07
それは日課のポン太のとの散歩に出掛けている時に起こった。
「あれ、若葉さん?」
「奇遇だねぇ。この子はうちのポン太。――ポン太、この人はクラスメイトの悠真くんだよ。悠真くんは部活帰り?」
緑の多い公園はちょうど良い散歩コースで、ここを抜けて河川敷をぐるりと回るのがいつものお決まりのルートである。そんな見慣れたいつもの公園で、見慣れない長い耳が目に留まった。
近付かなくても、その特徴的な耳を持つ少年は同じクラスの悠真くんに他ならないとすぐに分かる。彼以外にその耳を持つ人を知らないし、何よりもうさ耳の美少年は目につく。
ひらりと手を振って名前を呼ぶと、大きなスポーツバッグを肩に下げた悠真くんが、驚いたようにあたしを見ていた。目が合った彼ににこりと笑って近付くと、側に居る愛犬のポン太にジャーキーの賄賂でお座りを命じて横に座らせた。あたしのかわいいかわいいポン太を紹介してあげようというわけである。
「うん、そうだけど。……俺のこと弄んだんだね?」
「え?ちょ!何だかよく分からないけど、とりあえず、黙ろうか!」
しかし、悠真くんはポン太を見るなり怨めしそうな目であたしを一睨み。その上、何だかよく分からないけれど聞かれてはまずそうな単語を口にしているてはないか。
緑が多く広い公園と言えども、近くには日向ぼっこのお年寄り、楽しそうに散歩中の親子、愛の語らい中のカップルなど、老若男女がキャッキャウフフと集まる場所だ。あたしが慌てて彼の口を塞ごうとしていると、ポン太が動く。
ポン太はフン、フン、フンと三回悠真くんの匂いを嗅いだかと思うと、最後には鼻で笑うかのような仕草で鼻を鳴らして顔を背けてしまった。
「え、ポン太?」
「犬の分際でずいぶんだな、おい」
「……」
「は?言っとくが、この女は俺の毛並みに夢中だからな」
「……ワン!」
「そんなこと知るか」
「グルルルル」
「だからそれがどうしたって?」
「ワンワン!」
「俺には関係ないし」
そして、あたしは置いてきぼりであった。悠真くんはポン太の視線に合わせるように屈むと、まるで人間と話すかのような自然な様子でポン太に話しかけている。その上、まるで会話が成り立っているかのような表情をこの犬と少年は浮かべているのだ。
ええと、何だっけ?こう言うときは羊を数える?いや、違う。それは眠れないときにやるやつで、実際に試しても余計眠れないっていうやつ。っていうか、あたし今夢でも見てるのかしら。だって夢でしょ。人間と犬が会話とかありえないし。あれ、でも、悠真くんは人間じゃなくて?でも、普段は普通に人間みたいに暮らしてるから耳以外は人間なんじゃないの?ってことは、やっぱり夢か。そうなの。
「――じゃなくて!」
「何?」
パニックから脱して、どうにか絞り出した声に1人と一匹は会話を止めて面倒臭そうにこちらを見た。なんだか一発触発の雰囲気が二人の間に流れているのが、空気が読めなくても分かる。
基本的に大人しくて穏やかな気質のポン太がこんなに嫌そうな態度を示したのは初めて見るかもしれない。ポン太は私の事を嬉しそうに見ながらも、悠真くんを警戒している様子を隠そうともしないのである。
「えっと、悠真くんってポン太と話せるの?」
「……そういえば、普通の人間って動物と会話できないんだっけ」
気になっていたことを質問すると、悠真くんは今更ながら「間違えた!」という表情を全面に出してぽつりと呟いた。普通の人間というのは、もちろんあたしのような人間のことである。そして、ふと気付く。
「ゆ、悠真大先生!それってあたしにもできるようになるの?」
「無理。お前ら耳悪いだろ」
それはまさに飛びつかんばかりの勢いだった。もしポン太と話せるならば、と夢は広がる。そもそも、悠真くんは犬だけでなく動物という広範囲な言葉を使っていた。つまり、悠真くんが話せる種類の生き物は相当多いということである。手始めに何を聞こう?とりあえず、何が何でも食べてくれないフードの何が嫌いなのかは一度聞いてみたいと思っていたのだった。一口食べて食べなくなった餌だって、捨てるの勿体無いんだからね!ちなみにあたしはいつも食べてるフードと食べ比べて見たけど、違いは分からなかったよ?
