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第五話

 道は直線に、地上に生える柱のようにのびていた。ラートルから出ると、とたんにそこは荒涼とした大地が広がっている。そこらにあるのは太陽に照らされてからっからになった砂や石ころと、こんな生育環境の悪い地でもしっかりと生き延びられるもしゃもしゃした短草ばかりであった。道路から見える景色は茶色い世界で、その中に少し緑色が混じる、なんとも均一な風景だった。

 どっどっどっどっとセイスのバイクが威勢良く音を鳴らしながら速度を上げる。

「コルト、ヘルメットをちゃんと首もとで固定しないとだめだよ。暑いけど。」

「あ、ごめん。そっか。」

 コルトは首もとの金具をかちっと止めた。使い込んだ皮のゴーグルに、白いヘルメット、そのヘルメットからコルトの黒髪が、川に浮く糸のようにさっと流れていた。

「後悔してる?」

 セイスは進行方向の道路を見つめながら言った。

「ううん。してないよ。」

「そっか。あ、コルトの足下に水筒を置いといたから、飲んでいいよ。」

「ありがとう。」

 コルトは水筒を手に取って、きゅっとふたを開け、一口飲んだ。そしてセイスに、

「はい。」

 セイスもくっと飲み、また前を向いた。

 このバイクはサイドカーに大きめの荷物も乗せられるようなっていた。そこに二人のギターとサックスを乗せていた。

「行き先も決めない旅なんて、久しぶりだな。」

「私は初めて。なんだかわくわくする。」

「そうだね。ひとりで当てもない旅をしたことはあるけど、誰かと一緒っていうのは初めてだ。」

「そうなんだ。このバイクも年期が入ってるみたい。」

「うん。このバイクは譲りものだけどね。叔父さんの家の倉庫にあったんだよ。それをラートルの整備場でオーバーホールしてもらったんだ。」

「ヘエ。すごいね。じゃあ長い間走ってるんだ。よしよし、えらいね。」

 コルトはバイクをぽんぽんと叩いた。その仕草がなんともかわいらしくて、セイスは、ははっと笑った。

「これからどこに行くの?」

「うーん、まずは向こう街に行こうかな。まだまだ先だから、きっと途中でどこかに泊まることになると思うけど。」

「わかった。私、セイスと会ってから、今までやったことないようなことをいっぱい経験してる。ちょっと不安になるようなこともあるけど、挑戦しないと。」

「大丈夫。何かあったら俺に言えばいいよ。」

「ありがとう。」

 バイクのエンジンが発する規則的な鼓動が、前に進んでいる自分たちに、心地よく聞こえた。

 日中はぎらぎらと照りつけていた太陽が、かげりを見せ始めた夕方、セイスは道路沿いにある宿の駐車場にバイクを停めた。

「今日はここで一泊かな。ここまで来たら、明日には向こうの町には着くよ。だいぶ走ったなァ。」

「お疲れさま。」

 かたんと宿のドアを開けると、中年の小太りな男が座っていた。

「お、客か。一泊4000ペリー、前払いだ。」

 セイスはお金を渡し、部屋の鍵をもらった。ここは小さな宿で、宿泊費も手頃なものだった。部屋に入ると、確かに少しせまかったが、ベッドが二つ並んで、掃除もきちんとしてあり、こぎれいな部屋だった。二人は楽器や荷物を置いて、ふうと息をついてソファに腰掛けた。

 夕食の時間になると、先ほどの小太りの男の奥さんだろうか、はきはきと元気な女性が、準備ができたことを知らせに来た。

「あーおなか減った。すぐ行きます!」

 セイスは返事をして、コルトに、

「夕食は何がでてくるのかな?」

「私もおなか減っちゃった。行こっ。」

 夕食は先ほどの女性が作っただろう、家庭料理だった。トマト、にんじん、たまねぎなどを煮込んだスープやほうれん草とクリームのパスタ、チーズがきつね色にこんがり焼けたグラタンなどが、決して豪華ではないが、テーブルにきれいな彩りでおいしそうに並んでいた。ここでの食事は宿泊者みながダイニングでとるようで、セイスやコルトの他にも、真っ黒に日焼けした自転車で移動している男の人や、少し頭のはげかかった、メガネの男の人、さきほどの小太りのオーナーなどがいた。

「いただきまーす。」

 セイスはいきおいよく食べ始めた。そうしてそのいきおいのあまりにのどにつまらせて、ごほんごほんと咳き込んだ。その食べっぷりを見てオーナーは、

「がははは。そんなに急いで食べんでもいっぱいあるぞ。ほら、おかわりもあるぞ。兄ちゃんは食べっぷりがいいな。」

 セイスは涙目で胸をどんどんと叩きながら水を飲み干し、また食べ始めた。皆は、そんな彼を見て笑い、それがきっかけになって少しなごんだようで、楽しそうに談笑しはじめた。

「いやあ、食べた食べた。ごちそうさまです。」

 セイスは満足そうに手を合わせた。コルトもいつもよりたくさん食べ、ごちそうさまですと一緒に小さく手を合わせた。

「君らは、楽器をもっとったようだが、演奏旅行かい?」

 オーナーが話しかけた。セイスとコルトは目を合わせて、

「まあ、そんなようなものです。」

「じゃあ是非一曲、ここでやってくれんかね。楽器の演奏なんて久しく聞いてないからな。なあベティ。」

 キッチンで洗い物をしている奥さんの方を向いて彼は言った。

「いいですよ。コルトいいよね?」

「うん。」二人は自室に戻って楽器を持って来た。コルトが金色に輝くサックスを取り出した瞬間、オーナーや他の宿泊者は、おおと感嘆の声を上げた。コルトはなんだか恥ずかしかった。

