11
今日も恙無く授業が終わり、HRも終わると掃除当番以外はそそくさとそれぞれの目的の場所へ捌けて行く。
私はと言うと、これから久しぶりの図書委員である。教科書のほとんど入っていない、スカスカで軽いバッグを肩に掛けて、掃除当番を尻目に教室を出た。すると、教室を出たところでこれから部活に行くのであろう悠真くんと目が合う。そして悠真くんはにっこりと笑みを浮かべると、急ぎ足だった足を緩めてあたしの前に立ち止まった。
「若葉さん、トリック・オア・トリート」
悠真くんに言われた言葉を脳内で復唱して、彼の言う意味に気付く。そう言えば、明日はハロウィンで昼休みに奈々と美弥子とハロウィン限定パッケージのお菓子を食べたばかりなのである。カボチャのランタンが描かれている、オレンジの鮮やかなパッケージはそれだけで見ていて楽しい。中身はいつもと変わらないお菓子なのに、パッケージが変わっているだけで買ってしまうのは限定好きの日本人の特徴なのかもしれない。そういうわけで、今月もおこずかいはピンチです。だって、可愛いパッケージばっかりで!ついね、つい。
「え?えっと、待って。あれ。ない。……そういえば、さっきの休み時間にチョコ食べちゃったんだった!」
「なるほど。それじゃあ、何しようかな」
慌ててバッグの中からお菓子を探すものの、たくさんあったはずのお菓子が一つも見当たらない。お昼休みには近くに居た友人に配った記憶がある。あと、亮くんがお腹空いたとか言うからいくつかあげたんだっけ。その後、体育を終えてカロリーを消費したから――そう、食べたよ。食べましたね。
あたしが手持ちのお菓子を持っていないと聞くやいなや、悠真くんは笑みを深くして顎に手を置いた。あれだ。これは何かたくらんでいる顔にしか見えないのは、多分気のせいじゃない。
「何って?え?」
「お菓子か悪戯かって聞いただろ?」
「そういう意味だったっけ」
「そうだよ。悪戯、何が良い?」
「お手柔らかにお願いします……」
何だか変な展開になっている気がするぞ、と思った頃にはすっかり悠真くんのペースになっていた。しかしながら、この楽しそうな笑みを浮かべている彼は何をしでかすか分からないわけで。あたしはどうにか軽く済みますようにと願う他なかったのである。
「じゃあ――若葉って呼ぶことにする」
「え?それ、え?」
思わず聞き返さずにはいられない言葉が彼の口から発せられた。自分の耳を疑って、確認するように悠真くんを見れば、彼はなんでもないような顔で耳をぴくぴくと動かしただけだった。
「練習付き合ってくれるんだろ?いつまでもさん呼びじゃ友達っぽくないし」
「う、うん?」
「それとも、若葉ちゃん?あ。わーちゃん、わかちゃんのあたりが良かったかな?」
「……若葉で良いです」
「じゃあ、そういうことで。図書委員頑張ってね、若葉」
「え、と。悠真くんも部活頑張ってね」
「ありがとう」
確かにさん付けは友達にしては余所余所しいかなぁ、なんて思っているうちに、悠真くんは爽やかな笑みを浮かべて廊下を走って行ってしまった。そんなに急ぐとダメっていうか、廊下は走っちゃいけないんじゃないっけ。
……と思ったら、風紀委員の子はうっとりと悠真くんを見つめていたから、王子は免除ということですか。そうですか。
「……っと、あたしも当番に遅れちゃう!」
あたしは悠真くんみたいに走るわけにもいかず、できるだけ急ぎ足で図書室へと向かったのだった。
我が高校が誇る立派な図書室はその日もなかなかに盛況していた。返却本のコーナーに積まれた本を十冊ほど抱えると、それを所定の位置に戻しに向かう。小説から参考書、料理本なんかもあるので本棚の場所を覚えるまではなかなかに大変な仕事である。
腕に抱えていた最後の本を参考書のコーナーに戻して顔を上げた。本棚の側にある窓のカーテンは開かれているのが目に入る。日の光は本に悪いので、それを閉めるために窓に近寄った。そしてカーテンを掴んだまま、ふいに窓の外の光景が目に入ったのである。
