第十四話
話し終わったエラトーが、しんみりと遠くを見つめた。セイスははっと気付いたように、
「エラトーさん。その店、僕の叔父の店ですよ!」
「そうなのかい!それは偶然だな……。その後から私の曲が段々と売れ始めてね。なかなか時間が取れなくなって、結局まだ行けていないんだ。マスターは元気かい?」
「元気ですよ。叔父さんにそんな話聞いたことありませんでした。エラトーさんがこれだけ有名になっているんだから、話してくれてもいいのに。秘密にしてたのかな?」
「あはは。そうか。こんなところでつながっているなんて、なかなか人生は面白いね。」
「私もマスターにお世話になったんです。とっても素敵な方ですよね。」
「彼はなかなかいい男だね。今度時間をつくって行ってみよう。ラートルに。」
三人はコルトの用意したお茶菓子をつまみながら、小一時間ほど談笑をしていた。
「そうだ、セイスくん。少し話は変わるんだが、コルトちゃんと話しててね、」
「エラトーさん、私から言います。」
コルトは真剣なまなざしでそう言った。
「そうか。わかった。」
「どうしたの?」
「セイス、ちょっと相談したいことがあるんだ。」
コルトはセイスに向き直って。
「私、少しエラトーさんのお家でお世話になろうと思うんだ。」
「え?エラトーさんの家に?」
不思議そうなセイスの顔を見て、エラトーが、
「再来月に、私のライブがあるんだ。ブルーホールでね。そこで、コルトちゃんを前座に出したいんだ。私のたってのお願いさ。」
「私、エラトーさんに言われたとき、最初は前座なんてできないって思ったの。エラトーさんの前座で演奏なんて。でも、前に進まないと。セイスと旅を初めるときに約束したから。私、変わる。変わりたい。もちろん、今の私のままだったら、前座なんてできない。だから、本当に前座ができるくらいうまくなれるかはわからないけど、エラトーさんのお家で精一杯練習して、そのステージに挑戦してみたいんだ。それと、」
コルトは少し伏し目になって、
「今は、セイスに頼りすぎてる気がするの。セイスはそう言うと、優しいからきっとそんなことないって言ってくれると思うけど、私の中でけじめをつけたいんだ。少しの間離れて、もっとしっかり自分で地面に立てるようになりたい。私のわがままだってわかってる。セイス、お願い。」
「そっか……。」
セイスは少し考え込んだ。話の内容は理解した。だが、すぐに快諾できなかった。セイスは、なんの葛藤もなくコルトを行かせてやることができるほど、自分は大人でないことを知っていた。セイスの心の中には、そんなコルトを自分でなんとかしてやれないかというおごりに似た感情と、今離れるとこのままコルトがどこかへ行ってしまいそうな漠然とした不安がもやもやと漂っていた。そしてそれらの想いと正反対に、コルトを自由にさせてやりたい、自分の可能性を試させてやりたいという親心のような感情があった。唐突な提案に、セイスは悩んだ。
「エラトーさんは大丈夫なんですか?」
「ああ。むしろ私からの提案なんだよ。コルトちゃんにサックスを教えて、もっとうまくなってもらいたい。本当にわがままだと思うが、セイスくん、私からもお願いするよ。」
「そうですか。」
少し上を見つめて、セイスは決心した。
「わかりました。」
セイスはコルトの目をしっかり見つめ、
「コルト、ステージ楽しみにしてるよ。大丈夫。コルトならきっとできるよ。」
コルトの顔がぱっと明るくなった。セイスの手を両手で握った。
「セイス、ありがとう。私、がんばる。うまくなってセイスに聴いてもらう。」
それを見てエラトーもほっとした様子で、
「セイス君ありがとう。きっとコルトちゃんをうまくしてみせるよ。」
コルトはエラトーの家に行く為の支度を始めた。エラトーとセイスは、イスに座って向かい合っていた。
「僕が言うのもなんだか変ですが、コルトを宜しくお願いします。」
「わかった。急なお願いでごめんね。前にセッションで会った時の、彼女の演奏に惹かれちゃったんだ。確かに今はまだまだ課題も多いかもしれないが、彼女はきっとすごいミュージシャンになるよ。」
「僕も同じように感じました。コルトは何か不思議な力を持っているみたいです。彼女の音は、胸に鳴るような気がします。」
「そうだね。それが本当の音楽だよ。」
話していると、コルトの用意ができたようで、
「おまたせしました。エラトーさん。」
大きな旅行バッグをしゃんと持ったコルトが、セイスにはいつもと少し違って見えた。
