10
すっきりと晴れたの気持ちの良い午後。授業も終わり、あたしの席の周りには美弥子と奈々が集まっていた。
「ねぇ、若葉は今日の放課後用事あるの?」
「ううん。特にないけど?」
「じゃあ、どっか寄っていかない?今日はみっこもバイトないって言うし、あたしも塾ないから」
にこにこと笑う美弥子と奈々はそう言って、期待のこもった視線であたしを見る。普段何かと忙しいのは二人の方で、その二人が揃って用事がないというのは実はかなり珍しい。
「行く!どこ行く?」
「俺は、お好み焼き食べたいなー」
割り込んで来た声に顔を向ければ、そこにいるのはやっぱり亮くんだ。今日の亮くんは緑色のパーカーに恐竜の顔がついているパーカーを着ている。安定の恐竜パーカーだ。今日の恐竜くんはというと、フードの上に炎を吐いている。
「――亮。迷惑かけるなって言っただろ?」
「あら、悠真くん。あれ?部活は?」
「ああ。今日は休み。監督が出張でいないから」
亮くんに対して諌めるように声を掛けるのは悠真くんだ。いつもは授業が終わると、掃除当番でもない限り速攻で居なくなってしまう悠真くんなのだけれど、今日はのんびりと教室にいる。それはかなり珍しいことで、テスト期間でもない限り見られない姿だ。よく見れば、何となく荷物も少なくて実際に部活がないことが分かる。
そんな悠真くんに奈々はきらりと目を輝かせて、質問を投げ返した。亮くんに対する反応とは大違いである。女子こわい。
「そうなんだ!じゃあ、悠真くんも一緒に帰ろうよ?今ね、若葉と奈々とどっか寄っていこうって言ってたんだよ」
「俺もね!」
「うーん、俺も一緒でいいのかな?」
美弥子が悠真くんに向かって聞くと、悠真くんは戸惑いがちに首を傾げてちらりと視線だけで私を見た。
「良いに決まってるじゃない。ねっ、若葉!」
「う、うん」
あたしの代わりに答えたのは奈々である。そこに私の意志はない。まぁ、良いんだけど、良いんだけど!
「――奈々ちゃんいる?」
じゃあ行こうか、という空気になった時である。黒板側の出入り口から奈々を呼ぶ声がした。その声にあたしたちの視線が一箇所に集まる。その視線の先にいるのは――。
「しーくん!」
隣に居る奈々は嬉しそうに花が咲き綻ぶような笑みを浮かべて、その声の主を見た。
奈々にしーくんと呼ばれた彼は山田静。あたしは同じクラスになったことはないけれど、同じ二年生だ。シンプルなメタルフレームの眼鏡、身長は背の高い奈々よりも少し高いくらい。穏やかそうなという言葉が良く似合う、十人中十人が良い人と口を揃えて言うような男の子である。
まぁ、つまり、正直に言うと、奈々との顔面偏差値の差はかなり離れているのだ。奈々は親しい友人の私という贔屓目を除いても、かなりの美人である。はっきりとメイクを施しているせいもあるのかもしれないけれど、派手な顔の美人の奈々。そして、ヤンチャしているわけでもないとても平凡な高校二年生の静くん。見るほうは二度見してしまいそうな組み合わせだ。
「今日、部活休みになったんだ。今日は奈々ちゃんが塾が休みの日だなって思い出して、一緒に帰れないかなと思ったんだけど、先約あったかな?」
「覚えててくたんだ!あ……でも……」
奈々は嬉しそうな顔から一転して、全身で悲しみを表現している。
「――同じ二年の楽部だったよね?」
「うん。そう。A組の山田静くん。奈々の幼馴染で彼氏なの」
「か……彼氏!?」
「……へぇー」
悠真くんと亮くんも静くんと同じクラスになったことがなかったのだろう。二人は見たことがあるけど、名前は分からないといった様子であたしと美弥子の顔を見た。二人みたいに目立つタイプの人ではないけれど、休みが無くて忙しい部活として有名な吹奏楽部の部員なのである。それ故に奈々と静くんが一緒に居るところは、あたしたちですらなかなかお目にかかれない。
あたしが静くんのことを説明すると、亮くんは驚きに口をぽかんと開き、悠真くんは面白いものを見たみたいな顔で頷いている。
「奈々さん、山田君と一緒に帰る?」
「でも、先に約束したのはこっちだから」
悠真くんが気遣わしげに奈々に話しかけるが、奈々は残念そうな顔で首を横に振る。
「じゃあ、静くんさえ良ければ一緒に帰ろうよ」
「え。良いのかな?」
「人数が多い方が楽しいし、山田君も一緒に行こうぜー!」
「そうだよ。だけど、なんでアンタが言うのよ」
あたしが提案してみれば、静くんは迷ったように首を傾げて奈々を見る。そしてそれを肯定するように亮くんと美弥子が続いて、あたしたちはレア度の高いグループになったのだった。カードゲームで言うならSレアである。あのSってスーパー?スペシャル?どっちなの?
