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季節は実りの秋。文化の秋。そして、私たち高校生にとっては一大イベントでもある、文化祭の秋である。
黒板の前には文化委員の美弥子と、野球部の大輝くんが立って文化祭についてHRを開いていた。私たちの高校では二年生が食品などを扱う出店を担当することになっている。一年生は入学してから半年ほどなので、簡単な展示。三年生は受験生なので委員会や部活の仕事以外は免除というわけだ。
去年も文化委員だった美弥子は今年も引き続き文化委員になっていて、今日は一段と張り切って取り仕切っている。そしていくつかの案が出た後投票を経て、私たちのクラスの出し物が決まった。
「――というわけで、F組の文化祭の出店はだんご茶屋に決定します。これから役割分担を決めるので、協力してください」
食品を扱う出し物には色々案があって、たこ焼きやお好み焼きなどお祭りっぽいもの。あとはカキ氷から簡単なパフェなど甘いものに別れるだろう。私たちのクラスでは色々な案の中から、和風をテーマにしただんご茶屋に決まったというわけだ。
「でも、やっぱり執事喫茶も惜しかったね」
「いやー、でも、彼が何て言うか……」
前の席の奈々とこそこそと小さな声で言って顔を見合わせていると、しっかりと耳がこちらに向いている悠真くんと目が合った。
うさぎの耳は地獄耳なので、聞き漏らしはありません。こんな狭い教室の中なら余裕です。イケメンの執事だなんて、それだけで眼福なのに。
あ!ワタシはナニも言ってませんから!
「――じゃあ、今日の話し合いはこれで終わる。委員や部活で抜けないといけない人は教えてくれ」
大輝くんの言葉を合図にしてHRが終了した。私と美弥子は調理係で、奈々は接客係。そして悠真君はと言うと、渋々接客係である。彼が接客するか否かで客の入りが大違いになることは誰の目にも明らかなので、みんなで懇願した。これで文化祭の売り上げで決められるクラス賞はF組が一歩リードである。
そして文化祭準備期間になったのだけれど、この期間だけは鬼のように練習する部活動も練習時間を微減させられる。少しくらいは文化祭の準備を手伝うように、ということらしい。ただ、微減なので最低三十分は手伝ってから部活に来るようにという意味でしかないのだけれど。
「――若葉ちゃん、これ片側持ってくれない?」
「うん!」
名前を呼ばれて、ぱっと顔を上げると亮くんが畳一枚ほどの大きさのウレタンでできた板を持っていた。あたしはそれまでしていた看板の色塗り作業を一旦止めて、その片側を持ち上げる。断熱材などに使われているもので、大きいのにとても軽いそれは男子じゃなくても十分持ち上げることができるのだ。
「これ、美術室の電熱線で切ってこようと思って」
「分かった。美術室までね」
絵筆を置いて立ち上がったところで、二人の間を遮る影ができる。条件反射のようにその影の主を見れば、スポーツバッグを肩に下げた悠真くんがあたしの代わりにウレタンの板を持っていた。どうやら制限時間が来たらしく、他にも部活に行く準備をしているクラスメイトがちらほらといる。
「――亮!俺、もう部活行かないといけないからついでに俺が行くよ」
「あれ。悠真くん、もうそんな時間?」
「ああ。みんなには悪いんだけど、もう部活に行かないといけないんだ」
「うちのクラス、結構残れる人多いから大丈夫だよ。それに、サッカー部には勝ってもらいたいしね!応援してるよ」
「……ありがとう」
悠真くんと話していると、亮くんが引き摺るようにして近くまでそれを持ってきた。
「悠真、それなら頼むよ。……っことで悠真が手伝ってくれるらしいから、若葉さんはやっぱり大丈夫になった」
「うん、分かったよ」
「じゃあ、若葉さん。また明日」
「悠真くん、部活頑張ってねー」
