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第四話

コルトの固く閉ざされていた心も、セイスの言葉や、バーに来る人々と接する温かい空気によって、だんだんと開かれていった。彼女は毎晩のようにバーでサックスを演奏し、日を重ねるごとに、その音も生き生きと輝きを増すようだった。そうして、楽しげなステージの後には笑顔を見せることも多くなっていた。

 そしてコルトがこの町に来て三ヶ月ほど経ったある日、このラートルでの穏やかな日常は、終わりを告げようとしていた。

 太陽が照りつける、ある昼間、ぶぉぉおおおおんという音とともに、バーの前へ真っ黒い車が停められた。それはラートルではまず見かけない、ぎらりと黒く光る高級車だった。

 その車からスーツを来た男が二人、のそっと降りて来て、バーの重いドアを開けた。ちょうどマスターがオープン前の準備をしている時だった。

「いらっしゃい。まだオープンしてないから、もうちょっと待っててくれるかね。………ん?君たちは何か用かい?」

 男達は店の中を見渡すようにしてから、写真を一枚取り出し、マスターに見せた。

「ここにこの女の子が来なかったか?」

 マスターはその写真を見てはっとした。真っ白いフリルのついたドレスに、優美な日傘をさした女性。黒い髪に、青い目、それはコルトだった。

「いや、来てないな。」

 男はぐいとマスターを睨み、

「嘘をつくな。ここにいるのはわかっているんだ。」

 その時、ちょうど上階の掃除が終わって、コルトが階段を下りて来た。

 男達と目が合った瞬間、コルトははっと驚いて息を飲み、そうしてゆっくりと視線を伏せた。その一瞬で全てを悟ったようだった。

「さあ、お嬢様。帰りましょう。」

 男はコルトの前に立ってそう言いながら、手を差し出した。しかし、彼女はその手を取らず、今度は姿勢を正してまっすぐ男の方を向いた。

「わかりました。でも、一日だけ待ってください。今日一日だけ。みんなにお別れがしたいの。明日の朝、このお店の前に迎えに来ていただけますか?お願いします。」

 男は仕方ないといったような顔をして、

「では、明日の朝、迎えに来ます。準備をしておいてください。」

 そう言うと二人の男はマスターに礼をして、外に出て行った。バーの扉がばたんとしまった。

 コルトは力なく椅子に座った。そして何か考えこんでいた。マスターが、言葉にするのをためらうように、

「君は………。」

「ごめんなさい。迷惑をかけてしまって。」

「いや、そんなことはいいんだ。君には色々なものをもらったからね。」

「お世話になりすぎてしまいました。私にとって、ここは夢でした。本当に楽しかった。この想いは一生忘れません。夢は夢。いつかは覚めなくちゃいけないんです。それが、今日。今日までこうしていられたことが幸せでした。みなさんにこんなにもよくしてもらって、私は本当に幸せでした。今まで………ありがとうございました。」

 コルトは席を立って、足早に階段を上がり、部屋に入った。マスターは彼女の背中を見つめていた。

 コルトはかばんに自分の荷物をつめ、出発の準備をしていた。表情は暗かった。短い間だったが、このバーでの思い出はたくさんあった。その中に、セイスたちとの写真があった。コルトはふとそれを手に取って眺めた。写真の中でセイスは楽しそうに笑っていて、その横でコルトが恥ずかしそうに俯いている。演奏が終わった時に、お客さんが撮ってくれた一枚だった。写真を眺めながら、胸元に揺れるセイスがくれた青い宝石を、左手でぐっと強く握り、ぎゅっと目をつぶった。のどがつまって、息が苦しかった。

 ばん!

