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ナイは混沌の声  作者: 山和平
8/13

第三章 逆さの鳥居

1 老教授の研究


 話が途切れると、占い師のお姉さんの気配が薄くなっていた。

 居るのに、居ない。居ないようで、居る。

 まるで何かがずれてしまったかのようだ。

「さて、本当かどうか。よくできた話とも言えるし、もし本当なら、日本の重要な文化財が火の中に消えた、と言う事になるなあ」

 老教授が一人うんうんと頷いているのが妙な感じだった。

「妙法夜音経。全910巻。もし現存していれば、おそらく世界で唯一だった筈。原典『キタブ・アル・アジフ』のもっとも完訳に近いと言われる代物なのだがなあ」

「そんなに少ないお経何ですか?」

「ゴータマ・シッダールタの言葉、と言う意味の仏典ではないがね。それを言えば、今ある経典の九割は異端仏教と言う事になる。まあ、それらを含んで仏教の歴史なのだが」

「お経って、そうなんですか?」

「まあ現代では呪文みたいな扱いだがね。元々は開祖であるゴータマ・シッダールタの例え話を交えた説法を、十大弟子の一人であるアーナンダがゴータマの死後に記述した物が経典の始まりだ。言わば仏教の最初の教科書だね。これを日本語で訳すと『昔々ある所に誰々が居てこんな事が起きた』みたいなものになるわけだ。

そして、この例え話的な説法が、仏教の節操が無い経典発展に繋がっていく。古代の神話や民話を出して、最後に『これ全て御仏の思し召し』と付けると仏教説話に早変わりしてしまうのだよ。そうして仏教は哲学の属性を強く持っていた解脱思想の原始仏教に既存の宗教のエッセンスを取り込んで宗教と言う形へと変化していく。

例えば、仏教の改革元であるバラモン教。拝火教であるゾロアスター教。真言密教などはどちらかと言えばバラモン教だし、大乗とされるのは救世主思想に近いゾロアスター教だ。些か乱暴な解釈だがね。時に、日本で一番有名なお経は何だと思うかな?」

「一番有名って事になるとやっぱり『南無阿弥陀仏』ですよね?」

「まあそうだろうね。『南無阿弥陀仏』の『阿弥陀経』は完全に後年の創作で、内容に歴史的矛盾も多い。しかし、中国や日本ではそう言う区切り無く『仏典』として入ってきたわけだ。当時どんなに優秀な僧侶でも、さすがに仏典ごとに数百年の仏教解釈差があるとは理解できなかった。全部天竺から来た仏様の経典だし、内容も例え話を並べるから歴史的に整理する事もできないからね。あるいはまあ、宗教に有りがちな解釈だが、『神や仏は時間を凌駕する』とするからね。不自然に非ずとしても不思議はない」

 それを神の摂理と言う。

「だから、仏典に混じって、仏教とは無関係の物が流入するケースが幾つもあった。この夜音経の原典は八世紀ダマスカスで著された『キタブ・アル・アジフ』と言う奇書でね。玄奘三蔵が唐に仏典を持ち帰った、数十年後の著作だ。その少し後が遣唐使の時代だよ。

これが洋の東西に実に様々な言語とタイトルで訳された。もっとも有名なのはギリシャ語。ラテン語。遥か後には英語版も出た。仏典として日本に渡った物でも『妙法黒蓮蟲声経』『朱誅龍経』などがあるが、これらは原典のごく一部だと言われていてね。日本で十四世紀頃に古代ヘブライ語で訳された『ナチュラン・デモント』が発見されたと言う噂もある。他にも鳥取大学の秘蔵本『死霊回帰』や、清朝を経由した『屍龍経典』などもあるが、精度と言う点では圧倒的に劣るのだよ」

「もしかして、貴方の研究に関係しているんですか?」

「うむ。実は直接間接、どちらにも関わっている。この原典『キタブ・アル・アジフ』は特に世界に散らばる古代の神々への信仰の記述が素晴らしいとされている。私の研究対象であるこの鳥居に関しても、何らかの記述があったかもしれないが、残念な事に写本や訳本ではごくごく一部が重複していて、現在保存が確認されているもっとも優れた訳本でも全体の六割程度だと言われているのだ」

 畏怖を感じる。

 八世紀に書かれた本が、そこまで世界の事をカバーしているものだろうか?