「よし!悠真、行くぞー!」
「ああ」
仲良く板を持って歩いていった二人を見送って、再び看板の色塗り作業に戻る。今は看板の下地になる白を全面に塗っているところだ。
実は今回の看板も含む、お店の装飾関連は亮くんが主導になっている。いつもはあんまりやる気の見られない亮くんなのだけれど、こういうもの作りなどが大の得意らしい。彼は思い切り張り切って、当日はお店になる教室の飾りつけについて考えている。だんご茶屋ということもあって、とりあえずは和風な仕上がりになるみたいだけど、どんな感じになるのかなぁ。
そういえば、いつも着ているにぎやかパーカーも彼がデザインして作っているらしい。結構な頻度でパーカーが変わるなぁと思ってたんだよね。
ちなみに今日の日替わりパーカーはティラノザウルスのような顔がついている。だけど、実際のティラノザウルスは鳥みたいに毛が生えてるんだってね。だから、亮くんが着ているティラノザウルスパーカーはティラノザウルスのようでティラノザウルスではないのである。
単純な作業で派手さも独創性もないので、色塗りはあまり人気のない仕事だった。しかし実はワタシ、昔から色塗りは得意中の得意なのである。子供の頃、夢中で塗り絵をしてたっけなぁ。お姫様のドレスのフリルやレースを一枚一枚塗り分けるほどのこだわりよう。出来上がった塗り絵は大作と言っても過言ではなかった。うん。
「ねー、若葉」
床にしゃがみこんでペタペタと順調に色塗りを進めていると、横に奈々が膝を着いた。
「あれ。奈々、塾はいいの?」
「文化祭までは少し減らしたの。少しの間のことだからね」
「そうなんだ!ちょっと嬉しい」
いつもならば、奈々は既に塾に着いている頃である。塾は良いのかと不思議に思って聞けば、文化祭のために減らしたのだそうだ。
文化祭はもちろん当日も楽しいが、仲の良い友人と放課後に残ってわいわいとやるのも楽しいものである。にへらと笑って喜んでいると、奈々はそうじゃなくてと首を振った。
「……じゃなくて、若葉と悠真くんってどうなってるの?」
「どうって?見ての通り、クラスメイトだけど」
「クラスメイト、ねぇ」
そう言う奈々の口調には、何か含みがある。はて、と首を傾げてほとんど真っ白になった看板から顔を上げると呆れた顔の奈々と目が合った。
「若葉がそう言うならそうなんだろうけど、ちゃんと考えてみたら?」
「ちゃんと?」
そこで奈々のことをクラスメイトが呼んだ。奈々は衣装係なので、悠真くんに何を着せるのかという重大な仕事を担っているのである。衣装係の女子たちの熱気半端ないです。教室の後ろに固まった狩人たちはああでもない、こうでもないと話し合いながら、妙な一体感を生み出している。
「はーい!――まぁ、そういうこと」
奈々はそれだけ言うと、ポンとあたしの肩を叩いて衣装係の輪の中へ戻っていった。
あたしの目の前には真っ白な看板。その右の片隅だけが元の色をそのままに残している。ほとんどが真っ白なのに、片隅だけが元のダンボールの色をそのままに残して薄い茶色だ。
奈々に言われたように、あたしは何も考えていない。考えようとしなかった。
「でも、なぁ」
でも、奈々から見て分かるほどなのだろう。真っ白に染まって、何も考えないようにしているのに、私の心はまだそれに染まりきれない部分がある。
あたし、悠真くんが好きなんだ。
彼についている耳のせいだけじゃない。気が付けば彼を目で追っている自分がいる。長いうさぎの耳のせいで目立つだけだと自分に言い聞かせてきたけれど、それだけじゃない。どこに居たって彼の姿を目で探してしまうのだから。
しかしそれを認めてしまうと、急に心の中がどんよりと重くなる。
――王子様と脇役は結ばれない。せいぜいあたしの役は良いところで魔法使い程度だ。王子に恋の助言をする魔法使い、それがあたしの役目なのだろう。