 部屋のドアがいきおいよく開いた。そこにはセイスが息を切らせて立っていた。

「コルト!本当に帰っちゃうのか?」

 セイスは彼女をまっすぐに見つめて聞いた。

「うん。」

 コルトは静かに首を縦に振った。その目は思い詰めた目だった。

「今までありがとう。」

 そう言って、涙がこぼれそうなのを必死に我慢しながら、コルトはにこっと、精一杯の笑顔を作ってセイスに見せた。

「そんな………。どうして。」

 あまりに急な出来事にセイスは動揺して、理解することができないようだった。

「ありがとう。すごく楽しかった。セイスに会えてよかった。夢が、終わっちゃうんだ。シンデレラの時間も、もう終わり。明日の朝、帰るね。とっても、とっても、嬉しかった。」

 コルトはもうセイスの顔を見ることができなかった。セイスの顔を見てしまうと、自分の決心が泡のように溶けてなくなってしまうような気がして。

「じゃあ今までの時間は何だったんだよ。なんで………なんでだよ。そんなに帰らなくちゃならない理由があるのか?今まで楽しかったのは夢なのか?今までのことは、ただの夢のままでいいのかよ?」

 コルトは俯いたまま、

「ごめんなさい………。」

 セイスはそれを聞いて、ぐっと歯をくいしばり、

「くそっ!」

 いきおいよく部屋を飛び出した。彼は外に出て全力で走った。行き先なんて決めてなかった。やりきれない気持ちが胸の中で台風のように渦巻いて、そのいらだちを誰にあてることもできずに、ただ走った。走って、走って、息も絶え絶えになって、止まったら、その途端とめどなく涙が溢れてきた。コルトの顔を思い出して、やっと自分に見せてくれた笑顔を思い出して、胸が締め付けられた。セイスはその場でひざまずいた。地面を力一杯叩いても、ただむなしいだけだった。

「お世話になりました。」

 太陽がきらきらと建物を彩る朝、コルトは店の前でマスターに深々とおじぎをした。

 結局セイスは昨日部屋を出て行ってから、二度と戻って来なかった。その夜、コルトは店のみんなひとりひとりに挨拶をして、お別れを言った。みんなにお別れを言い終わった後、部屋に帰ってベッドに座り、ふとセイスのことを思うと、なんだか急に胸が痛くなった。

 (セイスは、私のことが嫌いになっただろうか。後ろを向いてとぼとぼと歩いているみたい。私はいつもこうやって後悔してしまう。自分がやったことを。本当はちゃんとお別れがしかったのに、結局はあんな風に、彼を怒らせてしまった。私はやっぱりばかだ。人のことを傷つけることしかできない。そしてこうやって自分から飛び出した家に、帰っていくんだ。私はいったいなんなんだろう………。

 セイスは私の吹くサックスを褒めてくれた。私のことをそれでいいんだって言ってくれた。そんなふうに言ってくれる人に出会えたのに。それなのに私は、彼を怒らせてしまった。なんて私はばかなんだろう。セイスに会いたい。会って謝りたい。でも私に、そんな資格があるだろうか。

 家は、嫌い。

 家にいると、私は私じゃなくなる。仮面をつけて踊っている人形のよう。みんな私を見ているようで、私じゃない誰かを見ている。私はみんなが見ている誰かになるように、仮面をつけて、仕草を真似て、そうなるように振る舞っている。そんな私も嫌い。私じゃない私も嫌い。家へは帰りたくない。帰りたくない。)

 後ろにはもう黒い車が止まっていて、男がコルトを待っている。もう一人の男は車の中だった。

 その時、ドッドッドッドッという低い地鳴りのようなエンジン音が急にこちらへ近づいて来た。そしてコルトと男の間にざっと大きなバイクが停止した。エンジンは鼓動のように細かく音を刻んでいる。そのバイクにはサイドカーが着いていて、銀色の古めかしい排気パイプやボディは、つや消しをしたように鈍く光り、よく走り込んでいることが見て取れた。運転手がゴーグルをはずした。

「コルト!」

 セイスだった。

「君を迎えに来た!」

 コルトはセイスの茶色い目を見た。彼の目はまっすぐ彼女を射抜くように真剣だった。

 黒い車の男は、コルトの友人が最後の別れの挨拶に来たのだなと思い、たばこに火をつけ、ほうと白い煙を吐いて、二人が話し終わるのを待っている。バイクの音で、セイスの言葉は彼には聞こえないようだった。

 セイスはコルトの目をじっと見つめて、

「コルト、帰っちゃだめだ!」

「家がいやになって出て来たんだろ?このまま、あの男のいいなりでそのまま帰るなんて、そんなのおかしいじゃないか。コルトがこのまま帰ったら、今までのことは、俺や叔父さんや店の人たちのことは、本当に夢の中のできごとになっちゃうじゃないか。コルト、それでいいの?本当にそれでいいのか?」