 シルクロードで流通はあっただろう。中世とは言え情報もそれなりに通じていたと思う。

 古代日本、卑弥呼の時代でも大陸の情勢を掴んでいたのだ。情報の伝達と言う要素は古代のイメージを凌駕する事が多い。

 しかし、すでにキリスト教・イスラム教・仏教が成立してそれぞれが独自の神学を形成していた、まさにそんな時代に、遥か古代の、それも忘れ去られたような神々の記述を記せるものなのだろうか?

 だとしたら、その著者はとんでもない超能力者か、あるいはとんでもない狂人なのではないだろうか。

「夜音経自体、部分部分は国内でも見つかっていてね。中には他の訳本には無い記述がある物も発見されているらしい。いやはや、残念な話だった」

 その割には残念そうな雰囲気は無い。

 今の話を信じていないからか。それとも、真実であっても問題無い理由があるのか。

 ストーブが部屋を暖めて言う筈なのに、何かが背筋を凍らせる。

「さて、次は私の番か。君には退屈かもしれないが、一つ私が研究する、この逆さの鳥居について話そうか。もちろん鳥居ではなく、何か別のモノなのだろうが」

   ザリッ

 もう一度見せられた二つの記号。

 だけど、それは何故か『縦に二つで一つ』のようにも見えた。

「二つで一つの記号、なんでしょうか?」

「おそらくはね。何しろ日本国内十数箇所で見つかっている。例外無く、古く巨大な岩や洞窟の中だ。まあ現代まで残っている場所だからある程度風化に耐えうる頑強な場所なのだが。信仰を示す何かだと考えるのが妥当だと思うのだよ。縄文時代、あるいはもっと古くに日本列島に広く信仰された、大いなる神のしるしなのではないか、とね」

「古代日本で信仰されていた神、ですか」

「日本神話に登場する国津神たちは、そのほとんどが土着神だと言われている。一方で天津神と呼ばれる神々は渡来神だ。しかし天津神の中でも三貴子と呼ばれる天照大御神アマテラスオオミカミ月読命ツクヨミノミコト須佐之男命スサノオノミコトは姉弟神だとされるが、実際の所は、須佐之男命は出雲の土着神ではないかと言われている。しかし、関東や東北に居た蝦夷と呼ばれていた人々は、もっと古い神を信仰していたのでは、と思う。アラハバキと言う神の事は知っているかね?」

「いえ」

「古の大地母神とも言われるが、簡単に言うと巨岩信仰だ。岩手県の北上山地には『アラハバキ』と呼ばれる巨岩が御神体の神社がある。また、蝦夷の地だった土地には環状列石が作られている事が多い。ほとんどは破壊されたが、幾つかはまだ現存している。この信仰は、かなり古い。そう言えば、さっき話に出てきたイタカ神も環状列石に関わりのある神だったかな。蝦夷たちの信仰が北海道に持ち込まれた可能性もあるし、……あるいは」

「あるいは?」

「日本列島に、蝦夷よりもさらに古い民が居た、と言う可能性もあるかもしれない。実のところ、幾つかの古文書には古い民と古い信仰が記されているのだ」

「更に古い神様が信仰されていた、と言う事ですか?」

「日本の歴史から見れば文字も無い時代の話だとなるが、世界規模の視点で見れば、バビロニアには紀元前2500年頃にすでに文明があったのだ。二千年あれば極東に辿り着くのも可能だろうね。決して有り得ない話ではないよ。さて、話を戻そうか。今から話すのは、私の研究してきた、この逆さ鳥居の話だ」


