試衛館へ
居候で住込み希望と啖呵を切った以上は他の試衛館食客連中と同じ生活をする訳にはいかない。
近藤の妻ツネは「勝手場の事はわたくしがしますから」と言ってはくれたが「暫くやらせて下さい。それでも迷惑やったら直ぐに別の事しますさかいに」と頼み込んで皆の食事作りから始めた。
特にこれをしろと誰かに言われた訳でもない。せっかく江戸で培った商売人の腕を何にも活かさないのも養父母に申し訳ない気持ちがあったからだ。
皆が稽古をしている様子を気にしつつも昼餉の準備をした。時々何人かの食客達が覗きに来ているのは気配で判ったが、とにかく今は気にしない事にした。
稽古が終わり昼餉となった。皆が部屋に戻って来る迄に全て膳は整えた。
贅沢の出来ない道場である事は近藤からもツネからも聞いていたので、食材には恵まれなかったが出来るだけ見栄えと味付にはこだわったつもりだ。
無言で皆食べている。
全員が食べ終えたのを見て「お粗末さんでした」と声をかけ膳を下げた。
勝手場で片付けをしていると原田の声が聞こえた。
「近藤さん、あいつ何者なんだ?こういっちゃあ何だがツネさんより美味い飯を作るじゃねぇか」
「おい」土方が短く原田を制したがそれ以上は言わなかった。
近藤はにこにこして言った。
「なかなかいい腕を持ってるだろう?おそらく手先は相当器用だ。養子先の商売柄、食事の出来も上々。多分しっかり修行してたんだろうなあ」
「飯炊き男を入れたんじゃねぇぜ」土方は近藤に言った。
「まあそういうな。山南さんと総司が言っていた新八さんとの試合。あの時のあいつの目や足には見込みがあるってな。しかも飯も美味いとなりゃ後は剣術を教え込めりゃ有望じゃないか」
「俺は絶対剣術じゃ負けないから」藤堂が誰に言うでも無く呟いた。
「平助、皆もそうだがあいつを支えてやってほしい。京から江戸まで来て跡取りの為に養子になり修行してきたにも拘らず一大決心したんだ。養子という立場上それなりに辛い事も多かったはずだ、その気持ちは俺には判る。自分の生きる道をこの試衛館で見つけてくれたなんて嬉しいじゃないか」
『好き勝手な事言うてりゃえぇわ』近藤の優しさに素直になれない自分がいた。
片付けが終わったら井上が稽古をつけてくれると言っていた。とにかく前に進む事だけを考えればいいのだ、と器を洗っていた。
…が、その手が一瞬止まった。
殺気。
別に背中に目がある訳ではないが何かを感じる。気付かぬ振りをして音を立てずにまた器を洗い始めたが、気配に耐え切れず菜箸一本を握って咄嗟に振り返った。
斎藤だった。
「そんな棒でどうしようっていうんだ」
「斎藤さん、さっきから見てはりましたね。あと、藤堂さんもそこに隠れてはるやろ」
藤堂が現れた。
「見てみたかったもんだな、永倉さんとの試合」
「これから稽古です。それに永倉さんには一本も取れてへん。逃げられへんかっただけの事や」
「早く追いつけよ」斎藤は去っていった。
藤堂は動かない。
「まだ何か」
「飯は美味かった」
『道の選択間違うたやろか…』ふっと自分でも可笑しくなってしまった。一つ一つ順番だ。
初めから全てを皆に受入れてもらおうなど端から考えてはいない。
自分の志、心根、努力。怠ってはならない。何かを認めてもらうには自分次第なのだから。
「稽古場で待ってるよ」
井上が声をかけにきた。
「はい!直ぐに行きますよってに」
井上は頷いて歩いていった。