「ワン、ツー、スリー、フォー。」

 合図とともにセイスがギターを弾き始めた。アンプは持ち運びができるような小さめのものだったが、あまり広すぎないこのリビングにはちょうどよい音量だった。白熱灯の明かりを灯したような、温かくて、まろやかなセイスの音色。コード弾きのゆったりとしたイントロは皆の心を惹き付けた。そこでコルトがサックスをにぎり、魂をこめるようにすっと目を閉じてから、フォォーーンとかすれたような憂いのある音を紡ぎだした。それは食事が済んだその後の、リラックスしたムードを壊さない、むしろ音に体をゆだねると、ゆりかごに全身を預けているような、胸をゆっくり通り過ぎる川の流れのような音色だった。

 穏やかで細やかな流れから、だんだんと波を増して大きな川となり、湾曲しながら大地を進んで行く。そして荘厳な滝となってどうどうと流れ込んで聴く者の心を打ち、最後にははるかなる広大な海に流れ込み、波は平たくなって絨毯を敷くように四方に広がる。そんな演奏だった。コルトがサックスを吹き終わり、セイスが感動の余韻のようにギターをデクレッシェンドさせる。ポロンとセイスは終わりの音を弾いた。一息の間があったその後、

「素晴らしい。」

 オーナーは目をきらきらさせて二人に言った。そして立ち上がって拍手をし始めた。他の宿泊客も同じように拍手をした。

 セイスとコルトはあまりの賛辞に少し照れながら、一礼をした。

 演奏が終わった後、皆、テーブルに着いてちょっとしたおつまみを食べていた。他の宿泊客は少し話してから、明日が早いらしく、セイスとコルトにいい演奏だったよと伝えて部屋に戻って行った。テーブルにはセイスとコルト、オーナーが残っていた。

「君たちはこれからどこに向かうんだい?」

 オーナーは手元のウイスキーの氷をころんと鳴らして尋ねた。

「特に決めていません。とりあえずこの向こうの町に行こうと思っています。」

 彼は酔いが回ってきたようで、顔がピンク色にほてっていた。うんうんとうなづいてから、

「そうか。なあ、君はドルスだろう?」

 出し抜けに言われたその言葉を聞いて、セイスが一瞬ぴくっと固くなったのをコルトは感じた。

「そうです。」

「いやあ、すまん。悪気はないんだ。許してくれ。俺はそういうもんには興味はないんだが、向こうの町はね、ボンドールっていう町なんだが、そこは、ドルスにとっては少々厄介な場所だぜ。奴隷制度が消滅したっていったってそれから十年?いや十数年か。まだまだあそこには差別や偏見がうようよとしている。俺はそんな町の空気がいやでこんな辺鄙なところで宿をやっているんだがね。君、セイスって言ったっけ、セイス君、君のその茶色い髪と、茶色い目が、あの町では厄介になるかもしれないぜ。気をつけなくちゃいけねえ。」

 セイスは少し俯いて、

「そうなんですか。わかりました。」

「セイス、大丈夫?」

 コルトは少し思い悩んだようなセイスを見て、心配になった。あの明るいセイスが、こんなつらそうな表情をするのは珍しいことだった。

「大丈夫さ、コルト。ありがとう。」

オーナーは小さくなった氷をぽしゃんと捨てて、新しい丸い氷をグラスに入れた。ウイスキーをとくとくついで、

「お嬢ちゃんは………」

 コルトの方を見て言いかけた。

「コルトはドルスじゃありません。僕はラートルに住んでいましたが、彼女は全く別の生まれです。」

 セイスがはっきりと言った。コルトはその言葉を聞いて、胸がくっと痛んだ。自分とセイスの間に、深くて真っ暗で、底の見えない溝があるような気がした。

「そうか。ドルスではないと思っていたが、ではどうして………いや無粋な質問はやめておこう。すまんねセイス君。変なことを聞いてしまったな。」

「いいんです。気にしないでください。」

「そうだ。せっかくいい演奏を聴かせてもらったんだから、二人に何か作ってあげよう。」

 オーナーはお酒を何本か持って来てグラスを二つ並べた。氷をころころつめて、セイスの方にはテキーラを少々、その後オレンジジュースを二つのグラスに入れた。少し混ぜ合わせてから最後に赤いザクロシロップをつつっと垂らした。

「テキーラサンライズ。」

 オーナーは酔っぱらいながら、うれしそうに言った。

「明日になれば日は昇る。君たちのこれからの旅に、太陽のご加護を!乾杯!」

 オレンジ色の底に、赤い太陽が昇り始めている。起きたばかりの太陽はもやもやと、徐徐に世界を照らしていた。コルトは目をぱちくりさせてオーナーを見た。

「大丈夫。お嬢ちゃんのはノンアルコールだよ。」

 オーナーはにっと笑った。

 セイスが、くっとカクテルを飲むと、甘くてさわやかな味が口いっぱいに広がった。ザクロシロップを見てみると、自家製のもののようだった。

「ありがとうございます。」

 セイスはもう固くなってはいなかった。コルトはほっと安心した。そうして夜は更けて行った。


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