「準備ができたか。じゃあ、行こうか。私は先に外に出てるよ。」
ドアを開けると赤色の夕日が部屋に差し込んだ。エラトーが出て行ってから、コルトも靴をとんとんとはいて、部屋の方を振り返った、
「セイス、行ってきます。」
正面に立つコルトのすっと延びる長い髪に後ろから夕日がさしていた。逆光に暗くて、表情がはっきりと見えない。コルトはじっとそこに立っている。セイスはコルトの顔がわかるすぐそばまで近づいた。するとコルトはそのまま体をセイスの方へ倒してきた。小さな頭がセイスの胸にとんと当たった。時が止まったように感じた。
「……行ってきます……。」
小さくか細い声が頭に響いた。その時セイスはシャツの胸元が、温かく濡れるように感じた。体を預けたコルトの肩が、小刻みに小さく震えている。コルトは泣いていた。
ああ、好きだ。
セイスははっきりとそう思った。そしてコルトを優しく、しっかりと抱き寄せた。コルトの涙が胸ににじんで、それが心に穏やかな火を灯す。今まで自分の心に渦巻いていた葛藤が、その大きなほの温かい風に吹き飛ばされたように消えて行くのを感じた。
「行ってらっしゃい。」
噛み締めるようにそう言って、セイスはコルトの顔をすっと上げ、二人は軽くキスをした。
コルトが出て行ってから、すぐに日が沈んだように感じた。セイスは少し暗い部屋の中、イスに座っていた。一緒に住んでいたのは短い間だが、コルトのいない部屋はなんだが穴が空いたようだった。セイスは、ふうとひとつため息をついた。
「俺も、がんばらなきゃ。」
セイスの目はしっかりと前を見据えていた。
家に向かう途中、エラトーはコルトのまっ赤にはらせた目を見て、
「大丈夫だよ。また会えるんだから。少しの間だけ、がんばってみような。」
とコルトの頭をくしゃくしゃとなでた。そう言われたコルトはしゃくりあげながら、
「ありがとう……ひくっ、ございます。」
それを見てエラトーはふふっと笑った。そしてこの素直で純粋なコルトに対して、できる限りのことをしてあげようと思った。エラトーにとっても、二人でこうして歩いている今が何か新しい始まりのような、そんな気がした。
家に着くと、コルトは以前エラトーに紹介された部屋に入り、そっと荷物を置いた。
「ここが私の部屋。うん。」
窓の外を見ると黒い夜の中にきらきらと無数の明かりが輝いている。その光をぼうっと眺めていると、ガラスに自分の顔が映っている。はっと気付いて姿勢を正し、涙を拭いた。コルトは胸の前で、ぐっと両手を握った。映っている自分の目を見て、
「コルト、がんばれ。」
まだ鼻だけ少し赤かった。
「コルトちゃん、そろそろ食事にしようか?部屋は明日整理を手伝ってあげるよ。」
「はーい!今行きます。」
白い布がかかったテーブルに食べきれない程の量の豪華な食事が並べられている。
「わっ!すごい量ですね。」
「今日は歓迎のお祝いだ。いっぱい食べてくれよ。」
「食べきれるかなァ……。」
エラトーは華麗なフルートグラスにシャンパンを注ぎ入れ、それをコルトの前に差し出した。お酒が飲めないと断ろうとすると、エラトーは片目をぱちっとウインクさせた。ちらちらと泡が上がる様子は、天使が空に昇るように軽やかで美しかった。エラトーは自分のグラスをくいっと持ち上げて、
「では、二人出会ったことと、これからの運命に、乾杯。」
「乾杯。」
チンッときれいな音が鳴った。
魚のムニエルをナイフで切りながら、
「エラトーさん。」
「ん?なに?」「私、なんにもせずにここに住まわせてもらうのは、エラトーさんになんだか悪いです。」
「いいんだよ、そんなことは。どうせ一人で住んでるんだから、あの部屋も空いてるしさ。気にしないでいいよ。」
「あの、だから私、働いて、エラトーさんにそのお金を渡します!」
「ええっ!いいってば。コルトちゃん、本当に気にしなくていいよ。」
「いえ、ちゃんと働いて自立したいんです。自分のためにもそうした方がいいと思うんです。明日仕事を探しに行こうと思ってます。駅前に求人の掲示板があったので。エラトーさん、練習の時間はきちんと作るので、働いてもいいでしょうか?」
「そうか。自立のためにもか……。うーん、わかったよ。でも、あんまり無理しちゃだめだよ?」
「はい!ありがとうございます。練習もお仕事も、私がんばります!」
コルトの心は高揚していた。そうしていつもよりおしゃべりになった。これから先のことを語りあいながら二人の夜は更けていった。




