東下
慶応四年一月六日 深夜。
この夜に起った事件は近藤にとって全てを失うきっかけであったかもしれない。
大坂城で指揮をとっていたはずの徳川慶喜が松平容保らを連れて江戸へ帰還したのだ。
天保山沖に停泊していた軍艦・開陽丸は慶喜らを乗せ闇の海を渡った。
鳥羽伏見での戦の際、戦場に錦の御旗らしき物がはためいていた。新政府は朝廷の軍隊であり、それに反する者は賊軍・朝敵であるという印だ。
慶喜は朝敵とされた事に不安を感じたのだろう。
しかし彼は出来過ぎている展開に不審を持っていた。
あれは本当に錦旗なのか?
彼ら新選組が固めていた場所から旗が上がっていたのは確かに見えた。だが、それが錦旗かどうかまでは誰もはっきりと確認していないのだ。
自分達が旧幕府軍であるという認識の立場から、思い込みにより退却させ、慶喜が指揮を放棄する…全て仕組まれた策だったのではないだろうか。
「後から〈こうであったかもしれない〉なんてものは意味をなさん。戦じゃ誰も待ってはくれない。瞬時にあらゆる可能性や判断が出来ないなら、その場はそこで負けたのと同じだ。振り返った所でどうしようもない。…死んだ奴が生き返らないのと同じ事だ」
斎藤は彼に言い放った。
その頃、先の戦で重傷を負っていた山崎の姿は無かった。
山崎の最期を知っているのはおそらく土方だけであろう。他の幹部隊士もあえて誰一人として問わなかった。山崎は最期まで監察である自分を貫いた。
「これから俺達は江戸へ向かう。二隻に別れて乗船する事をお許し頂いた。局長と幹部、怪我の具合が悪い者は富士山丸、他の隊士は順動丸だ」
土方の眼に迷いは無かった。しかし近藤の目線の先は土方とは違っていた。
順動丸に乗船していた島田に彼は問うた。
「近藤先生と土方さんは別々の気持ち持ってはる気ぃがするんです。何となくやけど先生は折れてしまわはった…心が」
島田は何も答えなかった。
『誰かを信念の理由にしていたら、その人が居なくなった時に自身も喪う』
山南が言っていた言葉を彼は思い出した。
一月十五日 全隊士が品川に到着した。
江戸での新選組屯所は鍛冶橋門内の元若年寄秋月右京亮種樹屋敷に決まった。




