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彼の耳はうさぎの耳(連載版)  作者: 香坂 みや
番外編

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22/26

ガトーショコラとスノードーム

 悠真くんと恋人同士というやつになってから二日。正直まだまだ信じられないというか、現実感がない。だって、あの悠真くんがあたしの彼氏だよ?ありえなくない?ありえないよね?

 

「若葉ったらクリスマスなのに予定はないの?」

「だってナナは塾講習だし、みっこはバイトだもん」


 雑念がある時はお菓子作りに限る。無心になって板チョコを刻んでガトーショコラを作っていると、横から覗き込んだ母が気の毒そうな視線であたしを見ていた。あたしは視線も遣らずに返事を返すと、チョコレートを湯煎で溶かし始める。


「別にいいのよ。お母さんはそんな若葉も良いと思う。別にクリスマスに予定が無くったって、若葉にはお母さんとお父さんと樹が居るからね。みんな着いてるから」

「……ポン太だっているし」

「そうね。ポン太のことを忘れちゃかわいそうだわ。ポン太、おやつあげようね」


 溶かしたチョコと卵黄を混ぜている間に母は一人で納得したように言って、一人で頷くとポン太におやつをあげてご機嫌取りをしている。ちなみにポン太はエサとおやつをもらう時以外はあまり母に近付かない。黙っていると、真っ赤なリボンを巻かれそうになるので基本的に警戒しているのである。


「お母さん、あげすぎたらダメだよ。もうすぐ夜のエサの時間なんだから」

「良いじゃない。今日はクリスマスなんだから。ポン太にだって特別よねー?」

「ワン!」


 タイミング良くポン太も返事をしたけれど、確実に犬にとっては何でもない一日でしかないと思う。だって人間の神様の誕生日だよ。犬には関係ないと思うの……。

 はしゃぐ母とおやつがもらえて喜ぶポン太を眺めながら、冷やしていた卵白で手元は順調にメレンゲを作成している。やっぱりハンドミキサー様々である。あっという間にツンと角の立つメレンゲが出来上がった。それを潰さないようにさっくりと先ほどのチョコレートに合わせて、型に流し込む。後は温めたオーブンで焼くだけだ。


「ちゃんとそこ片付けなさいよー。もうすぐお母さん、クリスマスディナーの準備するんだから」

「はいはい」

「今日はね。なんと、お父さんが早く帰って来るのよ」

「そうなの?」

「そうなの。嬉しいでしょう?早く帰って来ないかしら!」


 母はポン太がおざなりにしたお手の足を掴んだまま、ポン太を抱えて今にも踊りだしそうな空気である。ただし、ポン太は大型犬サイズなので実際に抱えて持ち上げることは叶わないけれど。

 万年新婚夫婦の両親はいつもこんな調子である。弟は部活の遠征でいないし、恐らくあたしが家に居なきゃ居ないで二人っきりね、とか言いながらにやにやしているに違いない。あの笑みは間違いなくにやにやである。

 母に釘を刺された通りに、使ったボールやゴムベラなんかをお湯でわしわしと洗う。チョコレートの付いた調理器具は、この時期の冷たい水では落ち難いのでお湯で洗っているだけである。水が冷たいのが嫌だからお湯を出しているわけではない。とりあえず母に気付かれないうちにそれを片付けていると、エプロンのポケットに入れていたスマートフォンが着信音を鳴らした。


「え」


 手を拭いてスマートフォンを取り出すと、その画面に表示された名前を確認したタイミングでオーブンのアラームが鳴った。あたしは再びスマートフォンをエプロンのポケットにしまうと、ミトンを掴んでオーブンから天板を出す。竹串で中を刺すと生地が付いて来ないのであとはケーキクーラーで冷ますだけだ。


「ケーキ焼けたの?」

「だけど、今冷ましてるところだから食べちゃだめだよ」

「焼きたても捨てがたいのにねぇ」


 温かいガトーショコラをじっと見てる母に釘を刺して、二階の自室に戻る。

 そしてスマートフォンを再びエプロンのポケットから取り出すと、トントンと人差し指でタップしてメールアプリを開く。


『今何してるの?』


 送り主は今日も朝から寒空の中部活に励んでいる、例の彼氏という存在の人からである。


「家でお菓子作ってたとかかわい子ぶってるみたいかな。柄じゃないよねぇ」


 間違いなく真実であるのだけれど、何だか文字にすると急に嘘っぽい。多分、悠真くんの中にあたしがお菓子を作るというイメージはないと思うんだ。でも、ここで嘘を着くのもおかしいし……。


「ひゃっ!――もしもし?」


 そのままメールを送るかどうか悩んでいると、スマートフォンの画面が切り替わって着信を告げている。あたしは文字を打っていた反動でうっかりその電話をとってしまって、慌てて耳元に持ってきた。