そしてあたしたちはお好み焼きコールを続ける亮くんに連れられて、お好み焼き屋さんへ向かった。目の前の鉄板で焼くお好み焼きは多少の失敗がありつつも楽しい食事である。ほぼ初対面である男子組は予想以上に意気投合したらしく、静くんも楽しそうにしていて安心する。それを見ている奈々はいつになく幸せそうだし。
いつもはキツい印象の美人なのに、こんなに柔らかく笑うなんて。静くんも罪作りな男である。
お好み焼き屋さんからはそれぞれ家の方向が近い人で家路に就くことになった。奈々はせっかくなので下校デートなのだと嬉しそうである。美弥子と亮くんも意外に隣の町内だとかで、何だかんだ言いながら一緒に帰るらしい。
そして、残るのはあたしと悠真くんである。川を挟むけれど、それでも同じ方向には違いないわけで、気が付けば二人きりで帰路に就いていた。
隣を歩く悠真くんを見上げれば、彼もいつもの飄々とした感じとはどこか違って、なんとなくぎこちない。
「奈々さんに彼氏がいたのは意外だった」
「……ショック受けた?」
思いのほか、あたしの声のトーンが低くて我ながら驚いてしまった。
そういえば、この間うっかり盗み聞きしてしまった告白現場で、悠真くんは好きな人がいるようなことを言っていたような……。もしかして、この感じ、好きな人って奈々なの?確かに奈々はスタイルも良くて、美人だし、それに頭も良い。あたしみたいなちんちくりんとは大違いだ。
「それはないけど。あんまり恋愛に興味無さそうだと思ってたんだけど、そうじゃなくて山田にしか興味なかったんだな」
お好み焼き屋さんで意気投合した悠真くんたちは同じ年ということもあって、すっかり呼び捨てで呼び合う仲である。
そんなことを話す悠真くんの表情には嘘や偽りの色は確認できなくて、思わず目を見開いてぽかんと見てしまった。
「……え?」
「俺が奈々さんのこと好きなんだと思った?」
「えっ!いや、それは、その……だって、奈々は美人だし、スタイルも良いし……」
悠真くんはからかうような声の調子で言葉を続けた。そんな悠真くんにあたしはしどろもどろになりながら、どうにか言葉を紡ぐ。後半は誰に言い訳でもしているんだと自問自答したいぐらいには尻すぼみである。
「それで好きになるヤツもいるかもしれないけど、俺は違うよ」
「そ、そうなんだ。じゃあさ、やっぱり男の人が好きなの?」
「……はぁ?何で、何でそうなるんだよ……」
それならばとあたしが思い切って疑問をぶつけてみれば、悠真くんはがっくりと力が抜けたように肩を落とした。
だって、だって!あんなにかわいい美玖ちゃんの告白を断わって、奈々のこともタイプじゃないと言う。妹系がダメだからお姉さん系の奈々なのかと思ったのに。
その上、今までたくさん告白されてきたというのにそれも全部お断りしてきている。噂程度にしか知らないけれど、それでも様々な種類の女の子が悠真くんに告白してきたと言っても過言ではないのだ。最早、彼が女性じゃなくて男性のことを好きだと言われる方が納得できる。
「だって、悠真くんはどんな女の子の告白も断わるから、もうそっちなんじゃないかと思って」
「そっちってどっちだよ。言っとくけど、俺はノーマルだから」
「それなら、どんな人なら良いの?っていうか、好きな人とか居たことある?」
「……ありのままの俺を見てくれる人が好きだ」
悠真くんはそう言って、照れたように頬を僅かに赤く染めた。
二年生になるまで誰とも付き合わなかった悠真くんは、みんなの王子様像が確立していて勝手に人物像を作り上げている女子も多い。悠真くんは女子とほとんど話さないので、特にその傾向が強いかもしれない。あたしだって、今もぴくぴくと動く長いお耳を見えなかったら、こんな風に一緒に帰ったりする関係にはなれなかっただろう。特に憧れていなかったあたしですら、去年の悠真くんのイメージと今年知り合った悠真くんの性格は違うのだから。
「それは大変かもしれないね。悠真くんはみんなの王子様だし」
「なにそれ」
同情の気持ちを込めて呟けば、長い耳がこっちの方を向いた。そして不機嫌そうに顔を顰めた悠真くんはじっとあたしのことを見ている。
「何ていうか、悠真くんが今まで誰とも付き合ったりしなかったから、王子様像に拍車がかかってるっていうのかなぁ。男子としか話さないから、親しい女子もいないでしょ?」
「……若葉さんと話してるよ」
「そうだね。あたしとは仲が良いけど、他の人とも話せるようにならなきゃ難しいかもねぇ」
「ヤダ」
「でも、それじゃあ彼女できないよー」
「じゃあ、練習させてよ」
今、なんて言いました?この人は。
「え?」
「若葉さんで練習。女の子と話すための。だめ?」
「や……良いけど、それで効果あるのかな?」
「うん。多分。それじゃあ、そういうことで、よろしくね」
悠真くんはにっこりと笑みを浮かべると、自然にあたしの手を取った。そして何を思ったか、そのまま手を繋いで歩き出す。
「ちょ、悠真くん?手が?あの?その?」
「練習だよ、練習。女の子ってよく手繋いでるじゃん。廊下で手繋いでる女子、よく見かけるし」
「う、うん?」
確かに学校内でも手を繋いだり、腕を組んだり、抱きしめあったり、そんなスキンシップを取る女子はよく見かける。
「そういうこと。……さ、早く帰らないと暗くなるよ。ポン太の散歩行くんでしょ?」
「ああ、そうだった!ポン太が待ってるんだった」
微笑を浮かべる悠真くんに言われて、あたしは自宅で待つポン太を思い浮かべる。夕方の散歩はあたしの仕事であるので、きっと今もまだかまだかと待ち構えていることだろう。
そしてすっかりとポン太のことで頭がいっぱいになったあたしは、そのまま悠真くんと家路を急いだのだった。手をつないでいることの違和感をすっかり忘れて。
――あれ。何で、手をつないでるんだっけ?