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第十七話

 次の日は早めに家を出た。お店に着いて、

「おはようございます。」

「おはよう!」

 もうフレッドはキッチンで仕事を始めていた。

「コルトちゃん、今日は早いね。」

「はい。前は道に迷ってしまったので、今日は早めに出てきました。でもまたちょっと迷ってしまったんですけど……。」

「あはは。そうなの?どこに住んでるの?」

「サニー通り沿いです。」

「ええっ?すごく近くじゃん。コルトちゃん……方向音痴でしょ。」

「そ、そんなことないですよ。」

「まあいいか。たどり着いたし。もうすぐ店長が。」

 がちゃっと音がしてゴンザレスが事務室から出て来た。

「おっす。おや?コルトちゃん早いね。よしよし。今日からお願いね。あ、そうだ。奥に着替えがあるから着ておいで。」

「はい。わかりました。」

 しばらくして着替え終わったコルトが出て来た。

 チェックの赤いスカートにフリルのついた白いブラウス。やわらかな印象で、束ねた黒髪は後ろにさらっとポニーテールに流れている。首の辺りできゅっと蝶ネクタイを締めたその姿は、かしこまったかわいい仔馬のようだった。そんなコルトをじっと見てフレッドとゴンザレスは顔を見合わせた。

「な、何か間違ってますか……?」

 きょどきょどするコルトを二人はもう一度眺めて、

「ゴンさん、うちの店にも光明が差して来たようですね。」

「ああ、そうだな。お客さんも大いに増えそうだ。がっははは。」

 コルトはどうしていいのかよくわからずに、話を聞いていた。するとリリンッと音がした。

「遅れました!すいません!」

 赤い巻き髪の女性、はきこんだようなジーンズが活発そうに見える。はあはあと息を切らせて店に入って来た。

「ニキータ、遅いぞ。その遅刻癖はなんとかならんか。」

「すみませえん。……ん?」

 コルトに気がついたらしい。

「あ、は、はじめまして。コルトともうし……うっ!」

 自己紹介をし終わる前に、コルトは苦しいほどに抱きしめられた。

「かわいいっ!何この娘?新しく働くの?」

 ぎゅうっとしながらニキータはゴンザレスに聞いた。

「そうそう。新しく入ったコルトちゃんだ。今日から働いてもらうから、ニキータ、仕事を教えてやってくれ。」

「はあい!コルトちゃんって言うのね。私はニキータ、よろしく。何かわからないことがあったら、私に聞いてね。うーん、かわいいなあ!」

 握手をするべきところを抱きしめられたコルトは、その抱擁のあまりの強さに息も絶え絶えだった。

 ニキータも着替え終わり、お店の立ち上げが始まる。

「さあて、コルトちゃん仕事しようか。まずはホールを立ち上げよう。」

 胸をはって腕をぐっとまくり、コルトを見たそのたたずまいは頼りがいのあるお姉さんという感じだった。

「ホールの立ち上げ?」

「そうそう。お客さんが入ってくるここを、バリバリ営業できる状態にするってことだよ。コルトちゃんはこの仕事の前に何か接客とかやったことある?」

「いえ、ないんです。すみません。」

「そっか。じゃあ一から叩き込んであげるからね。覚悟しなさい。」

 ニキータの笑顔は温かかった。

「まずはと、掃除機をかけるぞ。」

 ニキータに言われて、コルトは店の奥の倉庫のような場所にある掃除機を取って来て組み立てた。

「隅をたんねんにね。」

 ブイィィィィィンと掃除機の威勢のいい音が鳴る。ニキータに言われた通り、隅っこや机の下、イスの下などたんねんに掃除をした。ナッツの破片がたくさん落ちていて、掃除機の首を通るときにチリチリっと愉快な音をたてた。普段より広めの店内を掃除するので、軽く汗がでてきた。

「コルトちゃん、玄関っていうのは一番大事なところなんだよ。お客さんが一番初めに入ってくるところだからね。だからひとつのゴミも落ちてないように。」

「はい、わかりました。」

 コルトはせっせと掃除機をかける。

「意外と掃除機かけるのって大変でしょ?」

「はい。ちょっと汗が出て来ちゃいました。」

「よろしいよろしい。じゃあ、一通りかけ終わったらグラスをコルトちゃんに洗ってもらおうかな。おいでコルトちゃん。」

 ニキータが手招きをしている。

「食器はフレッドがやってくれるから、こっちでグラスを洗おうね。グラスの洗い方は、まず一に、中を洗う。二に、飲み口を洗う。三に持つ所を洗う。四に流す。こんな感じでやってみよう。」

 コルトは小さく一、二、三、四、と呟きながら洗っている。横でニキータも洗っているのだが、その速さの違いは一目瞭然だった。

「そうそうその調子。慣れたらささっとできるようになるよ。」

 コルトにはニキータが羨ましく見えた。同時に、自分もしっかりがんばらないと、という気持ちが胸に起こった。

「それじゃあ最後に、」

 グラスを二人で洗い終わり、ニキータがコルトの方を見た。

「コルトちゃん、ホールを立ち上げる時に一番大切な掃除っていったいどこだと思う?」

「ええと、んん、わかんないです……。」

「お手洗いだよ。お店の質を決める点のひとつとして、お手洗いがきれいなこと、そこでのサービスがゆき届いているかがかなり重要なのさ。お手洗いが汚いお店にまた来たいと思う?」

「思わないです。」

「そうでしょ。汚れているのは問題外だし、紙が足りないなんてもってもほか。逆にお手洗いがとってもきれいで、必要なものはきっちり揃ってる。そして寒い時にはあったかく、暑い時には涼しく、そんな普通以上のサービスもあるっていうお店は、きっと料理とかも期待しちゃうでしょ。そういうことなの。」

