第六話
次の朝、宿のオーナーたちに挨拶をして、二人はボンドールへ向かっていた。
「いい人たちだったね。」
「うん。出だしは順調ってところかな。」
そう言いながら、セイスはバイクのスロットルを開けた。相変わらず空はからりと晴れており、温かな風は二人の頬をなでて後ろへ流れていく。爽やかな日差しだった。
セイスとコルトがたわいもない話をしながら、一時間ほど走っていると、今までの砂の世界のような荒涼とした大地から一変して、急に辺り一面が鮮やかな緑の畑になった。
「コルト、すごいよ!これみんな畑なんだ!」
「ほんとだね!街が近いのかな?」
程なくしてボンドールの町の看板が見えてきた。砂にかぶったような木の板に、『Welcome to Bondole 太陽の町へようこそ』
セイスたちは町につくとバイクを降りて、今日の寝床になる宿を探し始めた。
ボンドールは農業の町だった。ラートルのように工業が盛んな訳でもなく、かといって市場が発達しているでもない。広大な町の敷地のほとんどは綿花のプランテーションといった農地で占められているようだった。地平線が見えるくらい綿の畑が延々と続き、その中にぽつんぽつんとその畑を管理する家が建っている。四方を大きな畑に囲まれて、ボンドールという町はその真ん中に人々が集まるようにできた町だった。
歩いていてもセイスと同じような肌の色の人々は見当たらなかった。カフェのような店は繁盛しているように見えたが、そこにもドルスは一人もいないようだった。セイスは不思議に感じた。宿はいくつかあったので、ひとつひとつ値段などを確認して、良さそうな一軒に入った。
「こんにちは。今晩泊めてもらえませんか?」
宿台に座った白い髪の女性が、鋭い目つきでこちらを見た。そうして長いキセルをぷかっと吹かした。彼女はセイスの言葉には全く答えなかった。セイスはもう一度、
「すみません。今日……」
と言いかけると、その女性は、
「看板、見えないのかえ。」
吸っていたそのキセルを物憂げに、くいと入り口の方に動かした。
『White Only』
その表示を見て、セイスは理解できず、狐につままれたような顔で女性に向かい直すと、
「色付きは泊めないよ。さあ、帰った帰った。」
セイスは、はっと先日の宿のオーナーの話を思い出した。ぐっと拳を握り、外へ出た。コルトは後ろをついてくる。
セイスの心は杭で打たれたようだった。
(そうか。これか。あのオーナーが言っていたことは誇張でもなんでもなかった。ここではこれが常識なんだ。こうやって人を区分することが、当たり前になってしまっているんだ。)
セイスはずんずんと足を進め、やがて立ち止まってほうと大きく息を吐いた。ととっと駆け寄ってくるコルトに、
「ごめん。俺はまだ大人になりきれてないな。」
セイスの顔を心配そうに見つめるコルトを見て、彼はなんだかみじめな気持ちになった。同時に、自分の心の弱さでコルトの心をかきみだしたくないと思った。
「次の宿を探そう。」
そう言って、なんでもない風に、また歩き始めた。セイスはそれで精一杯だった。
結局、見つかったのは宿が群れ建つ場所から少しはずれの木賃宿だった。看板には『colored』と書いてあった。
値段はとても安かったが、しかしその値段通りに、部屋は古く、宿の外見も見るからにみすぼらしかった。
「コルト、ごめんよ。俺のせいだな。」
セイスはすっかり疲れて、ばたっとベッドに横になりながら言った。手で自分のおでこを押さえて天井を見た。
「そんなことないよ。気にしないで。」
コルトは笑ってセイスに言った。その言葉が、今のセイスには救いの手のように見えた。
街には至る所に区別の標識があった。宿にも、教会にもあった。セイスが驚いたのは、公園にあるトイレでさえも、この標識が掲げられていたことだった。農場で働くドルスたちと、彼らを労働者として使う者との隔たりは大きく、そのような標識で区分することは、この場所ではなんら不思議のないことのようであった。
二人は夕食を食べる為に宿の近くの食堂に入った。そこには珍しく区別の標識はなかったからだ。
席について料理を注文した。
「この街は、なかなか居づらいね。」
セイスはコルトの方を見て、自嘲気味にふふっと笑った。
出て来た料理を二人で食べていると、やはり周りの目が気になった。セイスの方を見て、皆がひそひそとなにか話しているようだ。セイスはじっと我慢した。
「標識がなくたって一緒じゃないか。」
