08
今回の内容は短編で投稿した「柴犬先輩の尻尾」を甘さ加筆修正したものです。
大筋の流れは変わりません。
「ヘイ!そこの彼女たちー!」
「……でね、その時のみっこったら可笑しいの!」
「えー?本当にそんなことしたの?」
「やーめーて!もう!ナナってば、その話は内緒にしてって言ったでしょー!」
背後から聞こえてきた声を丸っと無視して、あたしたちはきゃっきゃっと話を続ける。
奈々が話しているのは、今日の美弥子の失敗だ。明るくてムードメーカーな美弥子だけれど、少しおっちょこちょいなところがある。そんな彼女は家庭科の授業を移動している際に、授業で使うエプロンではなくお弁当を持ち歩いていた。その時のあたしは先生に呼ばれて二人とは別行動だったので、現場を押さえられなかったのは誠に残念である。その場にいたら思いっきり笑ったのに!
「奈々ちゃーん!美弥子ちゃん!若葉ちゃーん!無視しないでよー!」
「はいはい。それで?」
後ろで半泣きになっているのは亮くんだ。今日は来ている薄手のパーカーは白い蛇のようである。安定のフードには顔付きだ。
奈々が面倒臭そうに後ろを振り向いたので、あたしと美弥子も同じように彼を見た。
「テストも終わったしさぁ、みんなでどっか出かけない?」
「どっか?」
気を取り直した亮くんはにこっと笑ってあたしたちを見る。そんな亮くんに、奈々が首を傾げて聞き返した。
「海とかー、屋内プールとかー、屋外プールとかー」
「全部水着じゃん」
「……冗談に決まってるじゃナイカー!三人とも部活入ってないよね?これから遊びに行かない?」
透けて見えるどころか、はっきりと分かりやすい下心に女子は容赦ない。美弥子がずばりと突っ込むと、亮くんは今さらながら冗談として流すつもりらしい。
「あたし塾あるからパス」
「あたしもバイトー」
「……あ。ポン太の散歩!」
賢い奈々は、秀才型で週の半分以上を塾に通っている。そして、美弥子は自由な校風をこれ幸いとアルバイトに費やしていた。意外と二人は忙しく、ノー部活・ノー塾・ノーバイトなあたし一人が暇なようである。
いや。暇ではない。あたしには大事な用事があるのである。危ない、危ない。
「亮。若葉さんたちにあんまり迷惑かけるな」
「何だよー!悠真なんて、全然俺と遊んでくれないじゃん!」
「俺は部活なの。仕方無いだろ」
そこに通りかかったのはスポーツバッグを肩から下げた悠真くんだった。悠真くんはフード越しの亮くんの頭に、ポンと宥めるように手を置く。そんな悠真くんに亮くんは拗ねたように口元を尖らせて文句を言っている。
「悠真くんはこれから部活?」
「うん。今日はグラウンドで紅白試合なんだ」
「え?そうなの?じゃあ、見に行こっかなー。まだ、塾まで時間あるし」
「そうだね。あたしもバイトまで時間あるし」
「奈々ちゃん……美弥子ちゃん……」
悠真くんが来て、態度がころっと変わる女子たちに亮くんは思いっきり項垂れている。恋愛感情が無くても、イケメンは正義だ。
亮くんも決して悪くないし、どちらかと言えばイケメンの部類だろう。でも、彼の軽いキャラクターが三枚目に見せているのだ。黙っていればなんとやらというやつかもしれない。うむ。
「じゃあ、あたしは……」
「今日はみんなで悠真の応援をしよう!うん!」
「そうね。さ、若葉も行くわよ」
「う、うん」
奈々と美弥子が亮くんを引き連れて先に歩いていったのを慌てて追いかける。すると、隣に居た悠真くんが不満そうな声で口を開いた。
「……若葉さんも来るの?」
「もしかして、ダメだった?」
「ダメじゃないけど……」
「どうしたの?」
煮え切らない悠真くんにあたしは先を急かすように問いかけた。来るなって言うなら行かないけど、奈々と美弥子は怒るかもなぁ。
「若葉さん。俺の耳が一番?」
「え?」
「……もう触らせないよ」
「一番!」
「そう。ならいいけど。じゃ、着替えがあるから俺は先に行くね」
「う、うん」
あたしが素晴らしい反射で返事をすると、悠真くんは満足そうににっこりと笑う。そしてそのまま軽い足取りでさっさと行ってしまった。確かに悠真くんはまだ制服だし、試合の前に着替えないといけないのだろう。
あたしがようやくグラウンドに着くと、三人はすでに場所取りを済ませていた。我が校の花形である、サッカー部の紅白試合の噂は女子生徒に広まっていたようで少なくない女子の姿がある。
この広いグラウンドを走り回るなんて、あたしにとっては完全に罰ゲームだ。それを好き好んでやりたがるなんて、信じられない話である。でも、ポン太なら喜ぶかな。
「……あれ?」
「どうしたの」
「いや、何でもないんだけど……。あの、一番前で走ってるのって」
ふいにたくさんいるサッカー部の集団の中の一人に目が留まる。そんなあたしに気付いて、美弥子が不思議そうに聞いてきた。確かに先ほどまで興味のない素振りをしていたのに、急にサッカー部を注視しているのだから不思議に思うのも無理はない。