 コルトはふんふんと真剣にニキータの話を聞いていた。今までそんなことを考えたことがなかったコルトには、彼女の話が全て新しく興味深いものだった。

「じゃあきれいにしてみよっか。」

 ニキータはお手洗いにコルトを連れて行った。

「ぱっと見た所はきれいだけど、お客さんはね、こういうところをちゃんと見てるんだよ。コルトちゃん、お手洗いの掃除やったことない?」

「はい……。」

「掃除がしっかりできるようにならないと、一人前の大人になれないよ。」

「がんばります!」

 ニキータは厳しいようでいて、いつもその目は優しく穏やかだった。コルトは、ただ単に厳しいだけではなく、そしてただ単に優しい訳でもない彼女を、信頼できる人だと直感した。

「よし、終わったね。えらいえらいコルトちゃん。これぐらいきれいにしたら、きっとお客さんも喜ぶよ。」

 ニキータはコルトの頭をくしゅくしゅなでた。

コルトはぴかぴかの床にした達成感と、自分の仕事で誰かを喜ばすことができるという充実感にほくほくしていた。

「こういう掃除ってね、やりたくないっていう人もいるかもしれない。でも人がやりたくないことをやるっていうのは大切なことなんだよ。いつも自分が当たり前だと思ってることが、誰かのがんばりによってできていることなんていっぱいあるからね。自分でやってみると、感謝の気持ちもおこるでしょ?」

「はい。今までこういうことしたことなくって、気付かなかったことがいっぱいあります。ニキータさんありがとうございます。」

「そっかそっか。よし!じゃあホールの立ち上げはこれで終わり。お疲れさま。ねえ、コルトちゃん、」

「なんですか?」

 と言った瞬間、またぎゅうっと抱きしめられた。

「やっぱりかわいいっ!」

 ほおずりしながらニキータはそう言った。このニキータの全身をつかった愛情が、初めての仕事で不安だったコルトの心を柔らかくほぐしてくれた。コルトはニキータに感謝をした。


 コルトはととっとキッチンに向かって、

「何か手伝いましょうか?」

 コルトがキッチンを覗き込んでフレッドに聞いた。

「んーと、そうだな。じゃあたまねぎをお願いしようかな。」

「はい。わかりました!」

 コルトは元気よく返事をして、まな板の前に立ち、包丁を握ってたまねぎをざくざく切り始めた。少し時間をおいて、他の作業をしていたフレッドが振り返ると、

「コルトちゃん……もしかして料理したことないのかな?」

 ごろごろとした、みじん切りとは到底呼べないたまねぎと、ぼろぼろ涙をこぼすコルト。

「ごめんなさい……。」

 フレッドはその顔を見て、

「女の涙は人を狂わすね。」

 ははっと笑い、

「コルトちゃん、ありがとう。後は俺がやっておくよ。」

「すみません、手伝おうと思ったのに……。私も料理できるように勉強します。」

 しょんぼりとするコルトを見て、

「じゃあ俺が教えてあげるよ。」

「えっ?本当ですか?」

「ああ。俺は仕込みでだいたい早く来てるから、営業前に料理を教えてあげよう。」

「ありがとうございます。がんばります!」

「じゃあさっそく包丁の使い方を、」

 と言ってフレッドはコルトの後ろに回りこみ、そっと覆いかぶさって、彼女の包丁を持った右手に自分の手を合わせた。

「ひゃあっ!」

 とコルトが声を上げた瞬間、

「こらっ!フレッド!」

 鬼の形相はニキータだった。

「ひええ、おっかない。ささっ、仕事仕事。」

 コルトを自分の元に引き寄せて、

「これだからこの野獣は。こいつは料理の腕はいいんだけど、こんな女ったらしだから、コルトちゃん注意してね。」

「は、はい……。」

「コルトちゃん、冗談冗談。ちゃんと教えてあげるから安心しな。ニキータも俺の悪口ばっか言ってないで仕事しな仕事。」

「よく言うよ、あんたねえ。」

「ほら、まかないできたよ!持ってって、持ってって。」

 ぶうぶう言いながらニキータはフレッドに渡されたお皿をテーブルに運んだ。

 ゴンザレスも加わって四人でテーブルにつく。

「おっ今日はトマトパスタか。」

「はい。いいものが送られてきたんで、まずは試食がてら使ってみました。」

 鮮やかな赤色のソースがつやつやとしたパスタに盛られており、オリーブとガーリックのいい香りが漂っていた。きれいな盛りつけに、コルトはどきどきしていた。

「チーズも今日はいいもの届きましたよ。使いますか?」

 フレッドがキッチンからチーズを持って来た。

「チーズ!」

 座っていたコルトは、チーズと聞いて思わず立ち上がってしまった。

「コルトちゃん、チーズ好きなの?」

 ちょっと恥ずかしくなって、おずおずと座り直し、

「はい……チーズ大好きです。」

「ははっ、他の種類のもあるから、味見ならちょっとしてもいいよ。」

「ありがとうございます。」

そう言った後、コルトはふいに胸が苦しくなった。

「どうしたの?」

 コルトの顔を覗き込むフレッド。

「あ……な、なんでもないです……。」

 コルトは、セイスとチーズを買いに行ったことを思い出していた。クナイシュタットの、あのチーズのお店もいい香りだった。胸がさらに痛くなった。

「ほら、さっさと食べんと時間がなくなるぞ。」

 ゴンザレスがそう言うと、みんな手を合わせて、いただきますと食べ始めた。

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