セイスがぼそっと言った。やりきれなさが胸の内をかけめぐった。だが、それをどうすることもできなかった。
食べ終わる前に耐えきれなくなって店を出た。歩いている途中、セイスは何か考えるように、あまり話さなかった。セイスの胸の中がざわざわと森が叫ぶように風まいているのを、コルトは感じ取っていた。
「おい!お前!」
唐突に後ろから誰かが叫んだので、驚いて二人は振り返った。すると先ほどの食堂にいた若い男たち、三人がセイスの方を向いて立っていた。
「何だよ。」
セイスはその男達を睨み返した。
「お前、ドルスだろう。のうのうと食事なんてしやがって、誰があそこに入っていいなんて言ったんだ?」
中でも一番体が大きく、威圧感のある男が息巻いた。
「あそこにはなんの標識もなかったじゃないか。そこで食事をして何が悪いんだ。だいたいこんな標識で、人間を区別をするなんて気に入らないね。」
「生意気なやろうだな。しかも女なんて連れてやがる。ん?その女、ドルスじゃないな。よく見ると、ほう、なかなかかわいいじゃないか。」
「うるさい!コルトに触れてみろ、ぶっ倒してやる!」
「おいお前ら、まずはこの小僧をやっちまうぞ。」
男は勢いよくセイスに躍りかかって来た。蹴りだした足が腹に当たり、セイスはぐうと息を漏らした。その隙に後の二人がセイスをやたらめったらに殴った。セイスは抵抗したが、さすがに三人に対するには厳しかった。
そうして大柄な男が、道ばたに落ちているパイプを拾って、振り上げた瞬間、ごんとにぶい音がして、急に前にどさっと倒れた。
倒れた男の後ろから、ぬっと三人とは別の男が現れた。体は先ほどの大柄な男も子供に見えてしまうくらいに、肩幅が広くがっちりとしていた。その男の髪と目は、街灯に照らされて、茶色く光っていた。その風貌を見て、残りの二人はその体の大きさに恐れおののいて逃げて行った。
「セイス!」
コルトが高い声を出して駆け寄った。顔には涙があふれていた。
「大丈夫か?」
先ほどの大男がセイスの方を見て言った。
「……あんたは?」
「お前らが絡まれているのを見て、最初はほうっておこうと思ったが、あんまりだったんで助けてやったんだ。暗がりでわからなかったが、よく見たらお前、ドルスか。この街は、俺らには生きにくいぜ」
そう言いながら鼻をぽりぽりとかいている男の肌は、セイスと同じ色をしていた。
「ありがとう。俺一人でもどうにもならなそうだったから、助かったよ。うう………。」
脇腹がきしむように痛かった。セイスはコルトに肩を貸してもらってやっと起きることができた。
「俺たちの地域に病院がある。まあ、なりゆきだ。そこに案内してやる。ここらへんの医者はドルスだと入れてもくれないからな。荷物はあるのか?」
「近くの宿に荷物と、バイクがある。」
「旅の人間なんだな。ふうん。それも持って行ってやるよ。金は高く取るぜ。」
「金取るのか?」
すっとんきょうな声を上げて脇腹を押さえるセイスを見て、大男は、はははと笑った。
「俺はノーマンだ。よろしく。」
ぐっと握手を交わした彼の手はやはり大きかった。あまりの握力の強さにセイスとコルトの手はじんじんした。
「俺はセイス。」
「コルトです。」
さあ行くぞとノーマンは歩き始めた。コルトは不安そうな目をして、セイスの方を向いた。
「大丈夫だよ。あの人は悪い人じゃなさそうだ。」
前を歩く大男の大きな背中は、ほがらかに見えた。二人はノーマンと一緒に、街外れにあるというドルスの地域へ向かった。
「たいしたことない。打撲と創傷じゃわ。軟膏を出してやるから、それ塗って、少し安静にしとったらすぐに治る。」
しわしわの顔で入れ歯がやけに前に突き出したおじいさんの先生は、夜にも関わらず快く診療を承諾してくれた。ノーマンも昔からのなじみのようだった。
「よかった。」コルトはほっと胸をなでおろし、安堵の表情を浮かべた。
「あんた、町のもんにやられたんじゃってな?ここは他の町と違うてまだまだ身分の違いが色濃く残っとるんじゃ。ドルスは町ではあんまり目立たんようにしとかないと、体がなんぼあっても足らんぞ。ようよう気をつけとくんじゃ。」
「確かにそういうものが残っているのはわかります。でも、あまりひどすぎではありませんか?トイレまで区別があるなんて……少し信じられませんでした。」
セイスは納得がいかないと言った顔で先生を見つめた。
「そうか、あんたは旅の人やったな。この町でおこったことを話してやらんとあかんかったな。」
先生の言葉を聞いて、ノーマンが少し思い詰めるように目を伏せた。