[贅沢は文化だ!]余分や無駄から生まれるもの
前回書いた『コミュニケーション』に関するエッセイが意外と好評でした。
初レビューや新作のリクエストがありました!
母校を思い出して第2弾のエッセイです。
学長先生の話から、私の考えをエッセイにしてみました。
普段の小説やエッセイと毛色が異なりますが、お楽しみ頂けますと幸いです。
短大時代を思い出して、更に社会人になって考えた事と一緒に、1本のエッセイにまとめてみようと思います。
誰かの人生の一場面で、少しでも役に立てたら幸いです。
短大で学長先生がよく話していたのは『贅沢は文化だ!』と言う言葉でした。
経済的な悩みを抱えている人からは不満の意見が出そうですが、冷静に続きを読んで貰いたいです。
『贅沢、無駄と言い換えてもいい。人類の文化、文明の進化は、贅沢や無駄の中から生まれてきた。
最低限の暮らし、質素な生活からは、ゆとりが生まれない。
新しい事を試行錯誤する時、時間や材料など余分な物が必ず必要になる。
この余分がないと、新しい文化や文明は発展しない。
余分や無駄、贅沢は悪ではない。
魅力があるから、人類は求め続けて、文明や文化を発展させてきた』
そんな話を学生や同窓生に繰り返し話されていました。
女子短大だったので、男性を例えに出された事もありました。
無駄を省くなら、背の低い、余り食べない、痩せぎみの男性が省エネで経済的です。
沢山食べれば食費はかさむし、大きな体では余分な布や広い居住空間等が必要です。
人間が子孫を残すだけなら、最低限の生殖能力があればいい訳です。
そして、顔や性格も関係ないはずです。
なので顔や性格良さや素敵な肉体は、無駄な部分とも言い換えれます。
つまりイケメンは無駄な存在!?
(あるいは贅沢でもありますが)
そして女性達は、そんな無駄で、余分な、贅沢を男性に求めます。
男性なら誰でも良いと繁殖したりしません。
恋愛や愛情と言った文化があり、相手の性格や、無駄な背の高さや、顔の良さ等、本来の繁殖には関係のない余分なものに魅力を感じて求めているからです。
当時はまだ、お金の話をするのは下品な事、贅沢やお金の話を余り外ではしない風潮の中でした。
いち早く国際化に力を入れると共に『豊かな文化、贅沢を体験させる』と持論を展開していました。
その分野の第一人者や一流と呼ばれる方々を講師に招いていました。
『習うなら三流講師でなく、その分野の一流の方から習いなさい』
母校でもよく聞きましたが、社会人になり医療分野の学会で著名な先生達も同じ事を言ってました。
最初の学びが一番重要で、下手な事を学ぶまえに、正しい知識を得ると同時に、楽しさも教わりなさいと。
一流の講師や第一人者の講義は、本当に面白いです。
最初に楽しく知識を深めていくと、学んでいる感覚より、遊んでいる感覚が強いですよ。
ですから、教育の分野でも初等教育を、大学教授のような一流の教師や第一人者から学べると、本当は良いのですが…。
脱線しそうでした。
贅沢を体験出来る環境が、母校には整っていました。
四半世紀前の学内には、エステティックサロンがあり、ゴルフの打ちっぱなしや、スポーツジムがありました。
大理石の床、天井から壁一面のステンドグラスやガラスからの明るく美しい日射し、広いサンルームに観葉植物があり、学生の憩いの空間がありました。
その地下がラグジュアリーなパウダールームやロッカー、更衣室になってました。
ピンク大理石の床がここも華やかでした。
お茶やお花を学ぶ、素敵な茶室を含む日本家屋を再現したフロアがありました。
アクアリウムがあり、絵画や美術品が各所に飾られていましたが、マリーローランサンと言う著名な画家の作品が数多く、学内中に飾ってありました。
館内の床はホテルの様に、絨毯が大部分でした。
シアタールームがあり自由にDVDを巨大スクリーンで見る事も出来ました。
CDやDVDや雑誌も、図書室には充実していました。
図書室もオーディオやパソコンスペースや、学習ブース、サロンスペースとラグジュアリーな空間でした。
学内のレストランに地域の老舗高級ホテルのフレンチのシェフが出張して来ていました。
普段からテーブルマナーに馴染むようにと、年10回、日にちを選んで予約してました。
和食は昔、皇族の方が宿泊された事もある、●万坪の日本庭園が素敵な料亭。
普通には予約が取れないお店でした。
観劇会や、中華料理のテーブルマナーもありました。
