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05

「あ。牧瀬さん!」

「島田さん」


 廊下で声を掛けて来たのは、先日うさぎの本を紹介してくれた同じ図書委員の島田さんである。あたしは足を止めて、彼女に振り向いた。


「うさぎの本どうだった!」

「え、あれね。うん、無理そうだった」

「無理そう?」

「あたしの家に犬いるって言ったじゃない?」

「うん?」

「この間、ちょっとだけうさぎに触る機会があったんだけど――」


 キラキラとした目であたしを見てくる島田さんには申し訳ないが、あたしは肩を落とし困った顔を浮かべるしかなかった。そして、島田さんに事のあらましを話し始めたのである。


 悠真くんとの衝撃の放課後を終えて、あたしは家路に着いた。十六年過ごした我が家は、築二十年の木造住宅。あたしが小学生のときにお父さんが中古で買った、夢の城というやつである。そんな父の夢の城の、やたらと最近がたがたうるさい引き戸を開けると、そこには我が愛犬ポン太がいつものように待ち受けていた。


「――ポン太、ただいま!」


 あたしは引き戸を閉めて玄関に膝を着くと、大きく手を広げる。そして、いつものように愛犬が飛び込んで来る――はずだった。


「え?あれ?ポン太?」


 ポン太はあたしの手の先に鼻先を近付けたかと思うと、クンクンと匂いを嗅いだ。そして、フンッと鼻を鳴らすと、いつものようにあたしに大歓迎の飛び付きをするでもなく、背を向けてしまったのである。


 そう、ポン太はうさぎ――悠真くんの匂いを嗅ぎ取って、機嫌を損ねたらしいのだ。生活していて、他人の満員電車に乗った時など、どうしても他人の匂いがついてしまうことはある。でも、そういう時は大丈夫なのだ。あたしが動物園に行ったり、他所で動物を触ったときにだけポン太はこういう反応をする。

 つまり、ポン太にとって悠真くんはうさぎであるとしっかりバレているのだ。

 そして、そのポン太の機嫌を直すのがどれだけ大変だったことか!いつもはあたしにくっついているのに、一定の距離を開けてあたしを一瞥するのみ。大好きな散歩にもあたしと一緒には行きたがらないしで、結局は大好物のおやつで釣りました。あの高級無添加鹿ジャーキー、高校生のお財布には高いんだからね……!


「――そっかぁ。わんちゃんがやきもち妬くなら仕方ないねぇ」

「そうなんだよね」


 もちろん悠真くんのことは伏せて、掻い摘んで説明すると、島田さんは残念そうに肩を落とした。

 違うクラスの島田さんとはそこで別れて歩こうとすると、何だか鋭い視線が背中に突き刺さる。振り返るとヤバいようなそんな予感がしたので、そのまま歩こうとすると隣に誰かが来た。


「ふーん。『ちょっとだけ』ね」

「そ、そうだよ!あたしからしたらちょっとだけだもん」

「へぇ」


 悠真くんはよく聞こえるらしい耳であたしの会話をしっかり聞いていたらしい。能面のような顔であたしを見ると、そのままあたしを通り越してさっさと教室に入っていった。


 ポン太にどうせバレるなら、もっと触らせてもらっておけば良かったと思っていたのだけれど、それは心の中に留めておいて正解だったらしい。

 危ない、危ない。


 あたしは抱えていた大きな地図、その他諸々を抱え直すと、社会準備室へ再び向かおうとした。すると、抱えていた大きな地図が腕の中から消えたのである。


「ゆ、悠真くん」

「奈々さんたちは?」

「美弥子と一緒に購買。二人とも今日はパンだから」

「そう」


 大きな地図の動いた先を辿ると、そこにいたのは悠真くんだった。悠真くんは一番重い大きな地図をあたしから取り上げると、すたすたと先を歩き始めている。

 本日、日直という係になっているあたしは先生の言い付けで教材の準備や片付けをしている。そして今日に限って、たくさんの教材を使った授業。それなのに、奈々と美弥子が手伝ってくれていないのには理由がある。

