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第十五話

 エラトーは多忙なスケジュールの中、できるだけコルトと一緒に練習できるように、初めの日に二人でスケジュールを決めていた。

 コルトは、がちゃっと重いドアを開けて、エラトーの家の防音室に入る。そこにはドラムセットやベース、グランドピアノ、録音環境まで揃っていた。サックスをケースから出して、組み立て始めた。

 エラトーも部屋に入って来て、グランドピアノの前に座り、準備の終わったコルトと目を合わせる。

「さあて、始めようか。」

「はい!」

 タンッタタンッ

 エラトーが軽やかにピアノを弾き始めた。ステップを踏むようなリズミカルな曲調。しっかりコルトとアイコンタクトをしながら、進んで行く。イントロダクションが終わると、コルトはふっと目をつぶってサックスを吹き始めた。まろやかでしっとりとした音。しばらくしてからコルトの演奏に合わせて、エラトーが手で合図をし始める。それは指揮者のように指先で、コルトの改善点を示していた。すらりと延びた指が空を駆けて、コルトをひっぱっていく。コルトはその合図を見て吹き方を試行錯誤している。

 曲が軌道に乗ってくるとエラトーは指の合図をやめた。彼女もコルトと同じように目をつぶってピアノに心を入れる。そうすると音の波に乗って、二人の体はイメージの空間に浮かんだ。

 音の波は海から起こり、二人はその中でふわふわとゆらめいている。華麗な音符の魚が群れをなして泳ぎ、その色とりどりの景色は、まるで宝石箱のようだった。うす黄緑のサンゴたちは、落ちた音符が固まったよう。見渡す限りの一面に広がっている。二人は流れに身を任せて空を仰いだ。海面の揺らめきが網の目のように輝いている。太陽は空の白い斑点のように光る。ゆらゆらと音の海の中で二人はつかず離れず舞い踊り、やがてエラトーがコルトの手を引いた。そして海の底から力強くわき上がる泡とともにいきおいよく二人は水面を目指す。ぐううんぐううんと盛り上がった水面から飛び出して、水しぶきがダイアモンドをちりばめたように空に飛散した。

「うん。いいね、コルト。」

「ありがとうございます。でもついていくのに必死でした。」

「あはは。私は気まぐれって言われるからね。でも、コルトはまだあんまり人に合わせて演奏した経験が少ないみたいだ。」

「はい、そうなんです。」

 コルトは少し上を見つめて、思い出すように、

「セイスと旅をするまで、ずっと一人で吹いていたので。」

「そうなのか。近くに一緒に演奏してくれる人はいなかったのかい?」

「サックスを吹くことが、認められていなかったんです。」

「どうして?」

「お父様やお母様は、サックスっていう楽器が嫌いなようで。」

「お父様お母様……?」

「あ、あ!ごめんなさい……。お父さん、お母さんです。」

「コルトはだいぶいいとこの生まれみたいだ。」

 ふふっとエラトーが笑った。

「じゃあどこでサックスを知ったの?」

「町のお祭りの時です。聖誕祭だけは、夜でも外に出ていいって言われていたので、友達と一緒に広場に遊びに行きました。広場はみんな電飾が消えていて、キャンドルが至る所に置いてありました。そのたくさんの、ぽっとした明かりの真ん中で、きらきらしたものがあって。それがサックスでした。その後すぐに演奏家の人がそれを吹き始めたんです。普段ほとんど外には出られなかったので、私にとっては驚きでした。真っ暗な中にひとつふたつみっつって明かりが浮いて、そのまん中で朝日みたいにきれいな楽器が優しい音で鳴っている。今でもその光景は目に焼き付いています。その演奏を聞いて、私もやってみたいって思ったんです。」

「ロマンチックな話だね。親御さんの説得は大変だったろう。」

「そうですね……。やっぱり最後まで納得はしてくれませんでした。」

「どうやって楽器は買ったんだい?」

「おこづかいをためてたんですけど、親が許してくれなかったので買えませんでした。それで部屋で泣いていました。そうしたら私のお世話をしてくれていたマリーという人が、こっそり知人のサックスをもらってきたと言って、これを私にくれたんです。すごく嬉しかったです。お金はいらないから、とまで言って。マリーは昔、音楽をやっていたようで、サックスの吹き方なんかは少し教えてくれました。結局その後すぐに国へ帰ってしまったんですけど。」

「いい人が近くにいたんだね。それで?」

「今まで私は親に決められたことしかしてませんでしたから、二人はカンカンになって怒りました。でも、私はサックスをやめませんでした。サックスを吹いてる時だけは自分でいられるような気がしたから。私、自分から何かをしたことがなくって、お父様やお母様に逆らったのは、そのときが初めてでした。今も……。」

「今も?」

「私、家出をして来たんです。こっそり荷物を運ぶ車の荷台に乗って。それで最初に着いたのがラートルでした。そしたら少しして家の者が追いかけて来たんです。でも、セイスがバイクに乗せてくれて逃げられました。家には帰りたくありませんでした。また言いなりの生活は嫌でした。家では私はいないのと同じだから……。」

「それで旅をしてるのか。ははっ。コルトもおとなしそうに見えて意外とやるもんだな。安心したよ。」

「言い方がひどいです。エラトーさん。」

 コルトは少しむすっとした。

「すまん。私もね、ひどい家庭に育ったんだよ。生まれも育ちもコルトとは全然違うと思うけど、もしかしたらある部分つながってるのかもしれないね。」

「そうだったんですか?」

「ああ。私の住んでいた町は貧困が普通の場所でね。親父は酒やドラッグにまみれて、母親なんて家にいたためしがなかったよ。私も家にいたくはなかった。すぐに家出をしてね。それからバーなんかを渡り歩いたんだ。音楽をやっている人間たちは優しくてさ。どこかの家で育ったというよりも、私の場合音楽の渦の中で育ったと言った方がいいかもしれない。」

 エラトーは小さなテーブルに置いておいたお茶を飲んだ。

「私もコルトと同じだよ。サックスがあって初めて自分を表現できた。吹くことが、唯一自分が生きていると実感できる行為だった。私は他になんにもなかったからさ。今は支えてくれる人もいっぱいいるけれど、やっぱり、まだどこかそういう気持ちはしこりのように残ってる。たぶんね、この不安は一生付き合っていくもんなんだろう。でも、音楽が救ってくれたんだよ。私の人生を。これからもね。」

「私も。一緒です。」

 窓から見える公園の葉はだんだんと秋に近づくにつれて緑色から黄色、さらに赤色へ変化する。森は少しずつ赤く染まり、それを眺めに多くの人が公園を訪れようとしていた。コルトは練習に明け暮れることで、秋の物悲しさを打ち消そうとしていた。


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