茅葺き民家が郊外のグランドにありゼミ合宿などで囲炉裏を囲んで親睦会をしていました。
テニスコートや屋根付きのグランドもありました。
体育の講義は2コマ続きで、スクールバスで移動してテニス等をしていました。
オリエンテーリング合宿はリゾートホテル。
講義や講演会の他に、親睦パーティーとスポーツ大会があるので、体操服にドレスに普段着…靴も三種類必要でした。
希望者が参加する海外研修は、現地のフォーマルパーティーへの参加や、バチカンの法王様との謁見、ビジネスクラスの旅。
お嬢様に手頃な国産車をと、1月2月頃は大理石のサンルームにクラウンを入れて、ディーラーの方がセールスに来てました。
(補足・お嬢様方の家では運転手付きや数千万円の高級輸入車を想定しています。サードカーに数百万円の国産高級車を手頃と勧めている状況です)
そんな学風でした。
異世界でしたね。
庶民で腐女子の私には、居るだけでHPがガリガリ削り取られる環境でしたが、何とか隠し通して(たと思いますが)卒業できました。
卒業とともに強制帰還し、2年で現実世界に戻れましたが…。
抑圧された底辺高校と180度違う環境で、庶民的な地元とも違う環境でした。
話を本筋に戻しますね。
私は思うんですよ。
この余分や無駄や贅沢は、物[物質]だけの事じゃないと思うのです。
見えない物にも当てはまると思うのです。
例えば時間。
隙間なくスケジュールがびっしりしていたら、息が詰まってしまいます。
ホッと一息付く時間が、気力や体力を回復してくれます。
生産的な[仕事、勉強、家事等の]時間だけじゃなく、非生産的な[マンガを読んだり、友達と会話したり、話題のスポットに出掛けたりする時間も]大切な時間だと思うのです。
気持ちや思考もそうだと思うのです。
無駄にぼんやりしたり。
どうにも成らない事を考えたり。
一見役に立たない事が、役に立た時がきっとあります。
『やるべき事を最短でやる』合理的ですが、想定外、予想外の事に弱いです。
日頃準備してない事、日頃やってない事は、咄嗟に出来ません。
[出来ないけど考えておく]
[今は役に立たないけど、やってみる]
こんな事を積み重ねて、チャンスが来た時に、生かせるように覚えておくのです。
人生を旅に例えて、最短時間で最低限のスポットを巡る旅、合理的に見て回れるけど、私は魅力を感じません。
余り皆の行かない場所に寄り道したり、地元の人とも交流したいし、出来れば長く滞在したいです。
寄り道せずに学業だけに打ち込み進学し、成りたい職業に就く。
本人は夢が叶って幸せな反面、勉強と仕事だけしてきた人生は本当に豊かなんでしょうか?
社会で一般的には評価されなくても、豊かで素敵な事も沢山あります。
勉強でもテスト範囲や教科書の中だけでなく、関連分野を広く、深く学んで行くと面白さが見えてきますよね。
余分な学習が楽しみになる瞬間です。
点と点とでしか無かった1つ1つの知識が、自分の頭の中で面や立体になるには、隙間を繋げる無駄な知識が必要です。
余り余分な知識のない新卒の先生の授業より、講演慣れした専門家の話とかのが、分かりやすくて面白いですよね。
教科書をまとめただけの話より、教科書から脱線しても興味や感心のある話をしてくれる方が、良くないですか?
余分な知識、余分な体験。
その贅沢さが伝わりましたか?
余分な経験は、その人に厚みや深みを与えてくれると思います。
いろんな無駄や余分や贅沢をして、きちんと覚えておいて、ここぞの時に思い出してみて下さい。
あなたの中に詰まった余分や無駄が、あなたが贅沢で文化的な生活をする助けになるのではないでしょうか?
『贅沢は文化だ!』
その真意はこんな事じゃないかと思うのです。
お読み下さり、ありがとうございました。
四半世紀前の母校の様子も入れて、学長先生の言葉の真意が伝わりやすいようにしました。
例えも他にあったハズ何ですが、忘れてる…
19歳20歳の時、あの例えはインパクトがあり、他の時に他の例えも聞いてたハズですが、記憶から消えてました。
学長先生には●年前に母校の創立●●周年パーティーで拝顔しました。
変わらない様子でしたね。
それを期に、友達とも定期的に再会しています。
学生の時より、今の方が色々話せて不思議な感じです。
大人が『学生時代の友人は一生の財産』って言ってたのが本当だと実感中です。
友達、大事にね。
後、自分の中に何も残らないような『浪費』は良くないですよ。
良い無駄、良い余分、良い贅沢…ご自身で考えてみて下さいね。