第十八話
営業が始まると、店の照明は落とされて、酒場のいいムードが漂っていた。コルトは初めての接客ということで、ガチガチになっている。
「姿勢正しく、笑顔でね。」
ニキータにそう言われるも、うまく笑顔がつくれずぎこちない表情だったので、彼女はコルトの肩を揉んで、
「ほら、大丈夫。初めは『こんばんは、いらっしゃいませ』だよ。」
「は、はい!」
「うーん、笑顔はね……ウイスキーって言ってごらん。」
「ウイスキー。」
そうその最後の顔。イーの顔がいい笑顔だからね。
「イー、イー。」
「目が笑ってないな。目はね、うーん、ちょっとだけ細めてみて。」
コルトはウイスキーの口のまま、ちょっと目を細めてみた。
「あ、いいねいいね。そういうかんじ。お客さん来たらその顔で挨拶してごらん。」
とニキータが言った瞬間、リリンッとドアの開く音が鳴った。
入って来たのはまるまる太った白い肌の男。歳は中年といったところ。入ってくるなりカウンターにどすんと座った。
「うん。いつもの。」
「お、いらっしゃい。はいはい。」
と言ってゴンザレスが冷やしたグラスにビールを注ぐ。ことっと置かれると、男はぐいっとそれを飲んだ。
「ふう。うめえな。」
ふと男が振り返るとコルトと目が合った。
「こ、こ、こんばんは。いら、い、いらっしゃいませ……。」
「なんだ、新人かな?」
「コ、コルトと言います。よろしくおねがいします。」
「ふん。俺はジョルジュだ。」
そう言うとまたビールをぐいと飲んだ。グラスになみなみとあったビールはわずか二口でなくなってしまった。ゴンザレスはもう次の酒を用意しており、すっと彼の前に出した。
「コルトちゃん、初仕事だよ。」
キッチンからフレッドがそう言って、最初の料理を手渡した。
「は、はいっ!」
コルトはジョルジュの横から、それをおそるおそる差し出した、
「お通しです……。どうぞ。」
「ん?おお。お嬢ちゃん、ちょっとこっち来てみな。」
腰がひけていたので、ジョルジュは近くに来るように言った。コルトがすぐそばまで近づいた瞬間、
「ガウッ!」
「わあっ!」
ジョルジュは犬が噛み付くまねをした。コルトはあまりの驚きにその場にへたりこんでしまった。
「わっはっはっははは。そんなに驚かないでもいいのにね。」
奥から出て来たニキータが、
「ジョルジュさん!コルトちゃんいじめちゃだめでしょ!」
「おう、ニキータ。ははは。いやあ、すまんすまん。新人ちゃんは臆病なんだな。あはは。おう、お嬢ちゃん、コルトって言ったっけ。脅かしてごめんな。ほらっ。」
ジョルジュはコルトの手を取って立たせてくれた。コルトは、はたはたとスカートを払って、
「い、いえ。大丈夫です。」
「コルトちゃん、この人はジョルジュさんって言って、もうこの店の開店以来の常連さんなのよ。なんだかこの人も変わった人でね。」
「変わった人なんて、ひどい言われようだな。ニキータは舌に毒があるからな。」
「コルトちゃんも、このおっちゃんに負けちゃだめだよ?私もここに来た当初はこのおっちゃんが苦手でね。」
「わははは。ニキータも最初はガチガチだったのにさ。俺が話しかけても、うんともすんとも言わないし。」
「そうだったんですか?」
「私も人見知りだったのよ。しかもこのおっちゃんは目つきが悪いからねえ。」
「よく言うよ。それが今やこんなにあつかましくなっちゃって。」
「あつかましいなんて失礼よ。まあすぐコルトちゃんもこのおっちゃんに言い返せるようになるよ。だから、負けちゃだめ。」
「はい、がんばります。」
「あはは、『がんばります』が口癖みたいだねえ。えらいえらい、よしよし。」
「ふうん。まあ、お嬢ちゃんもがんばりな。」
そう言うとジョルジュはゴンザレスの方に向き直って、楽しげに話し始めた。
初めて働いた一日はコルトにとって新鮮なことばかりだった。新しい人との出会い、知らなかったことの発見、いつもより充実した疲労感。そして、人はいつも温かかった。不安もたくさんあったしどうなるかわからなかったけれど、ここに来てよかったなと、コルトはしみじみ思った。
営業も二十四時を過ぎてニキータが、
「コルトちゃん、あがっていいよ。今日はお疲れさま。帰る前にゴンザレスさんとこでね。」
「はい、ありがとうございました。お疲れさまです。」
コルトは奥で着替えてから、ゴンザレスのいる部屋に入った。
「お疲れさま。はい、お給料。」
ゴンザレスの太くたくましい指にあったのは茶色い封筒。
「ありがとうございます!」
コルトはそれを受け取って、なんともいえない満足感に包まれた。自分が働いて、そしてお給料をもらう。当たり前のことかもしれないが、コルトにとっては初めての経験だった。にやにやと笑っているコルトを見て、
「ははっ。うれしいかい?今日は新しいことばっかりだったから、ゆっくり帰っておやすみ。」
「はい、またよろしくおねがいします。」
コルトはぺこっとおじぎをしてから部屋を出た。
「お、あがりだね。お疲れさま。」
「フレッドさん、お疲れさまです。」
コルトの心躍る表情を見てフレッドもなんだかうれしくなった。頭にのせた帽子から、今まで束ねていた髪がすとんと落ちたコルトの後ろ姿は、初めて店のドアを開けた時より楽しそうで、誇らしげだった。
「新しい風、だな。」
コルトが外に出ると街の夜は賑やかだった。そこいらにぴかぴかと明かりが輝いている。ひゅうと吹いた風はもうすぐ秋が来ることを感じさせた。コルトは少し首すくめた。そしてさっきもらった茶色い封筒を開いて中をのぞいてみると、確かにそこに給料が入っていた。
「はじめての。」
コルトはあまりの嬉しさに軽くスキップをした。その様子を道路の反対側に歩いていた二人の婦人が見て、くすっと笑った。コルトは恥ずかしくなって、帽子を深くかぶり、足早に家路を急いだ。でもコルトの胸は踊ったままだった。頬が少し赤かった。
「ただいまァ。今日はちょっと飲みすぎちまったよ。ウィ。あれ、コルトもう寝てるのか。」
エラトーが帰って来た頃には、コルトはソファで眠っていた。エラトーの帰りを待っていたようだった。
エラトーは眠っているコルトの柔らかいほっぺたを、ぷにぷにとつまんだ。ううんとうなったコルトの手には、しっかり給料袋が握られていた。コートをかけたエラトーは狭いソファにえいっと乗って、そのままコルトに寄り添って眠ってしまった。