「ここからサッカー部が見えるんだ」
図書室が少し高い位置にあるせいもあって、見下ろす形で少し遠くにサッカー部が練習をしている姿が見える。グラウンドでは部員たちが元気に走り回っていて、とても楽しそうだ。何だか微笑ましくて、自然に頬が緩む。
そのまま何となく見ていると、すぐに白い耳が特徴的な悠真くんの姿を発見できた。走るたびに長い耳は風を受けてぴょこぴょこと動いている。彼がサッカー部の中でもエースだと言うのは本当であるらしく、他の男子よりも体が軽そうだ。まるでサッカーボールは彼のものであるかのように、自由自在に扱う様はうっとりと見てしまいたくなるくらい格好良い。
「練習、かぁ」
悠真くんが言い出したこと。それは、悠真くんが彼女を作るために女の子と話す練習台になるということだ。学年一、いや、学校一モテると言っても過言ではない悠真くんなのに、彼自身は女の子は得意ではないらしい。そこで現れたのがあたしという気軽に話せる異性というわけだ。
彼があたしと親しく話すのも練習。たまたま彼の秘密の耳が見えてしまったから、その役があたしになったというだけに過ぎない。そうでなければ、悠真くんとあたしがこんなに親しくなることなんてありえなかったんだ。片や学校の王子様。あたしはどこにでも居るような普通の女子なのだから。
だから、あたしの胸が苦しいのもきっと気のせいだ。
悠真くんは爽やかなイケメンで、誰にでも一定の距離を空けている。でも実は意外と人懐っこくて、同じ年の少年らしいところもあって、声を上げて笑うこともあった。サッカーが本当に大好きで、とても楽しそうにボールを追いかけていて。少し辛辣だったり、強引なところもあったり。――全部、悠真くんと知り合うまでは知らなかったことばかりだ。
でも、それを知らなかった頃に戻りたいわけではない。それだけは言い切ることができた。例え練習台であろうとも。
図書委員の仕事を終えると、軽い通学鞄を持って昇降口へ向かう。夕日はすっかり落ちていて、外はもうじき暗くなりそうだ。下足棚からスニーカーを取り出すと、さっさと履いて顔を上げる。
「若葉。奇遇だね」
「悠真くん」
「俺も今部活終わったところなんだ。もう帰るんだろ。さ、行くよ」
「わ。待って」
下足棚の影に立っていた悠真くんはあたしが返事をするよりも先に歩き出している。まるであたしが断わることなんて考えてもいないみたいだ。
まぁ、家の方向は一緒なんだけど!
「うう、すっかり寒くなったねぇ」
「じゃあ、肉まんでも食べる?もうすぐコンビニあるよ」
悠真くんの隣を歩きながら手をすり合わせていると、悠真くんは道の先に光るコンビニの看板を見ながら言った。すっかり寒くなった最近ではコンビニのホットフードがすっかり揃い踏みなのである。新商品の肉まんさんには、大変お世話になっております。
「えー。もうすぐ夕ごはんじゃないの?」
「若葉はいらないの?」
「極上肉まんと本格ピザまんで迷ってる……」
とは言いつつ、もうすぐ夕食の時間である。運動部の悠真くんならともかく、私は帰宅部で運動なんて体育の時間くらいにしかしない。つまり、間食はそのまま余分なエネルギーにつながるわけで。
しかし、その誘惑に勝てるかと言われればいつも腹減り十代には不可能な相談なのである。
「じゃあ、俺極上肉まん買うから、若葉はピザまんな」
「えー?」
「半分こしようよ。そうしたら、どっちも食べれるだろ」
「……悠真くん、頭良い!よーし!コンビニまでダッシュー!」
「ったく、コンビニは逃げないっての」
コンビニ目指してカロリー消費をしているあたしに悠真くんは呆れた声を上げながら、それでも同じように後ろから着いてくる。そんな悠真くんが少し嬉しくて、でもやっぱり胸が苦しくて。
とりあえず、ピザまんください!