 そして、老教授は語り始める。

 この夜、最後となる物語を。


2 巨石信仰


 偶然、そう、偶然なのだ。

 私がこの道に入り、日本全国をフィールドワークして、それを見つけたのは本当に偶然だった。

 見つけた、と言うより、巡り合ったと言うべき事なのかもしれない。


 始まりは修験道の研究で、とある山中を歩いていた時だった。

 まるで岩でできた東屋のような場所があった。

 自然にできた物である事は疑いようも無い。重機が入れるような山ではないし、人の手で作れるような物でも無い。

 岩の下の涼しさに人心地ついて、ふと上を見上げた。

 岩に、二つの記号が刻まれていたのだ。

 『稲穂』と『鳥居』に見えた。

 悪戯にしてはかなり古い跡と見た。

 『鳥居』、と言うのは分からなくもない。神域との境界を示す鳥居を建てる代わりに岩などに刻むのは珍しい話ではない。まして修験者が登る山なら、そう言う事もあるだろう。

 山に『稲穂』? もちろん五穀豊穣を願う儀式は日本中にあるし、山の中の神社で豊作の祈祷が行われることもある。

 一通り歩いて下山した私は、気になっていた記号の事を馴染の修験者に尋ねてみた。

 すると、彼は「あちこちで見かける」と言うではないか。

 しかも、彼の言うあちこちとはここら一帯ではなく、修行者が登る山々で見かけると言う事だった。

 不思議な事に、今の修行コースとは微妙にずれているのだそうだ。

 ただし、その記号は逆さに掘られていたと言う。そうなると『鳥居』も『稲穂』も意味を為さない。

 記号の意味を尋ねてみたのだが、正統の修験者である彼でも、その記号の意味は知らなかった。

 記号が何らかの信仰であるとするならば、その起源はずっと古くなる。最低でも現代から百年以上前だ。

 修験道は明治政府の廃仏と国家神道の制定の際に一端断絶している。

 これが修験道に関わりある事なら江戸時代まで遡りそうだ。

 日を改め、私はその岩屋をもう一度調べてみた。

 そして私は気が付いた。

 この岩屋は二つの岩に天井になった岩が転がって引っかかった、天然の物だったのだろうと言う事。

 そして、この岩が垂直に立っていたとしたら、記号は逆さの鳥居と逆さの稲穂が縦に並んでいたと言う事。

 私は斜面を登り、その元在った場所を見てみた。

 もちろん、そこには何も無かった。

 おそらく、遠い昔に山崩れが起きたのだろう事だけが見て取れた。


 それから私は本業の研究の合間を縫って、修験者に聞いた場所を巡って、土地の人々にも聞き取りをするようになった。

 驚くほど広範囲に、それは存在した。

 厳しい岩山に。洞穴に。崖の中腹に。岩に刻まれていた印。風化を免れたそれらは、一様に同じだった。

 だが、確かに同じような記号が見つかる反面、その意味については全く手掛かりが見つからなかった。

 ただ、幾つかの資料を当たると、その起源がどんどん遡る事だけが分かった。

 年甲斐も無く興奮したよ。

 覆われた真実。歴史のミステリー。

 それを自分が辿っていると言う感覚は、歴史学者の醍醐味だ。

 そして、ある時を境に、私はこの記号が大和朝廷外の民族で信仰されたものではないかと思うようになった。

 土蜘蛛、手長足長、蝦夷、隼人。

 少なくとも中世、西暦800年までは日本は一つの民族国家ではなかった。桓武帝の侵略政策で領土を拡大させた事は間違いないが、その過程で多くの民族が滅ぼされ、ある者は臣従し、ある者は奴隷と成り住処を追われた。

 私は研究を古文書解読に移行させた。

 遺されているほとんどの物は征服民の一方的な記録とは言え、何かが遺されている可能性は十分にある。

 何故か?

 古代の民は神の祟りを畏れる。

 征服地を血で染めれば、それを清めなければならない。


 自分たちの神を置くか、そのまま土着の神を残すか。


 地方に残された大きな寺社は、そこにかつての異民族の神、大和朝廷に祟りを為すと信じられた邪神が居た可能性は十分ある。

 実際、岩手県にある蝦夷の大地母神アラハバキを示す大岩は、破壊されるどころか千年以上手出しされず、周囲に封印の為の毘沙門天が時の征夷大将軍・坂上田村麻呂さかのうえたむらまろの手によって祀られている。田村麻呂は毘沙門天のほぼ真西の奥羽山脈側に自身が建立に関わった清水寺まで勧請している。これほどの処置をしなければ恐ろしい相手であると考えられる。

