全ては甘酒のせい
牧瀬家のお正月はお雑煮と共に駅伝だ。家族それぞれに好きなチームをめいめいに応援するのである。
しかし、そんないつもの光景にいつもとは違う光景があった。クローゼットをひっくり返しては着せ替えをして、家族の前に姿を現すあたしである。
「姉ちゃん、どっか出かけんの?」
「うん。初詣に行くの」
「へー。あれ。駅伝は?始まってるよ?」
年がら年中、明るくなる前から日が落ちるまで部活に励む弟の樹がこうして家でゆっくりしているのは元旦くらいのものである。すでに朝のトレーニングを終えたという真っ黒に焼けた坊主頭の樹はテレビの前に陣取って、準備万端とばかりに駅伝にチャンネルを合わせてこちらをちらりと見た。
お父さんもお母さんも小さくも大きくもないと言うのに、この弟だけはすくすくと成長して中三なのにもう百八十近くあるらしい。お父さんのおじいちゃんが大きい人だったから隔世遺伝だとか何とか言うけど、ねぇ?別に一人だけ身長高くてずるいとか思ってなんかないんだからねっ。
「大丈夫。撮ってるから。ねぇ、樹。お姉ちゃんの格好変じゃない?」
「変。なんかいつもより女子っぽい。どうしたの。彼氏でもできたのって、そんなわけねぇか」
「バカ!――お母さん。やっぱりグレーよりも白の方が良いかなぁ?」
弟も性別上は男である。参考になるかと聞いてみたが、弟はやはり弟でしかたなかった。年がら年中野球に明け暮れる弟に女心が分かるわけもない。
あたしはさっさと見切りをつけて、ダイニングに座っていた母に向かってくるりと回る。先ほど白のニットも着てみたが、狙いすぎてあざといような気がしてライトグレーのニットワンピに変えた。うなじの後ろにニットの色よりも濃いダークグレーのリボンが結ばれている可愛いデザインである。
「グレーも大人っぽくて素敵だと思うわよ。でも、サングラスとマスクは止めた方が」
「若葉、頭の後ろがはねてるけど良いのか?」
「ええ!髪!鏡!」
お母さんはにっこりと笑ってあたしの姿を見て、その向かいでコーヒーを飲んでいたお父さんが頭を指差して言う。そういえば、頭の後ろはちゃんと見ていなかったかもしれない。悠真くんと出かけるなら顔を隠した方が良いかと思ったんだけど、やっぱりさすがに怪しすぎるかぁ。
「姉ちゃん、いっつも寝癖なんて気にしてなくね?」
「お姉ちゃんもそういう年頃ってことよ」
「はぁ……。若葉も17才。あっという間にお嫁に行ってしまうんだろうなぁ」
「父さん、気が早いって。どうせ姉ちゃんは売れ残るに決まってる」
「もう。樹はそんなことばっかり言って」
背中にはそんな好き勝手に話す家族の声が聞こえる。多少失礼な樹の発言が気になるが、それよりも今は寝癖直しだ。ちゃんと見たつもりだったのに、後ろがはねているなんて何ていう盲点。やっぱり洗面台の鏡は三面鏡にするべきである。
その時、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴る音がして、母に頼まれた弟が玄関に出て行く足音が聞こえた。
そして髪を直し終わったあたしと、恐ろしいものでも見たかのような顔面蒼白で弟がリビングに戻って来たのは、ほぼ同時だった。
「い……イケメンが外に……!姉ちゃんの名前を出して……!」
「え!もうそんな時間!?コート!バッグ!」
樹はそう言って、がっくりとリビングの床に膝を着いた。はっと時計を見れば、すでに約束の時間である。あたしは慌ててコートを着て、部屋にバッグを取りに走る。
弟よ、屍は越えて行くぞ。
「あらあら、悠真くん。あけましておめでとう」
「あけましておめでとうございます。若葉さんを少しお借りします。暗くなる前に帰りますので」
「ご丁寧にありがとう。悠真くんと一緒なら安心だわ。人が多いと思うから気を付けて。あ、そうそう。多少遅くなっても大丈夫だから楽しんで来てね」
「ははは。ちゃんと時間通りに帰りますよ」
「お母さん、何言ってるの」
そしてようやく準備を終えて玄関に来ると、母は素晴らしい外面用の皮を被って悠真くんに挨拶をしている。お母さんが若いイケメンに弱いのは家族にバレてるからね!お父さん、拗ねて寝室に行っちゃったじゃんか。
「悠真くん、あけましておめでとう」
「あけましておめでとう。準備は良い?」
「大丈夫。お母さんがうるさいから行こう」
「そんなこと言って。それじゃあ、若葉さんお借りします」
「はい。行ってらっしゃい」
「行って来まーす」
うるさい母にそう言って、足早に家を出る。完全に面白がっているお母さんはいらないことしか言わない。あれは今にあたしの黒歴史を話し始めるぞ。幼稚園の時の初恋とか話されたって、い、痛くも痒くもないっ!
