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序幕
薄紫に染まる空。迫り来るのは黄昏時。
本格的に夏の始まった江戸の町並みは、この時間になると帰りを急ぐ人の姿が見られる。昼日中は茹だるような暑さなのだ。早く夕涼みといきたいところなのだろう。
その中で、静かな通りに人影があった。低い位置で長い髪を結った、端整な顔立ちの青年だ。暗がりの通りで、そこだけが異様だった。
彼の視線の先には、揺れる影が一つ。
それを知らぬものは、あやかしと呼ぶだろう。
その正体は言霊。人の想いが具現化したものたち。
言霊を封じる者、それを言霊使いという。
青年は懐から帳面を取り出すと、言霊に向けて掲げる。そして何事かを呟いた。
するとどうだろう。言霊は帳面へと吸い込まれていった。
彼はちらりと通りに目をやる。誰にも見られていなかったようだ。
そうして彼は、帳面で口元を隠し、にいっと口の端を上げた。
「新たな言霊使い、かな?」
呟きを聞くものは誰もいなかった。