 長野の諏訪神社も元を生せば土着神の聖地だが、重要な場所として引き継がれ守られ続けてきた。


 そして、幾つもの古文書を渡り歩いた私は、ある古代民族の存在を示す奇怪な古文書に出会った。

 俄かには信じられない代物だが。

 それは日本古代史では有り得ない、文字が刻まれた粘土板タブレットだった。

   *

 1915年。邪馬台国エジプト論など奇説が現れ、竹内文書と言う日本史史上最大の奇書が現れた前後。

 この年、東海地方の遺跡で、日本史を揺るがしかねないある物が発掘された。

 縄文時代の遺跡から、出てきた数枚の粘土板。それには未発見の文字が刻まれていた。

 当時この文字を全く解読できなかったそうだ。そこに刻まれていたのは、古代日本はもちろん漢帝国でも使われていない言語体系。

 大なり小なり、東アジアの文化圏は中華帝国の影響を受けている。その影響下に無い文字、と言う事になる。

 古代日本における初めての文字の発見、と謳われたらしい。

 何しろ、昔の日本には文字が無かったと正史に記されているのだ。

 竹内文書などでは神代文字と称される古代文字があったとしているが、この粘土板の文字は全くの別物だ。

 縄文土器は知ってるかな?

 縄目で模様を付けた厚手の土器だ。芸術性に富む物が多い一方で、しかし、あれらの土器には文字らしき文字は無い。

 そんな時代の遺跡から、まるで古代バビロニアの粘土板のような物が出土したと言う。


 解読できない。手掛かりも無い。結局戦争の時代と言う時節もあって、保管されたまま三十年と言う月日が流れた。

 幾度と無く行われた東京大空襲。

 多大な人的犠牲のみならず、貴重な歴史的資料も焼失する事になった、人類史の重大事件だ。

 例えば、現在竹内文書とされる物は一部分の解釈だけが記録に残っており、肝心の古文書と遺物は全て東京大空襲で焼失している。偽書が偽書と証明する術を失ったとも言えるから良かったのか悪かったのか。

 しかし、東京のある場所で保管されていたそれは、幸いにも粘土板であったために東京大空襲で焼失せず、1946年にGHQに押収された。

 そして、当時のアメリカ大統領トルーマンの命令書を持って現れた、アメリカ東海岸の総合大学ミスカトニック大学で教鞭をとっていた経験もあると言う研究者が南洋の古代文字との共通点を見出してその粘土板の解読に成功した。

 海の民が古代日本に影響を与えた事は事実だ。本幹ではないにしても日本語や文化も影響を受けている事は研究の結果明らかになっている。

 だから、文字が伝わっていてもおかしくは無い。


 その粘土板には、これまで知られていなかった二つの古代民族が日本列島に居た事が刻まれていた。

   

 大和朝廷が、勝ったと言う記録すら残す事をしなかった、二つの奇妙な民。

 一つは、『カオナシノオオキミ』と呼ばれる祭祀王によって支配された血生臭い一族。

 記録に残らなかったのは、大和朝廷が出兵した時にはすでに滅んでいたからだと言う。

 無貌の仮面をつけた祭祀王に率いられ周辺の集落を従えた強国だったが、海の向こうの竜宮より現れたヤトノカミの兵と幾度と無く戦争を行い、遂に敗れた。

 夜刀神やとのかみは常陸国風土記、今で言う茨城県の話に登場する、強い呪いを持った蛇神、自然神だが、ここで出てくるヤトノカミは全くの別物だ。形状は蛸と蛇と人を混ぜたかのような異形だったらしい。もしかするとこのヤトノカミが東海から常陸に渡って定着したのかもしれない。

 千葉県には夜刀浦やとのうらと言う地名も残っていて夜刀神と言う神も伝わっているが、こちらは単体の人面蛇体の神だと言う。


 もう一つは、『カオナシノオオキミ』の民に支配されていた『アラヤ』の民だ。

 粘土板の記述によれば、このアラヤの民は不思議な力を持っていたと言う。

 仏教用語に『阿頼耶識あらやしき』と言う物がある。現代の心理学では『普遍的無意識』と呼ばれるものに近い概念で、人と言う形を越え全ての人間の意識が集まる深層意識を意味する。

 『阿頼耶』の『アラヤ』とは家屋を意味する古代サンスクリット語だ。

 インドから『アラヤ』と言う言葉が流れてきて定着したのか、後から付けられたかは不明だが、この『アラヤ』の民はそう言う思想と、それを実行する民だったらしい。

 『夢を見る力持つ民』と呼ばれた彼らは多くの神を信仰していたが、中でも最も恐れた神が存在していたと言う。

 彼らはこの神の怒りを買わぬように、自分たちが瞑想する各地の場所に印を刻んだと言うのだ。

 『アラヤ』の民は、『カオナシノオオキミ』の民の支配を受け入れていたが、ある時忽然と姿を消したと言う。


 飯綱大学の図書館でこの記述を発見した時、私は直感を得た。

 これこそあの印なのではないか?

