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第二十一話

 セイスはセイス、コルトはコルト、お互い

自分の進むべき道を模索し、二人は葛藤しながらも、新しい未来へ進んで行こうとしていた。

 そうしてセイスとコルトが離れて暮らしてから早二ヶ月が過ぎようとしていた。コルトがエラトーの前座で演奏する日も、後数日だった。

 もう夜も更けた頃、エラトーがお手洗いに起きると、コルトの部屋の明かりがまだついている。

 コンコンっとノックをして、ドアの開けると、コルトがイスに座ってぼうっとしていた。

「まだ起きているの?眠れない?」

 コルトは入って来たエラトーに気付いて、

「あ、ごめんなさい。明るかったですか?」

「いや、いいんだ。」

「ちょっと考え事をしていて。」

「セイスくんのこと?」

「はい。」

「そっか。」

「前座をやる日まで連絡をとらないって決めてたんです。連絡をとってしまったら絶対、前みたいに頼ってしまうから。でも。」

 コルトは目をぱちぱちして自分の手に握った、セイスにもらったラピスラズリの宝石を見つめた。

「ここまできて、なんだか心が折れちゃいそうで。」

「がんばっているからね。コルトは。」

「離れて暮らして、私、やっぱりセイスのことが大切だって改めて感じました。夢に出て来るんです。夢の中のセイスは、なんにも言わないけれど、なんとなく励ましてくれているような気がしました。」

「セイスくんもきっと同じようにがんばっているんだろうね。」

「ステージでしっかり演奏して、セイスに私が変わったことを見てもらうんです。それまでは弱音は吐けませんよね。」

「そうだね。でも、もしだめだったら私に言いな。何をしてあげられるかはわからないけど。」

「ありがとうございます、エラトーさん。」

「きっとできるよ。今まで私とずっと練習してきたんだから。前よりもずっとうまくなっている。自信を持っていいよ。なにせ私は今をときめくエラトー・ムブールだからね。」

「あはは。そうですね。」

「もう夜も遅いんだから、寝るんだよ。」

「はい、起こしちゃってごめんなさい。」

 ぽんぽんとエラトーはコルトの頭を叩いて、寝室に戻った。コルトは少し窓の外の夜を眺めて、明かりを消した。

 そしてライブの当日がやってきた。ブルーホールの玄関に足を踏み入れたコルトは、この場所の歴史の深さを感じた。歴代の有名なミュージシャンたちの演奏時に撮られた写真が幾枚も飾られている。このホールとともに、音楽の歴史が刻まれてきたことが手に取るようにわかった。ホール自体は地下に作られているようだった。

 がちゃっとホールのドアを開けた。高い天井に広い空間。テーブルやイスの数は今まで演奏したどんなステージよりも多かった。そこに満員の観客が入ることを想像すると、コルトのぐっと握った手に汗がにじんだ。

「こんなところで、私演奏できるのかな……。」

 横に居たエラトーはコルトの表情を見て、彼女の心の中を感じとった。そして優しく肩に手を添えた。それに気付いて横を向いたコルトに、にっこりと笑顔を返した。

 ライブのメンバーも続々と入ってくる。コルトは、

「こんにちは。コルトといいます。今日はよろしくおねがいします。」

 と一人一人に深々とおじぎをした。心の中に不安がありながらも、その姿は凛としたものだった。メンバーもにこやかに挨拶を返す。今までのコルトであれば、こんなに動揺している時に挨拶などきちんとできなかっただろうとエラトーは思った。

「コルト、ちゃんと前に進んでるよ。」

 エラトーは小さくつぶやいた。

 メンバーが揃うとリハーサルが始まった。エラトーは軽くステージやライブの感触などを確かめた。そしてメンバーと談笑などをしていた。

 対してコルトはステージに立った途端、客はいないにもかかわらず足がすくんでしまった。リハーサルでの演奏も、どこか思い切りに欠けた、頼りないものだった。後ろで演奏するメンバーの少し冷めた空気がコルトにもひしひしと伝わって、なおさら心が萎縮してしまうようだった。

 コルトは、リハーサルが終わると、控えのイスにしょんぼりと座っていた。

「エラトーさん、すみません……。」

「コルト、あのステージが怖いかい?」

「はい……想像しただけでなんだか……。」

「そうか。恥をかいてしまうのが怖いのかな。」

「そうかもしれないです。間違えたらどうしようとか、うまく吹けなかったらどうしようとか考えてしまって。」

「なるほどね。」

 エラトーはたばこに、ぽっと火をつけて、ふうと息を吐いた。

「昔、私の師匠がね『冷や汗をたくさんかけ』って言ってたんだ。」

「冷や汗ですか?」

「そう。私も今でもね、全く知らない街や知らないメンバーと演奏する時は冷や汗をかくんだ。コルトの怖いっていうのと同じ気持ちさ。」

「エラトーさんも?」

「うん。何かを表現するっていうのはいつだって怖さを伴うものだよ。それが相手の心に響くかどうかはその時その時で違うから。その分、うまくいった時は気持ちが舞い上がるだろう?その怖さがなくなった時は、おごり高ぶっている時だって、師匠は言うんだ。」

「はい、わかります。」

「怖いだろ?でもまだコルトは若いんだし、もっともっと冷や汗をかいていいんだよ。初めてのことをする時はいつだって怖いもんさ。私も一緒。心臓が縮み上がるくらいの経験をすればするほど、人間の中身はつまってくるんだ。冷や汗をかけばかくほど、コルトは今よりもっと大きな人間になる。だから、うまくやろうと思わなくてもいい。間違いを恐れなくていい。恥をかくつもりで精一杯、演奏に心を込めれば、みんな認めてくれるよ。コルトはそれだけのものを持ってるって私が保証する。」