「お母さんがごめんね。色々忘れて」
「大丈夫。面白いお母さんだよね」
「……うん。そういうことにしておく」
初詣はこのあたりでは一番大きな白沼神社だ。昔、この近くに小さな沼があってそこに居た水神を祭っている神社である。町には大きな川が流れているせいもあって、水害を恐れて水神信仰が根強い。昔大きな水害に遭った時も、その水神様の化身である白蛇が現れて水害を鎮めたという言い伝えがあるくらいだ。
「そういえば、最初に出てきたのって弟くん?」
「うん。今、中三だよ。坊主だったでしょ?野球部なの」
「へぇ。中三なの?背、大きいよね」
「うちの家系、みんな大きくないのに弟だけ百八十もあるんだよ。不公平だよね。あたしにも分けるべき」
弟がそれだけ伸びるならば、あたしだってそれくらいとは言わないがあと五センチは伸びても良いと思う。そうしたら、悠真くんの耳ももう少し触りやすくなるのになぁ。そんなことを思いながら耳を見ていると、悠真くんの手があたしの手を掴んだ。
「ひぇ!」
「何、その声」
「や、だって。悠真さん、そのあなたが私の手を……!」
「いいだろ。別に。嫌なの?」
「い、嫌じゃないです。はい……」
そりゃあ、嫌か嫌じゃないかで言えば、当然ながら嫌なわけがない。むしろ嬉しい、って言わすな!
「もうすぐ神社だから。迷子になったら困るし」
「う、うん。そうだね。でも、同じ高校の子にも見られちゃうんじゃないかなぁ」
「かもね。それが?」
「いや、あの。ほら、ちょっと噂になっちゃうかもしれないなぁ、なんて?」
「嫌なの?」
「嫌っていうか、だって。あたしだよ?相手が。みんなびっくりしちゃうんじゃない」
そう。悠真くんの相手があたしであるということが問題なのである。やっぱり、サングラスとマスクは外さない方が良かったんじゃないかなぁ。そうすれば、少なくとも相手があたしだとバレることは無かったはずである。
「驚いたら何なの?みんなに許可を貰わなきゃ付き合えないの?」
「そういうわけじゃないけど……」
神社はもうすぐそこに見える。さっきまでは人の姿も疎らだったのに、鳥居の外から行列が出来上がっていた。
視線を下にして言葉に詰まるあたしに呆れたような悠真くんの声が振ってくる。
「若葉?」
「だって自信ないんだもん。ナナみたいに美人じゃないし、みっこみたいにスタイルも良くないし、美玖ちゃんみたいにかわいくもないし。きっと、みんな『何で牧瀬さん?』とか言うに決まってる」
悠真くんの周りにはそれこそ、各種様々な美人が勢ぞろいだった。年齢だって下から上までを網羅している。それなのに、彼が恋人として選んだのが平々凡々なあたしだなんて一体誰が認めてくれると言うのだ。それこそ豆腐角で何とやらとか言われて、豆腐でも投げられてしまいそうだ。
普段は奈々や美弥子と居てもくすぐられない自尊心が、悠真くんのことになるとぐずぐずである。もう少し目が大きくて、もう少し鼻が高かったら。もっとスタイルが良かったら。あと五センチ身長が高かったら――ないものねだりは尽きない。
「何言ってるの?他の誰がどうでも、俺が若葉を可愛いと思ってるんだからそれで良いじゃん」
「か……?」
突然不安に襲われて、悠真くんにとっては理不尽なことを言い出したとは思う。だけど、そんなあたしに悠真くんが掛けて来た言葉は予想だにしていなかったものだった。悠真くんが発したとは到底思えずに、咄嗟に辺りを見渡して他に誰もいないと分かったので悠真くんの顔を見る。しかし驚いたことに、彼の顔は冗談や何かを言っているそれとは違って、真面目そのものだ。
「可愛いよ。好きな子が一番可愛いに決まってる」
「……悠真くん、そんなこと言うキャラじゃないじゃん!ダメ、禁止!」
「なんで?若葉、顔見せて」
「ヤダ!今、絶対真っ赤だもん!もう、卑怯!」
もしかして、あたしの顔に火でも点いたんじゃなかろうか。いや、そうに違いない。さっきまであんなに寒かったのに、今では暑いくらいである。暑過ぎて悠真くんの顔なんてとてもじゃないけど見られない。見られるわけがない。
きっと、今こんな発言をしたのは悠真くんじゃなくて違う誰かだ。はっ!まさか、悠真くんに誰か成り代わってるんじゃ……?
「言っとくけど、俺は思ったことしか言わないから。誰かが俺に成り代わっているわけでもないし」
「……悠真くん、人の頭の中を覗くのは止めてください」
「覗けないから。全部、若葉の顔に書いてあるんだよ」
「やっぱり、人の顔見るの禁止!」
「まぁ、照れてる若葉も可愛いんだけど」
「甘酒!こうなったらヤケ酒してやるー!」
「はいはい。そこの自販機で買ってあげるから」
「……ありがと」
しっかりとあたしの手を握った悠真くんが楽しそうに笑いながら、あたしを宥めるように言った。確かに近くに設置してある自販機には冬季限定の甘酒が置いてあって、それはあたしのお気に入りである。あたしの顔が赤いのは甘酒のせいなんだから。アルコールが入っていなくても、甘酒のせいなんです。
「あ。若葉。初詣、何お願いする?」
「……秘密!」
別に悠真くんと仲良くしていられますようにとか縁結び的なお願いなんかしないんだからね!多分、おそらくだけど。