しかし、そんな願いも目の前の美少年はあっさりと切り捨てた。
「み、耳……?」
「耳遠いから無理。練習して身に付けられるようなものじゃないから」
文字通り、ガーンと漫画さながらの効果音を背負ってその場に崩れ落ちた。がっくりと両手を地面に置いて崩れ落ちると、それを慰めるかのようにポン太があたしの顔を覗き込んだ。そうだよね、言葉が通じなくても私たち通じ合ってるよね!
「そんなに落ち込まなくても……」
「せっかくもっともっと仲良くなれるかと思ったのに」
「えっ」
「ポン太と話したかった」
「……そっちか」
一瞬顔を赤らめた悠真くんはすぐにため息を吐いて肩を落とした。何だろう。部活の後で動悸息切れですか?サッカー部って練習がハードらしいもんね。そもそも、あのバカみたいに広いグラウンドをボールを蹴って走り回るとか理解できない。それだけでもう絶対キツイ。ちなみにあたしは一番嫌いな種目は長距離走である。秋のマラソン大会に向けて、今から中止になるようにてるてる坊主を逆さまにして準備しておくべきだろう。
「そ、そうだ!悠真くん!」
「何?」
あたしは彷徨わせていた思考から戻ってきて、はっと気付いて悠真くんを見る。悠真くんはそんなあたしの顔を見て、不機嫌を隠しもせずに眉を寄せて返事を返した。
「ポン太の言ってること分かるんだよね?」
「やらない」
「えっ!あたしまだ何も言ってないけど!」
わくわくと踊る心を隠せずに悠真くんを見れば、悠真くんは冷たい声で一刀両断。しかし、あたしはまだ何もお願いはしていないのである。驚いて悠真くんを見れば、彼は呆れた顔でこちらを見ていた。
「どうせ通訳しろとか何とか言うんだろ?」
「よ、読まれてる……!」
「そんなの考えなくても分かる。若葉さんの顔に全部書いてるし」
「神様、仏様、心優しい悠真様!悠真様かっこいー!」
苦し紛れのよいしょであったが、悠真くんはピタリと動きを止めてあたしを見た。これは好機である!
「……一つだけなら聞いてあげるよ」
「じゃあ、この間食べてくれなかったフードの何が嫌だったのか聞いて!」
「はぁ。……おい、犬。それで?……あー、なるほどな。分かった」
あたしにはじっとしているポン太と、ポン太に話し掛ける悠真くんという光景にしか見えないけれど、それでも彼らはしっかり話しているらしい。悠真くんはなるほどと頷きながらポン太の話を聞いているようだ。しかし、悠真くん曰く聞こえの悪いあたしの耳にはやっぱり悠真くんの声しか聞こえてこない。テレパシー的なものとは違うのかなぁ?
「それで?ポン太は何だって!」
「前のは油っこくて、胃がもたれるそうだ」
「そ、そうだったの。あ、ありがとう」
犬にも胃もたれがあるという衝撃の事実に戸惑いを隠せない。動揺したまま頷けば、悠真くんは用は済んだとばかりに立ち上がる。
「それじゃあ、俺帰るから」
「あ、うん。今日はありがとう。また明日学校でね」
あたしが悠真くんに改めてお礼を言っていると、それまでじっと座っていたポン太がおもむろに立ち上がって悠真くんの側に近付いた。かと思うと、すぐにポン太はあたしの横に戻ってくる。別れの挨拶をする程度には仲良くなったのかな?
「……うるさい。犬に言われたくない」
「え?何?何話してるの?」
「別に、何も」
悠真くんはポン太に向かって不機嫌に言うと、くるりと踵を返してしまう。しかし、明らかに何かを話していたわけで、気にならないわけがない。
あたしが悠真くんの背中に向かって言えば、悠真くんは振り返りもせずにそのまま行ってしまった。
男同士の会話だから女子禁制ってことなんですか!あたしもポン太と話したいのに!
※某犬と某兎の会話
「犬の分際でずいぶんだな、おい」
「草食動物には言われたくねぇな」
「は?言っとくが、この女は俺の毛並みに夢中だからな」
「……あ?そんなショボい毛よりも、俺の豊かな毛並みの方が魅力的に決まってるだろうが」
「そんなこと知るか」
「言っとくが、俺と若葉の付き合いの方が長いんだからな!」
「だからそれがどうしたって?」
「どうしたもこうしたも、若葉は俺の女だ!」
「俺には関係ないし」




