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新選組無名隊士日誌  作者: 綿谷和子
新選組へ
21/60

足音

土方歳三の居室襖が珍しく開いていた。

何処かへ行ったのか閉め忘れたか…覗いて見ると何やら真剣に文机に向かって書き物をしている。


彼は(気配を何処まで消して近づけるか)という遊びを始めた。書き物の内容まで読める程に近づくも土方に反応が無い。しかし彼はその内容を見て堪え切れなくなり吹き出してしまった。


「…おい!!」土方が驚いた様子を見せながら怒鳴った。


気配を自分で明かしてしもたら意味無いわ、と思いつつひとまず心に無い詫びをした。

「えらいすんません。いやぁちっとも気ぃつかはらへんもんやさかい、どんな難しい事書いてはるんやろと思いましてんけど…あんまり上手やあらしませんなぁ。というより土方さんはわかり易いお人や」一気に言い終え、更に怒鳴られる前にひょいっと逃げた。


ちっ。土方は軽く舌打ちして文に書き添えた句を見た。「報国の 心忘るる 婦人かな」


文久四年、徳川家茂の再上洛が決まった。

幕府としては「公武合体・朝廷との協力体制」を取りつつも政は幕府が主導権を握る事が大前提であった。攘夷問題が解決しない現状、「攘夷に向けて鋭意努力継続中」である姿を見せるには将軍が前に出るより他はない。


八月十八日の政変により過激攘夷派の公家や長州藩は京から閉め出したものの、将軍上洛となれば警護が必要になる。この任務に新選組は就ける事となった。新選組にはこれまで目立った実績が無いのだ。


家茂は一月八日に大坂城へ、十五日に二条城に入城した。

彼らにとっては大きな任務を終了した事になる。


同じ頃、松平容保は体調を崩していた。翌月、容保は陸軍総裁職への転任が決まる。新たな京都守護職は松平慶永であった。しかし近藤が幕府に捨て身の嘆願をした結果、容保は京都守護職に復職する。


一見落ち着きを見せたかの京ではあったが、将軍上洛・容保の転任騒動の裏で長州志士達は密かに動き出していた。

会津藩や新選組を批難する高札が度々立てられていたのだ。


中でも元治元年二月に四条大橋に立てられた高札は痛烈に新選組を批判していた。

その他にも桝屋喜右衛門という人物が居住する宅の戸に公武合体派への批判文書が貼られていたのだ。

この男は薪炭商の桝屋に養子として入っているのだが、後に新選組の歴史に大きく関わる大事件に発展する事となる。

その後も木屋町で起こった火災に際し新選組が捕縛した男の自供により、二五〇人の長州人が京に存在する事が判明した。


幕府は長州過激派の動きを重大視し「見廻組」を結成させる。

新選組と異なるのは見廻組が御家人や旗本から結成されている幕臣である事だった。


手柄はどちらが立てるのか。新選組最大の事件は目前に迫っていた。

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