断章3 黒乃ナイの影
断章3 ~黒乃ナイの影~
「そう言えば、黒乃ってこの辺に住んでるんだよな」
ゲーム機のパッドを握ったタケがそう呟いたのは、勝ったり負けたりを繰り返し、そろそろ格闘ゲームの勝敗がどうでもよくなってきた頃だった。
僕が休日に友人を家に招くのは久し振りだった。
三月に中学校の同級生達と何となくお別れパーティ的なノリで集まった時以来だ。その面子とも卒業を機に半分以上と顔を合わせていない。
ファーストフードの店内でたまに顔を見る事はあるけど、別の学校の友人達とよろしくやっている所に顔を出すほど無粋じゃない。天秤にかけるなら誰だって過去よりも新しい生活さ。
いや、そうでなくっちゃダメだ。
新しい生活を懸命に生きる方が大事に決まっている。
タケも僕の家に来るのはその時以来だ。
と言うか、かなり聞き捨てならない事を何の前振りも無く言った事に驚いた。
「黒乃って、黒乃ナイが?」
その衝撃発言直後に、僕のキャラが弱パンチで負けた。画面がスローになってダウン。
「おう」
何となくグダグダになったので言葉を交わす事も無く格闘ゲームは終了。「止めるぞ」と言ってタケは片手で別のゲームを物色し始めながら答える。
「初耳だよ」
「俺もだ。今日初めて知った」
なんだそれ?
黒乃ナイは転校生。
最近この辺りで引っ越しなんてあっただろうか、と思い返すがそれらしい話は聞いた事が無い。
意外かもしれないが、こう言う中途半端な地方都市では近所の引っ越し情報と言うのは周辺に野火のように広がるものだ。
「今日初めて? あれだけちやほやして住んでる場所を知らなかったの?」
「俺だけじゃないと思うがな。たぶん他の連中も知らない。大ネタだ」
タケが一枚を選ぶ。古いギャルゲー。今、何故それを選ぶのだろう。
「待ってよ。あれだけ人気なのに誰も住んでる場所を知らなかった?」
「最近じゃクラス名簿録も配布しないもんな。連絡網も作らないみたいだし。そもそも転校生で情報露出が少ないし」
ナウ・ローディング。長い。脇でプチキャラがピコピコと動く。
「携帯とメールがあるからね。連絡ならメールで充分だし」
「黒乃のナンバーやメルアドなんてもっとプラチナネタだよ。……つーか女子でも知ってる奴って、いるのかな」
「いるでしょ、さすがに」
そうじゃなきゃ変だ。
……でも、心のどこかで黒乃ナイなら何となく有り得ない事じゃないと思う。
ついこの前。
一年の四月の半ば過ぎに転校してきた奇妙な少女。
いや、奇妙だと思っているのは僕だけなのかもしれない。
まるで始めから自分の場所はそこだったと言うように、いつのまにか彼女は常に人の輪の中心に居る。
溶け込みながらも常に目立つ。
でも、自然な光景に見えるのにどこか不自然に、それは歪に見える。
まるで騙し絵。一見普通でありながら、何か異物が混じった世界。
時折左眼に映るノイズが黒乃ナイの像を乱す。
意味が分からない。ただ、危険と怖れがあるだけ。
ろくでもないと言う答えが見えるだけ。
「意図的に情報を止めてるのかな」
「超お嬢様で高級マンションにお住まいとか?」
「この辺りにそんな物は無いよ」
「逆で貧しいとか」
「単に引越しの片付けが終わって無いだけとかじゃない」
微妙なギャルゲーが始まる。
最初から。初日だけで攻略対象キャラ全員分と自動会話。こんなに女子と話せる男子はすでに別次元の存在な気がする。まあ二次元の非実在なんだけど。
心の琴線に触れない会話が続く。
……なんでこんなゲーム手元に置いていたんだっけ?