「セイス………ごめんなさい。………私、どうしたらいいかわからないの………。」

コルトはうなだれるように下を向き、そう呟いた。

「コルト、短い間だったかもしれないけど、色んなことがあったよね。楽しいこともいっぱいあった。そんな思い出が、このまま帰ったら、ただの思い出、夢の中で起こったことになっちゃうんだよ。家に帰ったら、今のようにサックスが吹ける?今のようにみんなで笑いあって過ごせるの?」

コルトはもう泣き出しそうな顔でぐっとこらえて、

「セイス、楽しかったよ。………すごく楽しかった。ずっとこんな時間が続いたらいいって思ってた。でも………」

 そんな彼女を見て、セイスの胸は痛んだ。自分の言葉が、彼女を勇気づけるどころか、よりいっそう孤独にさせていることに気がついた。

「ごめんよ。コルト。ちょっといじわるだったね。君は悪くない。ごめん。コルト、俺は。」

 セイスはぐっと前を向いて、

「コルトと一緒にいたいんだ。」

 コルトは顔を上げてセイスを見た。

「コルトと一緒に色んな世界を見たい。もっともっと一緒に演奏したい。もっとたくさんの時間を過ごしたい。」

「コルト、一緒に行かないか?」

 セイスの言葉を聞いて、コルトは自分の心がぽっと温かくなるのを感じた。

「セイス………。」

 胸元のラピスラズリを握って、

「私、セイスを怒らせてしまったのに。ごめんね。私、自分がどうするのか選んだことがないんだ。今まで、どんなことがあっても、仕方ないことなんだってあきらめてた。でも……前、噴水の公園でセイスに言われたこと、ずっと考えてたんだ。変わらなくちゃいけないんだよね。自分の人生を選ばなくちゃいけないんだよね。私………セイスと………セイスと一緒にいたい。」

 コルトの目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれていた。だが、その姿勢はまっすぐに、セイスの方を向いて、彼の目をじっと見つめていた。

「コルト、ありがとう。」

 車の前でコルトを待っている男はそろそろ別れの挨拶が終わった頃かと、

「もうそろそろ時間です。行きますよ。」

「乗って!」

 セイスはコルトの手を引き、彼女を側車に乗せた。そしてクラッチを緩めて、スロットルをめいっぱい開いた。ごおおおおおんと轟音が鳴り響き、バイクは右に少し揺らいで、いきおいよく発進した。

「おい!くそっ、逃げる気だ!」

 男は車に乗り込んだ。車の中にいたもう一人がエンジンをかけ、アクセルを踏み込んだところ、左手から、急に目の前にトラックが飛び出して来た。

「うわあ!」

 男はハンドルを右におもいきり切って、ブレーキを踏んだ。ギャギャギャというタイヤがこすれる音と白煙とともに、車は停止した。

「やったやった。叔父さんありがとーう!」

 セイスは後ろを向いて声を張り上げた。店の前にはマスターが立っており、大きく手を振っていた。トラックの運転手はバーの常連客で、セイスが立ち上がって後ろを振り向き、グーサインをすると、にこっと笑って、グーサインを返してくれた。

 実は昨日、セイスは夜遅くにマスターに会いに来て、今日の朝にコルトを迎えに来ることを伝えていた。それを聞いたマスターが気をきかせて、バーの常連客であるトラック運転手に相談し、今回のとおせんぼを計画したのだった。

「セイス、大丈夫だった?追って来ない?」

 コルトは初めての側車に、少しおびえてうずくまっていた。

「ははは。大丈夫さ。叔父さんがなんとかしてくれた。コルト、もう大丈夫だよ。そんなに怖がらなくてもいいよ。」

「うん………こういうのに乗るの初めてだから。」

「追っ手に怖がってたんじゃないのか。はは。すぐに慣れるよ。」

 コルトは首をすくめて前を向いた。

 セイスの胸は希望に満ちあふれていた。これから起こる出来事や、進む道は、全て自分が決めるものだ。そうして、隣にはコルトがいる。二人でこうしてバイクで走る道が、これからの自分たちの人生のように思えた。セイスはその道の先の先の、ずっと奥を見つめて、

「コルト、道がずっと続いてる。」

 コルトはしっかり前を向いて、うん、とひとつうなずいた。


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