 今は昼休みに入ったばかり。今日のお弁当がない二人は購買でパンを買うことになるのだが、昼休みの購買の争奪戦は熾烈を極める。二人は今も戦の最中にいるのだ。


「え、あの。悠真くん、あたし一人で大丈夫だよ!」

「これ、地理準備室だろ?隣の数学準備室に呼ばれてるからついで」


 悠真くんは何でもないように言い切ると、大きな地図を持って先に歩いて行ってしまうので、あたしも少し後を慌てて追いかけた。鍵を持っているのはあたしなのである。

 だが、彼の後を追いつつも決して近付きすぎないことを忘れない。あたしには可愛らしいうさぎの耳しか目に入って来ないが、彼は我が高校の王子である。下手に近付いて、ファンたちに目を付けられるわけにはいかないのだ。あたしも残りの高校生活が大事である。


「悠真くん、ありがとう」

「別に。俺も隣の部屋に呼ばれてるだけだし」


 整理整頓されている地理準備室の決まった場所に教材を置くと、悠真くんにお礼を言う。だけど、やっぱり悠真くんは何でもないようにさらっと返すだけだ。


「じゃあ、お礼ついでに耳を触らせてください」

「は?」

「耳を触らせてください」

「いや、あのさ」

「耳を」

「……」

「耳を触らせてくれるって言ったのに」

「……はぁ。分かった」


 思い切って悠真くんに言えば、結局大きなため息を一つしてから頷いてあたしの方に向き直った。


「やっぱり悠真くんの耳すごいよ!」

「……それはどうも。誰かに話したりしてないだろうな?」

「してないよ!話したらもう触らせてくれないんでしょ?」

「まぁな」


 指先に触れる毛並みは短くて柔らかい。我が家のポン太も立ち耳だけど、その毛並みは全然違う。


「あ。でも、ポン太にはバレてるかなぁ」

「若葉さんの飼い犬だっけ?」

「うん。この間やきもち妬いちゃって」

「また、バレるんじゃないの」

「大丈夫!今日は帰る前によく手を洗って、消臭除菌スプレーするし!」

「……俺はウイルスか」


 対策はすでに考えているのである。あたしは万全の準備を整えており、証拠隠滅の用意はできているのた!


「ふっふっふ!」

「なに、その笑い方。でも、犬とか猫って鋭いからね」

「そうなの?」

「普通の人間と同じように暮らしてるけど、動物には多分俺らが人間じゃないってバレてるんだろうな。昔から妙に吠えられたりするから」


 悠真くんがそう言うので、脳内には犬に吠えられまくる悠真くんの姿が広がった。その様子は、いつもはすまし顔の悠真とは似ても似つかなくて、思わず笑い声が漏れた。


「ふっ……!」

「笑うなよ!あー、もう終わり!」

「そ、そんな……!」

「俺も数学準備室に呼ばれてるって言ってただろ。もう終わり!」

「ぐぬぬぬぬ……!」


 悠真くんはあたしから距離を置くと、身だしなみを整える。そこまでもみくちゃにはしてないのに。

 そして、地理準備室を出ようとしたところであたしを振り返った。


「今、携帯持ってる?」

「え?うん」

「出して。ID交換するから」

「う、うん」


 そしてメッセージアプリのIDを交換し終えると、悠真くんはさっさと出ていってしまった。残されたのは、あたしの手の中のスマートフォンに悠真の連絡先。

 簡潔な文字列のそれは悠真くんらしいなと思った。


「他の女子にバレたら大変だ……」


 悠真くんの連絡先を知りたがっている女子は多い。だけど、悠真くんは男子の輪の中にいることが多いし、女子ともあまり気軽に話さない人だ。だから、彼の連絡先を入手するのはかなりの難関ミッションに近いのである。


「このID、買いたい人いるだろうなぁ」


 と、呟いた時。スマートフォンの画面に、今交換したばかりの人物の名前が表示された。


『連絡先。誰かに教えるなんて馬鹿な真似するなよ――悠真』


「ひっ!」


 もちろん言っておくが、本当に売ろうと考えてたわけではない。少し、ほんの少し考えてみただけだ。

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