「若葉、電話に出るの早くない?」

「だって悠真くんにメール打ってたんだもん」

「そっか」

「うん」

「えっと、もしかして忙しかった?」


 まだ外に居るのか、音声からは風の音が僅かに聞こえる。

 悠真くんの声はどこかぎこちなくて、彼氏と彼女という関係に慣れていないのは彼も一緒なにかもしれない。そう思うと、それがあたしだけじゃないんだと分かって少しだけ安心する。だって、この間までそんな素振りもなかったのに急に恋人同士だなんて。恥ずかしすぎて何をどうしたら良いのか分からないんだもん!ちなみに、恋人って何?友達と何が違うの?なんて訳が分からないことを考え始めてしまったりするのは初日に通り過ぎましたとも。ええ。


「さっきまでお菓子作ってたけど、今は部屋に戻ってきたとこだよ」

「お菓子作るんだ?」

「……どうせ似合いませんけど、何か?」

「そんなこと言ってないだろ。何作ったの?」

「ガトーショコラ。えっと、チョコレートケーキのこと」

「そうなんだ。食べたいな」

「え?」

「えって何だよ。か、彼女がお菓子作ったら食べたいって思うだろ、普通は」

「う、うん。そ、そうだね」


 いや。確かにそうなのかもしれない。なんだけど!

 何だろう。この居た堪れない空気は。やばい。心臓がうるさい。電話越しだったら大丈夫だよね?聞こえないよね?か、彼女ですって……!わたし、彼女なんですって……!


「そうだ。若葉、ちょっと外に出て来れない?五分で良いから」

「うん?大丈夫だよ」

「もうすぐ若葉の家の近くだから着いたら連絡する」

「分かった」

「外寒いから暖かい格好して来いよ」


 悠真くんはあたしが返事をしたのを聞いて電話を切った。そして悠真くんの言葉を反芻すること少し。


 ――今、家の近くまで来てるって言いました?これから会えないかって言いませんでした?


 あたしは慌ててクローゼットを開けて、白のざっくりしたタートルネックのニットワンピースを取り出して着る。そして履いていたおしゃれスウェットパンツを脱ぎ捨てて、黒のタイツを履こうとして……ジーンズを履く。黒のタイツは気合入れすぎって言うか、暖かい格好して来いと言った悠真くんの言葉に反するもんね。しかも、明らかに今着替えましたって感じが出すぎるし!


 そこで着信音が鳴って、スマートフォンを見れば悠真くんが着いたと短いメッセージを送信してきていた。あたしはダッシュで階段を駆け下りて、コートを羽織って外に出る。玄関を出て、塀から出たところで塀に寄りかかる悠真くんと目が合った。


「えっと、急に来てごめん」

「う、ううん。別に大丈夫」

「そっか」

「うん」


 あたしも悠真くんもお互いの顔を見ることも儘にならず、地面を見ながらぎこちない空気。この間まで、あたしたちって何を話してたんだっけ?そんなことが頭に過ぎらずにはいられない。


「そうだ。その、これ」

「え?何?」

「クリスマスだから」


 悠真くんが背中の陰から出したのは透明のフィルムでラッピングされたスノードームだ。中には可愛い雪だるまとうさぎが雪の中に描かれている。


「かわいい。もらっていいの?あ。あたし何も準備してない!」

「別に良いよ。俺が若葉に上げたかっただけだし」

「ありがとう。でも、どうしよう。えっと……」


 何かあげるものは無いだろうか。そう考えていると、背中から声が掛かる。


「若葉。せっかくガトーショコラ作ったんだから、食べてもらったら?」

「お、お母さん!」

「お母さん?こんにちは」


 そう。この声の主はどう考えても母である。お母さんは完全によそ行きの笑みをにっこりと貼りつけて、こちらを見ていた。お母さんに気付いて、悠真くんは驚いたように挨拶をしている。


「はい。こんにちは。寒いし、家の中に入ってもらえば良いじゃない?」

「え、それは、その……」

「もう、お母さんは家の中に入ってて!」

「はいはい」


 あの声色は絶対に面白がっている声である。娘の恋愛をそんなに楽しそうにする母親ってどうなのよ。あたしはお母さんが玄関の中に入ったことをしっかりと確認して悠真くんに向き直った。


「ガトーショコラ、食べる?そろそろ食べれると思うんだけど。いや、その。悠真くんがまだ時間大丈夫だったらなんだけど!」

「……いいの?」

「……いいよ。これのお礼、になるか分からないけど」


 あたしが聞くと、悠真くんは本当に嬉しそうに笑みを浮かべた。それの顔を見たら、やっぱり無しとか無理とかなんて絶対に言えっこない。あたしは拗ねるポン太を宥めつつ、お母さんにからかわれながら悠真くんの紹介をするという苦行の道を選択したのであった。

 ガトーショコラを食べながら美味しいと言う悠真くんを見るのは、言い表せられない気持ちだったけど。まぁ、つまり嬉しかったってことです!

ちなみに若葉が作っているのは、板チョコレートと卵たけで作るお手軽ケーキです。ググるとレシピが出てきます。

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