 由来不明の記号をすぐに古代論と結びつけるのは素人学者かオカルトマニア並の浅はかではあるが、可能性の一つとして私は胸に留めた。

   *

 その後の研究は遅々として進まなかった。

 資料も少なく、裏付けする手掛かりも無い。論を発表したとしても相手にされる筈がない。

 本業の研究はそれなりに纏まり、私は思い切って新たな逆さの鳥居を探すフィールドワークに出る事にした。

 もしかしたら、古代から人の手が入らない場所に刻まれているかもしれない。

 そんな物が発見できれば、それはすなわち古代に信仰があった事の裏付けになる。

 そうして私は厳しい自然の中に入るようなった。

 最早この日本で未知の地を探し出す事は難しい。

 古くから修験道が栄えた日本では、深い山々と言えども未知の領域には成り得ない。

 おそらく中部・東海地方から東部、ほぼ東日本全域だろうと言う漠然とした範囲だけが手がかりだった。

 だが、運命は訪れる物だ。

 元々の研究に関して、私はとある洞窟を調べる調査団に参加していた。

 日本仏教、特に真言宗には洞窟を掘り進む修行などもあり、日本では洞窟寺院と言うと人工物である事が多い。

 しかし、太古から存在する天然の洞窟を寺院にしたパターンもある。

 宮城県旧伊須磨郡谷地村跡。 

 岩手と宮城の沿岸部県境にあり、1978年の宮城県沖地震で壊滅した谷地村の信仰跡を調査する事が目的だった。

 ほぼ全員である村民二百人が犠牲となった山崩れ。

 当時レスキューも入れず、今も山崩れ後に村民の亡骸が埋まったままになっている。

 そこで、存在したと言われていた洞窟寺院の発掘調査が計画されたのだ。

 だが、結局山崩れ後を採掘するのは難しいと言う結論が出された。

 代わりに別のルートから掘れるかどうか、と言う調査を始めて暫くした日。

 私たちは、地震によってできた断層を発見した。

 ………いや、正確に言おう。

 おそらく未発見である洞窟の入り口を発見した。

 リアス式海岸特有の切り立った崖のような海岸部に縦に裂けた開口。

 地震によってできた真新しい断層によって洞窟に新しい入口ができたのだ。

 すぐに調査隊が編成され、私はその先頭に立った。


 ………ああ。その時の興奮は忘れられない。

 そこは明らかに、数百年以上の間、人の入った様子の無い場所だった。

 未知の洞窟。

 そして、歩いて進めるその最奥で。

 私は発見した。

 岩壁に大きく刻まれた、『逆さの鳥居』を!


 人の手の入らない筈の場所に刻まれた印。

 私は遂に確信した。

 遥か古き時代にこの洞窟の中に人が入り、この印を刻んだ者が居るのだと。

 それはあの古文書に記された民なのだろうと!


 洞窟の発見と言う大きな要素はあったが、肝心の洞窟寺院調査は不可能と言う結論で終結した。

 研究に戻った私は様々な古文書や稀覯本を当たり、『逆さの鳥居』が示す神を洗い出そうと躍起になった。

 何度も飯綱大学の図書館に通い、日本のみならず西洋の様々な稀覯本にも目を通した。

 その結果として、私はまた大きな壁にぶつかる事になった。

 ある稀覯本。

 鳥取大学で閲覧できた『死霊回帰』の訳文に記された一節。


『…………は父なるヨグ………の落とし仔にして夢の境にあるものなり。空に鳥居を開き、定めを違いし者を食む。故に夢の境を越えんとする者はこのものを神と畏れ奉る』


 他の物には無かった文言。

 その言葉に喜ぶ間もなく、私はその事実に愕然となった。

 前後が文脈から抜け落ちていたのだ!