だけど、今はそんなことよりもである。
「芝山先輩じゃない?」
「ああ。三年の?いっつも元気でなんかかわいいよね」
「えっ、えっ!奈々ちゃんのタイプってそっち系!?」
一人の男子をじっと見ていると、目の良い美弥子がかの人の名前を教えてくれた。運動量の多いサッカー部の中でも、一際元気に走り回っている人はあたしのひとつ上の三年の芝山先輩と言うらしい。奈々にかわいいと言わしめさせる先輩は遠目から見ても、一生懸命で応援したくなるような雰囲気がある。
だが、あたしが注目しているのはそれが理由ではない。元気に走り回る彼の尾てい骨部分、そこには走りながら揺れるくるんと丸まった尻尾があったのである。豊かな毛並みに包まれている、よく街で見かける日本犬のそれにそっくりなあれだ。
「……芝山先輩のお尻……」
「ん?そういえば土付いてるね。スライディングでもしたんじゃない?」
それがあたしにしか見えていないのかどうかと悩んだ末に搾り出した声だったのだが、それに対して奈々が事もなさげに返事を返した。確かに彼のハーフパンツには土汚れのようなものが見えているが、あたしが言いたいのはそこではない。
「若葉のえっちー!どこ見てるのよー?」
「そ、そんなんじゃないもん!芝山先輩に――っ!」
からかう調子に声が変わった美弥子に言い返そうとしたが、あたしの口が最後まで言葉を発することはなかった。
なぜなら、あたしの口が言葉を発する前にそれが誰かの手によって塞がれたからである。後ろからあたしの口を塞ぐその人を見ようと振り返るよりも先に、声のトーンが一つ上がった目の前の肉食女子たちを見てその人が分かる。そしてそれと同時にあたしは自分が何を言おうとしたのかということに気付いて青ざめた。
「あ!悠真くん!お疲れ様ー。超かっこよかった!」
「うん、うん。格好良かったよー」
「……女子の黄色い声援!悠真、羨ましいぞ!このやろう!」
「美弥子さん、奈々さん、ありがとう」
「もご!もご!」
にこやかに話す彼女たちは、あたしのことなんて視界に入る余地もないとばかりに悠真くんに向かって笑い掛けている。
だが、一年の初めから仲良くしているあたしたち。友人歴は確実にあたしの方が長い。
つまり、何を言いたいかと言うと……助けて欲しいのであります!
視線で必死に訴えるも、悠真くんはにっこりと笑ったままあたしの姿を背に隠した。
「え?何?向こうで人が呼んでる?じゃあ、案内してもらおうか。若葉さん?」
「若葉、あたしたちここで待ってるねー」
「もごーッ!」
そしてあたしは人気のない、校庭の端にある水飲み場まで拉致されたのであった。水飲み場の傍には学校のシンボルツリーでもある樹齢ウン十年だとかいう大きな木が生えていて、それは見事にあたしたちの姿を人の目から隠している。
「――それで?若葉さんは奈々さんたちに何を話そうとしたわけ?」
「えーと、それは、そのー……ね?」
「ね?じゃないでしょ。若葉さん、約束したよね?俺と。それとも聞こえないとでも思った?」
「すみません!ついうっかり口が滑りそうになりました!」
何とか誤魔化せないかと言葉を濁そうとしたが、それも早々に無駄と判断した。そうなると、できることはただ一つだけである。
断じて悠真くんの冷たい温度の声にたじろいだわけではないが、速攻で全力謝罪へ方向転換をする。土下座もオプションで付けた方がいいかな、と思ってる頃合で悠真くんが大きくため息を吐いた。
「ついうっかりじゃないよ。……ったく。俺は耳がいいから若葉さんが話してるの、全部聞こえてるからね」
「え。耳、触っていいの!」
「……って、まだいいって言ってない!わー!もう、すぐそうやって人の耳を触って……!ちょ!若葉さん!」
ぴょこぴょこと動く悠真くんの耳から許可が出たような気がしたので、遠慮なく触らせてもらっているとあたしたちの背後からがさりと草を踏む音がした。
「おーい、悠真。練習始まるぞー……って、お前ら何してんだ」
「わっ、芝山先輩!」
「芝山先輩?わぁ、やっぱり!素敵な尻尾!」
「……尻尾?」
訝しげな顔で眉を顰めた先輩と満面の笑みのあたし。そして青ざめる悠真。本当の時間はほんの数秒ほどのことだったと思うのだけれど、後に悠真は数時間にも感じたと話していましたとさ。
だって考えてもみて欲しい。
目の前にはですよ?くるんと可愛らしく丸まった茶色と白の毛で包まれた、柴犬のお尻に付いているあの素敵な尻尾があるのだ。それを見て、触らずに居られるのなら、きっとそれは普通の人です。はい。
「すいません!かくかくしかじかで尻尾触らせて下さい!」
「は?え!お前まさか見えて……ぎゃっ!」
「若葉!お前俺の耳が一番とか言ってただろ!」
というわけで、芝山先輩の尻尾を襲うあたしとそれを回収する悠真くんという阿鼻叫喚の一コマがあったのも懐かしい話です。
え?懐かしくないって?
とは言いつつ、大して甘さの加筆はできなかったのが無念です。