「ところで、何で黒乃がこの近くに住んでるって分かるんだよ?」
「何でも何も、ここに来る時遭った」
「ええッ?」
「お前ん家に来る道の角の向こうで。……そう言えば何でか制服だったな。あのさ、黒乃って絶対黒だと思うんだよな」
「クロって、容疑者のクロ?」
「バカ。黒乃で黒って言ったら……分かるだろお?」
分からない。確かに黒乃と言えば黒だと思うけど、それは見れば分かる。
「良く考えろ。男子としての想像力を問われるぞ」
「ああ、私服か」
と言うか、白い服を着ている事が想像できない。
「バカ。下着に決まってんだろ。下着。いや、むしろランジェリー? パンティでもショーツでもなくスキャンティと称されるような際どいやつ」
タケの言動は時々おかしい気がする。
あと、僕には黒乃ナイの私服姿が想像できない。
ファッションセンスが皆無なのは自覚しているけど。
「無地のスポーツ用なやつじゃなくて、こう小さくてレース地で透けるエロいパンティとか。いや、スポーツ用でも小さくて食い込むのは有りかもな。ちょい細いからブラよりもキャミとか有りだと思うけどな。臍出しの短いやつで」
タケの言動はやっぱりおかしい気がする。
黒乃ナイのそんな姿を想像して楽しいのだろうか?
決して美少女ではないとは思わないけど。
「違うよ。大事なのは黒乃ナイが近くに来ていたって事じゃないの?」
「近くに来ていた? そりゃちょっと違うな。黒乃はこう言ったんだ。『今からハルキ君の家に遊びに行くのかしら』ってな。つまり! 黒乃はこの近くにハルキの家が在る事を知ってる訳だ。……あれ? 何でだ? 何で黒乃はハルキの事知ってるんだ? あー、そうか、近所だからたまたま知ってる訳だ。そうだな」
背筋に寒い物が降りる。
「ハルキ君」?
僕は黒乃ナイに一度だってそんな呼び方をされた覚えはない。自己紹介だってした覚えは無い。半径一メートルに近寄った事も無い。
会話もした事が。
なのに、
今にも耳元で囁き声が聴こえてきそうな、そんなリアリティを何故か感じる。
まるですぐ後ろに。
「って事はこっちの道経由なら、もしかして朝一緒に登校できるかもしれねえ。うひょう」
そう言えば。
僕は黒乃ナイが登校している姿も下校している姿も見た事が無い。
それどころか、彼女が授業を受けている姿もはっきりと思い出せない。
鮮明なのは休み時間の教室で、人に囲まれている姿だけだ。それだけが強い印象で残っている。
「しっかしハルキは変わってんな。黒乃が苦手なのか?」
「……苦手って言うか」
一緒に居たくない、と言うのを『苦手』と言うのだろうか?
『嫌い』、と言う感情とも違う。
一番近いのは多分、『怖い』だ。
「えっ?」
画面の中に黒乃ナイが居た。
いや、違う。ギャルゲーのヒロイン候補の一人。いわゆるツンデレ系でアクが強いらしい。そんな感じのキャラ。遭遇後大体傾向が読める。
元々微妙なギャルゲーなので内容も造形もイマイチ。なのに何となく似ている。
タケがこれを選んだ理由を何となく察する。
狂ってるよ。
画面の中の少女が露悪的に微笑む。
何故か、黒乃ナイとダブった。そう言うキャラだ。そう言うキャラ。
少し、視界が歪む。
……そう言えば。このゲームにこんなヒロインはいただろうか?
いや、そもそも僕はこんなゲームを手元に置いていただろうか?
こんな古いギャルゲーを。
「あったぜ? 確かにな。ほら、黒乃に似てるって言ってワゴンセールで見付けたんじゃなかったか?」
そんなバカな。それはいつ? だって黒乃ナイが現れたのはついこの間なのに?
僕の後ろで微かに黒乃ナイの気配がした。
ザリッ