 『死霊回帰』は何度も別言語で翻訳された中で様々な部分が抜け落ちてしまっているのだと教えられた私は、同時に『死霊回帰』に酷似した仏典がある事を訊いた。

 『黒蓮蟲声経』『朱誅龍経』そして『妙法夜音経』。

 その探索と内容の照らし合わせに時間を費やし、そしてついに私は


3 山小屋の真実


 静寂が支配していた。

 老教授の視線は虚空に彷徨い、落ち着きを失っていた。

 先ほどまでの研究を語る熱が蜃気楼だと思うような空白。

 時が止まったのかと思うほど時間が長く感じた。

 外の嵐はいよいよ激しく、避難小屋はまるで大洪水の豪雨に打たれる箱舟のようだ。

「…………なぜ」

 老教授の呟きが零れた。  

「どうしたんです?」

 僕は思わず訊ねたが、耳に入らなかったようだった。

「なぜ、私はここに居る?」

「………霧に巻かれて非難したんじゃないんですか?」」

 違う、と頭の中で誰かが否定する。その証拠に、老教授はまるで夢から覚めたような、いや、別人と言っても良いような憔悴した姿に変わっていた。

「そうだ、私は出会ったのだ。稀覯本を………叡智を記した魔道書を追い求めるうちにあの者たちに出会ったのだ!

「………あの者たち?」

「黄色だ! 黄色の衣を被った………いや、黄色の印を持ったあの連中! 私が手に入れた夜音経の写本を奪い取ろうとした奴らに、私は、私は! 私はァ!」

 老教授はもう何も見ていないようだった。

 僕がここに居ると言う事も、分かっていないようだった。 

「………殺されたのだ。奴らの唱える呪文で、心臓を握り潰されて。あの黄衣の僧に」

 黄衣の僧。

 それは占い師のお姉さんの話にも出てきた。

 この人も遭遇し、そして、命を奪われた?

 疑問を投げかける間もなく、老教授の身体が一変する。

 それは、どこからどう見ても死体だった。

 半ばミイラ化した老人の亡骸。

 見渡せば、女性も、山男も、生きていたそれではなかった。

 僕は、死者の話を聞いていたのか?


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 僕の左目を、かつてないほどのノイズが埋め尽くした。


◇『宝那戸ホナドタブレット』【魔道書?】

 1915年、縄文期の物と思われる南伊豆宝那戸遺跡より出土した十五枚の粘土板。

 古代の貴人の墳墓と思われる場所で石棺の中から副葬品として発見された。

 保存状態は常識外れと言えるほど非常に良く、また同時に祭祀用と思われる目鼻口も何も無い無貌の仮面が発見されている。仮面は裏面も平らで、普通の人間では顔が潰れてまともに身に付けられない物だが、九州などの遺跡から似たような物が発見されており、古代の祭祀に共通する概念があったのではと窺わせる。 


 最大の特徴は未知の文字がこの粘土板に刻まれていた事である。

 東アジア圏の古代文化に属しない文字であり、現在非公式ながら日本国内で発見された最古の文字である。

 発見当時、一部の学者によって報告されたものの解読できず、折からの新興宗教の登場や超古代文明論の流行の中で次第に埋没。約三十年間、東京の某所で保管されていた。


 1946年。トルーマン大統領の勅命と共に日本を訪れた元ミスカトニック大学哲学講師ラバン・シュリュズベリイ博士によって、この粘土板に刻まれていた文字が博士の研究する南洋のルルイエ文字と酷似している事が判明。

 その内容を解読したシュリュズベリイ博士は、粘土板と解読文をミスカトニック大学と交流のあった飯綱製薬特設図書館に預け、自身は写本を持ち帰った。なお、シュリュズベリイ博士は終戦に前後する前年の1945年に沖縄首里城を訪れている。

