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第二話

 ここは"ラートル"という小さな町。労働者が多く住んでいる。今でこそ奴隷という制度自体はなくなったが、その名残は強く残っており、ここに住むものはいずれも奴隷であった者の血縁か、あるいは社会から取り残されたような人間ばかりだった。ここの多くの人々は目が茶色く肌の色も少し黄色がかっている。以前制度として使われていた奴隷という言葉から、そういった人間達は"ドルス"と呼ばれていた。公には差別というものはなくなったとされているが、それは大きな間違いで、実際には往々にして差別が残っている。

「コルト、君はここらあたりの住民ではないよね。その君の目を見ればわかるよ。その青い目を。君の手は真っ白い色をしているし。ここに来る人たちはみんないい人ばっかりで、そういうことをわかってても気にしないけど、ちょっと外へ出ればそんな人ばっかりじゃない。危ないこともあるかもしれない。どうしてラートルに来たの?」

 コルトは口ごもっていた。それからうつむいたまま、

「家を………、出て来たの。」

「家を?」

 セイスは思い詰めたコルトの顔を見て、それ以上話を聞く気になれなかった。彼女はもう、目に一杯涙をためていた。

「そっか。今はゆっくり休みな。ここは大丈夫だから。おじさん、部屋借りるよ。使ってない部屋あったじゃない。あそこに連れていくよ。」

 セイスはそっとコルトの肩にブランケットを被せ、部屋に案内した。

 コルトは部屋について横になると、すぐにすやすやと眠り始めた。力の入った演奏や、雨の中歩いた疲れが一気にあふれたのだろう。セイスは上下窓を開けて、椅子に座り、雨のしぶきのさあさあと舞う外を眺めた。往来はほとんどなく、もう店も閉める時間だった。ひっそりと夜は深くなってゆく。

 (この町ではこのバーだけが、人を人たらしめる場所だ。日常には何もない。ドルスにとって職業は制限され、住む場所さえも、暗黙の了解のように線引きされている。毎日は過酷な労働。それでも確かに昔よりは良くなっただろう。奴隷という制度がなくなっただけでも幾分かは人道的になったにちがいない。だがその根本はなにも変わってはいない。今も人々は苦しんでいる。そんな中にあるのがこのバーだ。音楽というもので人は癒される。人は生きる力を得る。人は本当に人間らしくなる。

 それでもここまでだ。このバーの中だけだ。夢はこの箱の中で完結し、それ以上にはならない。ただのユートピアだ。おじさんはそれでいいと言っている。小さな夢でいいと。でも俺はそう思わない。もっともっと世界は広がりを持っているはずだ。この小さな町。そりゃあ愛着もあるけど、俺はもっと世界を知りたい。色んな場所で色んな人間と会い、人が作った区別さえも超えたい。)

 セイスは外を眺めながらそう考えていた。

 小さな寝息をたてているコルトの顔を眺め、セイスは今日の演奏を思い返してみた。あの音、あの力強さ、そして躍動感、その裏に漂う儚げな少女の人生、せつなさ。

 確信した。

 この娘と一緒に世界に出よう!

 セイスの胸はどくどくと高鳴っていた。自分のこれからの人生という門の、大きな鍵を見つけたような気がしていた。その鍵は、今自分のそばで眠っているこの少女だった。



 コルトは、はっと目が覚めて、外が明るくなっていることに気がついた。壁にかかっている時計を見ると九時をまわっている。ぼんやりとした頭であたりを見まわす。ここはどこだろう……。

 いけない。

 疲れで眠ってしまったことを思い出して後悔した。ベッドまで使わせてもらって、私は何をやっているんだろうか。

 コンコン、とノックの音が聞こえた。

「おはよう。眠れたかい?朝食ができてるから、下に降りておいで。」

 マスターの声だった。

「は、はい。」

「あ、そういえば、セイスが君の服も用意したみたいだよ。枕元に置いてあるから、それを着なさい。」

 目を向けると、薄い緑色のワンピースがそっと置いてあった。コルトはベッドから降りて、そのワンピースを手に持ち、ゆっくりと広げてみた。すると、小さくかわいいクローバーの模様がぱっとスカート一面にひろがっていた。それは部屋の中に現れた萌芽のようだった。広がった緑を見てコルトはどきっとした。なぜだか理由はよくわからないけれど、コルトの胸は高鳴った。

