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序幕
誰が言ったか黄昏時。
夜闇が迫る江戸の町を、駆け抜ける一人の少女がいた。着物の裾が翻り、高い位置で一つに結った髪が揺れる。
年の頃は十六ばかりであろうか。旅荷を背負い、江戸に出てきたばかりということが見て取れる。
通りのまばらな人影は、何事かと目を向ける。それもそのはず、少女は逃げるように駆けていたのだ。追い掛ける人などいないのに。
とうとう少女は袋小路に追い詰められてしまった。息は上がり、額には玉のような汗が浮かぶ。
これまでか、と少女がきつく目を瞑った瞬間だった。
紙が擦れる音、そして墨のにおいがした。
『惑い迷いし言の霊 在るべき場所へと戻りたまえ』
凜とした声が響いた。
少女が目を開けると、そこには二人の男が立っている。
「怪我はねぇか?」
図体の大きい方が手を差し伸べてくる。反対の手には、なぜだか筆が握られていた。
ちらとその後ろに目をやると、細面の男が紙をひらひらさせている。先程声を発したのはこちらだろう。
黄昏時の裏通り。少女と男二人に紙と筆。
これが梅乃と言霊使いの出会いであった。