 更に1947年、シュリュズベリイ博士は南洋における米海軍の特殊作戦に同行した。その作戦の根拠となった記述がタブレットにあったとされている。

 ちなみにホナド・タブレットの命名者はシュリュズベリイ博士。


 解読された内容は、古代日本の東海地方に存在した、二つの古代民族の習俗と滅亡に関わる物であった。

 現在は飯綱大学旧図書館特別保管庫に秘蔵され、粘土板は第一級閲覧制限図書に指定されている。解読文は制限が低く、手続きと身分証明で館内閲覧が可能。要アポイント。


 尚、粘土板と同時に発見された無貌の仮面は、現在に至るも所在不明である。


◇カオナシノオオキミの民

 東海地方で縄文期に勢力を持っていた集落。

 日本古代史を覆す高度な文化を持っていたとされる。

 時代は縄文期であったが、狩猟や漁の他に、奴隷を使った農業をしていた

 カオナシノオオキミとは祭祀王の事で、この王の指導によって周辺の集落と戦争し、その多くを隷属させていたとされる。

 人身御供、すなわち生贄を多用した祭祀を執り行っていた。

 中でも火山火口に『ヒミコ』なる女性の人柱を突き落す特徴的な儀式が記録されている。邪馬台国の卑弥呼との関連性は不明。富士山の見立てとして伊豆半島の火山を使っていたとされる。

 出土品からこの祭祀王は顔面が歪むような無貌の仮面を着けていたのでは、と推測される。

 『シブニガ』と呼ばれる地母神を信仰していた。のちの蝦夷の『アラハバキ』に繋がる信仰ではないかと思われる。

 カオナシノオオキミの呪術によって戦争に連戦連勝だったと記されている。


 しかし、海から突然現れたヤトノカミと呼ばれる蛸と蛇と人間が混ざった異形の兵に地形が変わるほど蹂躙され、この民は滅びた。「ヤトノカミは竜宮より来る」と記述が残されている。


 一時期、後漢書東夷伝や魏志倭人伝に関わる民ではと言われたが、現在は明確に時代が違う事が判明している。


 宝那戸タブレットに滅亡までの内容が刻まれている事に対しては、タブレットを副葬品にされた人物が極めて高い身分だった事を示していると考えられる。


◇アラヤの民

 宝那戸タブレットの四枚目に記述がある民。支配民の記述の中で、唯一詳しく記録されている。

 古代サンスクリット語で『家屋』を意味するアラヤの名を持つ民。

 後に付けられた通称ではなく、粘土板に刻まれていた名前。時代的に古代仏教との関連性は薄いが、同時に共通する部分も有り研究が待たれる。

 カオナシノオオキミの民に支配されていた民で、山岳地などに点在して暮らしていたらしい。


 アラヤの民の記述は不明瞭で、「夢を見る力を持つ民」であるとか、「銀の細石で夢に渡る民」などが記されているが、具体性に欠ける。

 アラヤの民は多くの神々を信仰していたが、中でももっとも恐れたのが『空を割る焔の舌』と呼ばれる神であった。彼らはその神の怒りを買わぬように、夢の地に向かう場所に神の姿を模した印を刻んだと言う。


 或る時、カオナシノオオキミの兵がアラヤの民の集落に行くと、全ての民が忽然と姿を消して二度と現れる事はなかった、と言う記述でアラヤの民の部分は終わる。


◇『死霊回帰しりょうかいき』【魔道書】

 かの『ネクロノミコン』のポルトガル語訳である。邦題のみ和訳された。

 日本には徳川幕府の禁教令直前、宣教師によって持ち込まれたらしい。

 出版されたものではなく、手書き本であり一冊しか存在しない。

 現在未確認のペルシア語訳版をベースにしたものであり、ペルシア語訳は西暦1100年代、狂える詩人アトバラナ、あるいはガラパゴロスなる人物が行ったとされている。

 大胆な翻訳が施されたり、呪文、固有名詞などが微妙な訳になったりしている。

 もっとも、呪文や神名は人間の発音では難しい物が多いため、些細な違いに過ぎないと言う見方もある。

 『ヨグ=ソトース』の落とし仔に『ヨーグルト』と言う名前を付けている事で有名。

 翻訳元であるペルシア語版は『ネクロノミコン』登場後比較的早い時期に訳された物だが、こちらの『死霊回帰』は残念ながら、『ネクロノミコン』の訳本の中では足りない部分もあり極めて劣悪な部類に入るが、一方で断章と思われる部分が一部補完されている為、国内研究者はもちろん、海外の研究者も内容に注目している。

 日本では鳥取大学に秘蔵されているのみ。

 何故保有していたのか、どうして研究されていたのか、記録は残されていない。

 1960年代にこの本を巡って鳥取県の山村でおぞましい事件が発生している。その記録については漫画家水木しげるが記録漫画を残している。


 2000年代に飯綱大学図書館に寄贈される予定だったが、諸々の事情により無期延期となった。


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