 とんとんとんと、恥ずかしそうに階段を下りて来たコルトの方を、マスターが見た瞬間、窓から風がさっと吹きカーテンがふわりと浮いた。

 朝の光に包まれた少女は、薄緑色のワンピースとともに、春の妖精のような、そんな可憐さをもっていた。

「似合ってるね。セイスも喜ぶよ。」

 コルトはなんと答えていいのかわからず、下を向いていた。きっと顔は耳まで真っ赤だっただろう。

「行く所がないなら、しばらくゆっくりしていきなさい。ここは来るものも拒まず、去る者も追わない場所だから。」

 コルトがここに来てからというもの、セイスは仕事が終わるとまっさきにバーに立ち寄るようになった。

「コルト、元気かい?今日は工場長がひどく機嫌が悪くってさ。めんどうな仕事押し付けられて、ちょっと遅くなっちゃった。ごめんね。」

 コルトは相変わらず口数は少なかったが、セイスには親近感を覚えているようだった。

 セイスは毎日のように外であったできごとを話し、彼女は楽しそうにそれを聞いていた。コルトはマスターに何か自分に手伝えることはないかと、店内の掃除や洗い物といったことをするようになっていた。そして夜には、コルトのサックスと、セイスが弾くギターで、音楽を奏でるようにもなっていた。

 ある夜、演奏が終わったあと、コルトは部屋に戻って楽器を片付けていた。クロスでサックスの表面をみがき、タンポをぱかぱかとしているところで、セイスが入ってきた。

「おつかれさま。」

 コルトは顔をあげて、

「セイスも、お疲れさま。」

セイスの方を見た。

「だいぶお互い息が合うようになってきたね。コルトと一緒に演奏してるととても楽しいよ。」

 セイスは優しい笑顔でそう言った。コルトは少し笑って下を向き、

「セイス、いつもありがとう。」

「いまさら何さ。気にしなくていいよ。俺は君の音に惚れてるんだから。」

 コルトはサックスの手入れを続けながら、つぶやくように言った。

「私ね、これしかないから。」

「え?」

「私には、これしかないの。このサックスを吹くことしかないの。でも、今まではそれすらなかったんだ。家にいる時は、これを吹いてる時だけは、楽しかったけど、誰かに聴いてもらったり、褒めてもらったりなんかなかった。私はひとりで吹いてた。今はね、セイスやみんなが私を褒めてくれる。私に、『コルト、もっと吹いて』って言ってくれる。こんなに嬉しいことないよ。私なんかたいしたことないのに、こんな私なのに、そんなふうに言ってくれる。嬉しいよ。ありがとう………。」

 涙が、サックスをみがく小さな手に、ぽたぽたと落ちた。

「コルトの音はすごいよ。俺も嫉妬しちゃうくらい。聴いてると、心が揺り動かされる。素晴らしいんだよ。」

 セイスはそっとコルトの頭をなでようとした。

 その瞬間、はっとコルトは後ろに飛び退いた。そうして、それを見て驚いた顔をしているセイスを見て、彼女は自分のした行動を理解した。

「ごめんなさい。そういうつもりじゃないの………。」

 セイスはまた優しい目をして、

「いいよ。わかってる。」

 コルトはそのままベッドにストンと腰を落とした。

「私、そんなにすごくないの。私、褒められるような人間じゃないの。ごめんなさい。私、私………そんなこと言ってもらう資格なんてないんだ。」

 セイスはゆっくりコルトの横に座った。

「いいんだよ。そんなこと考えなくて。そんなふうに考えなくったっていいんだよ。自分がどうかなんて、思い詰めなくたっていいんだ。俺はいつもコルトの音を聴いてる。それが好きだから。それでいいんだ。心配することはないんだよ。」

 コルトはセイスの隣で小さな声で泣いていた。サックスを握りしめながら。

「怖いの。」

 ふっと顔をあげたコルトの目が、セイスと合った。セイスはその青く澄んだ瞳を見て、どうしようもなく苦しくなった。彼女の苦しみが、悲しみが、一気に自分の心の中に、大きな津波のように押し寄せてくるように感じた。

 この娘を救ってやりたい。

 セイスは彼女の額にかかった髪を、小指ですっと横に分けた。そしてキスをした。コルトはその瞬間、心臓が止まるようにぴくっと驚き、体が少し固くなった。そしてセイスは心の底から、言った。

「俺がずっと一緒にいてやる。」


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