、国力の弱さから兵たちも今ではウロウロ森林を歩き回っているだけでしかない。元々忠誠心がなかったのもあろう。
魔法使いは王国の内情を考える。妃は新たな子を生めず夫婦仲は悪くなる一方。今日のように、政治争いは残虐になり、きらびやかな王国の根はガタガタに崩れていく一方だ。
魔法使いは部屋に戻り、ベッドに寝ている少女の頬を皺のある手で撫でる。
少女に草木を育てる能力があると分かり、今日まで魔法使いはその力を利用し続けた。
王国の腐敗を影で悪どい政治家連中と共に進ませ笑いながら、その道具に少女を使う。
滑稽だ皮肉だと嘲笑いながら、魔法使いは少女の寝顔をそっと撫で続ける。
「ん、んん……」
少女がくすぐったそうに、スヤスヤと寝息をあげながら魔法使いの身体にすりよる。
しばらく横になれねぇなと、魔法使いは少女の寝顔を撫で続けた。
王国は直に崩れるだろう。少女の育てた薬草と、それを調合した魔法使いによって。
それによって何かが変わるわけでもない。こうして食い扶持も育てられる。
王国に利用されるよりは有意義だろうと、魔法使いは笑って思いながら少女と暮らし続けるだろう。