「冷や汗、ですね……。」

「そうさ。」

 エラトーはぎゅっとコルトの手を握って、

「大丈夫。今までやってきたことをぶつけてごらん。」

「わかりました。私、がんばってみます。」

 オープンの時間になると人が次々と入り始めた。照明が落とされた広いホールに、ざわざわと話し声が聞こえる。幕間からこっそりのぞいたコルトは肩がすくんでしまった。

「すごい人の数……。セイスも来てくれてるよね。」

 前座が始まるのはすぐだった。メンバーと簡単に演奏前の確認をした。

「大丈夫。大丈夫。……前に進むんだ。」

 コルトは胸に手を当てて、大きく深呼吸をした。服の内側にある青い宝石をぎゅっと握る。足が宙に浮いているようだった。

「恥をかいてもいいんだ。冷や汗をかくほど大きくなれるんだ。コルト、今が正念場だ。」

 ひと言ひと言ゆっくりと呟いて、自分に言い聞かせた。ステージの照明がぱっと明るくなって、ゴーサインが出る。コルトはステージに上がった。すると、真っ暗で何も見えない客席から、拍手と指笛が聞こえた。照明がまぶしい。体を揺らすくらいに心臓がどくんどくんと大きく脈打っているのが自分でもわかった。

 ベーシストがメンバーやコルトと目を合わせた。そして演奏が始まった。

 コルトは目をつぶってメンバーの奏でるイントロダクションを聴いた。そして曲に入ると、思い切ってサックスを吹き始めた。コルトは演奏しながら、今までのことを思い出していた。


 今まで、何かをやらされたり、誰かに頼まれてやったりしたことばかりだった。でも、親に決められた線路を歩くどうしようもなく息の詰まるような家での生活が嫌になって、外へ出た。

 ラートルに着いて入ったバーでの演奏。そこで初めてセイスと会った。セイスは私の演奏を褒めてくれた。最初は人のことも信じられなかった。人と接すること自体、どうすればいいのかわからなかった。でもセイスはそれを優しく見守ってくれた。私はサックスを吹くことぐらいしか知らなくて、人の賞賛も実感できないひねくれた人間だった。でもそんな私に、それでいいんだって、無理しないでいいんだって教えてくれた。そして家の人が連れ戻しに来た時、そのままだったら嫌々ながらも帰ってしまうところで、そっと手を差し伸べてくれた。

 セイスと旅をして、たくさんの人に会うことができた。ボンドールの町で人が生きていく苦悩に触れた。音楽が本当に人を救ってくれるんだって、身にしみて感じることができた。

 エラトーさんに会って、働いたり、練習したりして、私の世界が広がった。甘えるだけじゃだめなんだって、気付くことができた。

 たくさんの人にお世話になった。家で外に出ずに生活していた時にはわからなかった。人と人とのつながりが、こんなにも大切なんだって。それが自分を生かしてくれるんだって。セイスと一緒に旅をして、私は色んなことに感謝ができるようになった。

 これからはどうだろう。私は変わったんだろうか。変わっていくんだろうか。この先の私の未来はどこに続いているんだろう。まだ私はセイスと旅を続けたい。もっともっと色んなところに行きたい。そしてサックスを吹き続けたい。みんなが教えてくれた。未来は作っていくもの。線路は自分自身で作っていくもの。私はこれからも、少しずつかもしれないけど、前に進んで行きたい。


 コルトは一曲一曲に人への感謝の気持ちをこめて、そして自分のこれからへの希望を感じて、目一杯吹いた。すると曲が進行するに従って、真っ暗なホールの中に、ぽつぽつと淡い光が灯され始めた。テーブルのキャンドルひとつひとつに、火が灯されているようだった。キャンドルに照らされた人々の顔が見えた。ある人は真剣に、ある人は聴き入るように、ある人は音の流れに身を任せるように座っていた。コルトはその一人一人の表情を見て、自分の胸が満たされていくのを感じた。穏やかな風がコルトの中を駆けて行く。そして少し温かかった。全てのテーブルに明かりが灯った。暗闇の中に光がぽつぽつと浮かぶ。そしてコルトはその真ん中で、金色の光をきらめき放つサックスを吹いている。コルトの演奏している姿は、いつかの聖誕祭で憧れた、あの光景と同じだった。

 そしてコルトの演奏が終わった。おそるおそる会場を見ると、みな楽しそうな表情でぱちぱちと拍手を送ってくれていた。その顔を見て、緊張で縮まっていた心が、ふわっと解き放たれたような気がした。同時にコルトの目から、ぽたぽたと大粒の涙がこぼれ落ちた。やりとげた達成感と、人の温かさを感じて、涙が止まらなかった。大きくおじぎをすると、拍手はよりいっそう大きくなった。ステージを降りると、メンバーが近づいて来て、よくがんばったとぽんぽんと彼女の背中を叩いた。涙でぼやけて前が見えなかった。

「よかった。……素晴らしかったよ。今日のライブはコルトのおかげで最高のものになりそうだ。ありがとう、コルト。」

 エラトーがそう言ってコルトをぎゅっと抱きしめた。エラトーの目にも、少し涙がにじんでいた。コルトは声が出せなかった。

「よし、今度は私の番だ。見ときな。」

 エラトーはステージに上がった。

 彼女の演奏は美しかった。やはりエラトーはスターだった。ステージに立つだけで輝きが生まれるようだった。コルトはやりきったという放心状態でイスに座りながら、ぽかんと眺めていた。

 ライブはエラトーの持ち曲で締めくくられた。会場は大盛り上がりで、最後にみな総立ちに鳴って拍手をしていた。

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