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新選組無名隊士日誌  作者: 綿谷和子
戊辰戦争
57/60

彼は永倉と原田を追いかけ二人の目の前に立った。

「本気で言うてはるんですか」

「お前もついてくるか。...いや、お前には無理か」

永倉は一歩彼に近づき告げた。

「俺も新八さんもさ、局長って肩書とはいえ仲間だと思ってたのさ。本心言やぁ今だってそう思ってるさ。俺らが近藤さんの家臣だなんてよ、考えた事も無かったさ」


三人は今後の方針をめぐり意見を交わす中、言論と行動に小さなひび割れを作ってしまった。そのひびはあっという間に蜘蛛の巣の如く延びてゆき、けして取り去る事は出来なかった。


甲陽鎮撫隊の敗北、隊士の脱走。

これまで揺るぎない厳格な鉄則の中、新選組局長としてまとめ奔走してきた近藤だが、徳川慶喜が江戸へ退却したあたりから迷いと焦り、そしてそれらに対して気持ちを打ち消すように出た行動が全て裏目に出た。それは長年の信頼関係をも崩壊させてしまった。


「脱走は切腹ですよ」

「時が変わったから、そんな規律も不要だとさ。ま、そういう事だ」

原田は歩き出した。


「お前、死ぬなよ。行ける所まで近藤さんと土方さんについていけ」

永倉はその後、原田や他の新選組隊士と共に幕臣 芳賀宜道を隊長とした靖共隊を結成した。


土方は斎藤を呼んだ。

「先に会津へ行ってくれ。二十人程になるが行けるか?」


〈会津を死場に...〉甲州から江戸へ戻る際、近藤はそう考えていた。

隊士数が減っていたとはいえ全員をまとめるだけの力は余り無かった。その為、隊士の一部を永倉と原田に一任したのだが、二人は近藤が敗戦責任を取るために自分達に全指揮権を命じたと思っていた。

永倉らは隊士と共に会津へ向かう決意を固め近藤に意思を伝えるも、指揮権の考えが相違していた両者は感情が先に立ってしまった。原田が言った家臣云々は、そのようなもつれから発せられたものだ。

しかし結果的には会津へ向かうという方向性は同じだったのだが。


斎藤と共に会津へ先発した隊士を除いた四十数名は近藤達と行動する事となる。彼もこの中に居た。

「何に向かって行ってるんやろ」


五兵衛新田の名主見習い 金子健十郎邸を屯所とし新たに隊士を募集するが、所詮は寄せ集めに過ぎない。今から形となるまで如何程の時間を要するのか。

また、甲陽鎮撫隊と何の関わりも無い金子邸にとっても迷惑な話だった。


大久保剛と名乗っていた近藤は再び名を変え、大久保大和と改めたが近藤勇であるという事はまだ知られてはいなかった。

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