第十話
ノーマンが、是非にということでしばらくボンドールに滞在し、その間は毎晩彼らと音楽の交流をした。セイスもコルトも自分の楽器を使って彼らの音楽にこたえ、そしてそれを体いっぱいに吸収した。二人にとってその新しい感覚は、言葉にならないひらめきを生み出してくれるように感じた。
そして、その地域の人々とも心が通じ合ったころ、二人はそろそろ出発することをノーマンに伝えた。
「寂しくなるな。」
ノーマンが大きな体に似合わず涙ぐんだ。何人かお世話になった人々が見送りに来てくれていた。
「またいつでも会えるよ。この町に来てよかった。君たちの歌を聴いて、俺は何かわかったような気がする。」
セイスはそう言ってノーマンと固い握手をした。
「ノーマンさん、親切にしてくれてありがとう。」
コルトはもう目と鼻をまっ赤にして、くしゅくしゅ泣いていた。ノーマンの手を両手でぎゅっと握ってお礼を言った。ノーマンもくしゃくしゃの泣き顔になってコルトの手を握った。その光景はさながら美女と野獣のようで、セイスはふふっと笑った。すると泣いていた二人もふふっと笑って、そこにいるみんなが穏やかな笑顔に包まれた。別れは、新たな始まり。悲しいばかりじゃない。セイスはそう感じた。
ぶうおおんとバイクのエンジンをふかして、セイスはゴーグルをかぶった。コルトはちょこんと側車に乗っている。二人は後ろを振り返って、
「また必ず、ここに来るよ!」
そう言って、バイクは走り出した。
ノーマンは大きな腕をめいっぱいにぶんぶんと振っていた。コルトは後ろを向いてずっと彼らに手を振っていた。だんだん、小さく小さくなって、みんなの影が見えなくなるまで。
ボンドールから東へ進んだところに、この国でも一番か二番を争う、とても栄えた都市があった。街の名はテレスアーク。そこは通称『眠らない街』と呼ばれ、常に人が行き交う貿易都市であった。
セイスとコルトはこの街に入り、すでに何週間か経過していた。
「すごいなァ。この街の大きな広告。交通量の多さ。どの地域から来たって田舎もんになっちゃうよ。」
「そうだね。人はいっぱいだし、レストランもたくさん。セイスが毎日違う店に食べに行っても、きっと食べきれないよ。」
コルトがくすくす笑うと、
「そんないやしい人間みたいに言うなよ。」
セイスがむすっと口を膨らませた。その膨らんだほっぺたをコルトはつんつん突っついて、
「ごめんごめん、冗談だよ。」
コルトは、セイスと初めて会ったときの自分と今の自分とを比べて、満足の気持ちに包まれた。人のことを信じられなかった自分が、今こうやって一緒に旅をしているセイスと、こんなにまで打ち解けている。セイスの優しさと、毎日をともに過ごす時間とがそうさせてくれた。幸せってなんだろうと問われたら、きっと今のことを答えるだろう。しかし一方で、彼女の心にある不安が募っていた。それは今の感情と全く正反対のもので、幸せ過ぎる時間が、いつか壊れてしまわないかという恐怖と、自分の存在がセイスにとって、重荷になってしまっていないかという不安だった。その杞憂のような恐怖と不安が、幸せを感じると同時に、急に発生した嵐のごとく、コルトの胸をもくもく覆っていた。
「コルト、どうしたの?」
いつも通りのセイスの顔を見て、
「……ん、うん。なんでもないよ。」
「あ、あそこのホットドックがおいしそうだ。コルト、あれ食べてみようよ。」
セイスは笑顔で優しかった。コルトのことを考えて何かしたり、それも過剰な優しさや押し売りではなく、いたってシンプルな優しさだった。コルトは彼のそういった面に惹かれるのだが、その優しさを受ければ受ける程、うれしさと共に、セイスに何もしてあげられない自分がはっきりと目の前に見えてくるような気がした。
交通量の多い道路を臨むイスに座って、二人はホットドッグを食べていた。
「うまい、うまい。」
セイスが大きなホットドッグを口いっぱいほおばっていた。
「またのどつまらせちゃうよ?」
コルトの忠告にもがもがと言葉にならない言葉を放ちながら、セイスはあいかわらずホットドッグにかじりついていた。その姿は一生懸命食べている小動物のようで、コルトはなんだか胸がくすぐったいように感じた。
テレスアークはアートの街でもあった。色々な地域からここへアートを志す者がやってくる。音楽はもちろん、彫刻や造形、絵画などその種類は多岐にわたるものだった。それゆえ街を彩る色彩は自然とアートの色を帯びてゆき、いたるところに新鮮な驚きがあった。人の行き交いは激しく、ここでは肌の色は関係ないというように多種多様な人間がいた。二人はこの街が気に入って、今回は少し長めに滞在しようと決めたのだった。運良くたまたま入った料理屋でその話をしたところ、空いている部屋があるから、安いお金で貸してくれるということになった。店主の好意に甘えて、二人はそこに住むことになった。
部屋に戻って来たセイスは赤いソファにどんと腰を降ろした。コルトもその横に座った。
「はあ、家があるっていうのはいいね。落ち着く。」
「うん、本当に私たちにはもったいないくらいの部屋だよ。感謝しなくちゃね。」
「そうだね。」
セイスは街でもらってきたチラシをひとつ手に取った。
『本日セッションナイト! 世紀のサックス奏者エラトー・ムブールを迎える 六番街レストラン アートヴィレッジにて』
「コルト、今日セッションがあるらしいよ。んー、六番街だったらここからすぐだな。夕食はここに行こうか?」
「うん!いいよ。セッションか。どんな人たちがいるんだろう。」
「このエラトー・ムブールっていう人、大きな看板に写真があった女の人じゃないかな。有名な人みたい。」
コルトはサックスの手入れをしていた。この街の音楽家たちはすごい人たちばかりなので、コルトは少し緊張していた。それと同時に、どんな演奏が聴けるんだろうと胸がわくわくしていた。




