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ナイは混沌の声  作者: 山和平
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断章2 黒乃ナイの気配

断章2 ~黒乃ナイの気配~


 五月一日。

 不幸にしてと言うべきか飛び石連休の合間になったその日の昼休み。

 教室に残っているクラスメイトたちの話題の大半は週末から始まる連休後半の過ごし方だった。

 その中心に居るのは、例によって黒乃ナイ。

 男からも女からも色々誘われているようだった。そのくせYESとも言わず、かと言って自分の予定を話す訳でもない。

 それでも彼女は中心に存在するのだ。

 彼女の周りにいる全ての人間が彼女に玩ばれている。そこに何も結果が残らない。

 遠くから見ている僕からすれば、恐ろしく不思議な空間だった。

 渦。はっきりとした『モノ』が無いのに、周囲を巻き込む現象。

 それを横目で見る僕に、「なあハルキ、お前連休どうすんの?」と僕の前の座席を不法占拠したタケがそう訊ねてきた。

 黒乃ナイはいつも人の輪に囲まれているが、僕を除いてもクラス全員が毎回参加している訳ではない。それじゃあ不自然も極まる。

 中学からの付き合いであるタケは出席率五割弱の男だ。今日はたまたま僕と話していた。

 ……いや、たまたまではないか。タケにはタケの事情と言う物があったのだ。


 タケ曰く、高校一年のゴールデンウィークが高一の学校生活、もっと言えば高校生活全体の勝ち組負け組の境になるのだそうだ。

 断じて勉強の事ではない。ぶっちゃけ男女交際の事である。

「いいか、入学式後のホームルームでやった自己紹介の時に確認したと思うが、このクラスは出身中学寄せ集めの混成部隊だ」

 タケの言うとおり、この学校は十を越える中学から生徒が集まっているから、うちのクラスに限らずどこもそんなもの。僕はそんな事を気にしていなかったけど。

「同じ中学出身と言う保険が少ない今こそ動く唯一無二のチャンスだ。四月はクラスの結束強化月間と言い換えても良い。そこで男女の間柄をも強化する。いいか、待ってたって彼女はできないぜ。できるような野郎は芸能科の学校に行っちまえってんだ」

 などと拳を握って主張していたのが十日程前の話。

 タケとは中学からの付き合いだ。確か似たような事を中学最後の夏休みとか高校進学を控えた春休みとかに主張していた気がする。

 そして成功した例にお目にかかった事も無い。いつだって彼は男女交際的にロンリーな男だった。

 男友達同士のイベントの仕切りなんかは抜群に上手くて、BBQとかも得意分野。性格だって愉快だし悪いわけではない。人気があってもいい気はするけど、女子の眼にはアウトに映るんだろう。

「だから連休は有意義に使わなきゃ駄目だぜ。じゃ俺、声掛けてくる」

 と強く宣言したのが四月末。

 成功したのかと訊かれれば、答えは芳しくは無い。

 第一、成功していればこの連休合間の貴重な昼休みに僕の前に居る筈がなかった。

 それこそ彼女との予定をこれ見よがしに一方的に語っている筈だ。

「いや、原因は分かってるんだ」

「原因?」

「黒乃だよ。あいつの動向に揺さぶられた。知ってるか? 一番町で黒乃目当ての人出があったらしいぞ」

 それは少し耳にしていた。連休前、黒乃ナイは「予定は無いが買い物に出るかもしれない」と言ったとか何とか。

 その情報が流れて、当ても無く街に出た人間が多かったらしい。俄かには信じ難い話だ。

 地方都市なので休日に遊べるエリアと言うのは自然と限られてくる。店舗が集中する繁華街なら約束が無くともヤマを張る価値もあるだろう。

 ちなみに一番町とは正式名称を『一番町ショッピングパーク』と言い、市内最大のショッピングエリアである。まあ最近は郊外に複合店舗型ショッピングセンターが次々とオープンしたのでその看板も失われつつあるのだが。

「それにな、やっぱ一足飛びは駄目だ。基本は合コンからだな。クラス結束を理由にして三対三の六人くらいで遊び行こうと思うんだけど、予定無いならハルキも来いよ」

 推測だけど、僕を誘う時点で男子の座席はタケしか埋まっていない。女子の座席はほぼ間違い無くゼロだ。

「生憎だけど、僕は山に行くんだ。三泊四日で」

 放置しておくと話がどんどん勝手な方向に流れていくので、僕はタケに自分の予定を伝えた。

「山って、一人でか?」

「まあね」

 もっとも今回は山、と言っても完全な登山ではない。ハイキングやトレッキングの範囲だ。

 それに、僕は森歩きが好きで森林限界より上にはあんまり興味が無いのだ。危険度が高い冬山や雪が残る春山には行った事もない。森を楽しむのなら春の半ばからだ。

 いずれは、と思うけど、自然豊かな事で有名な日本各地の場所を訪れたいと思っている。

 今回の予定も県北にある山脈の一部の登山コースを歩く程度のものだった。

 二十一世紀の現在、十代半ばで趣味は山歩きだと言うと大概変な顔をされ、一人で歩くと言うとまあ心配される。

 最近は登山のトラブルも多いから尚更だ。

 実際は小学生が遠足で歩くような山なので心配する事はほとんど無い。梅雨に入らなければ酷い天候に当たる事も少ない。

 さすがに中学では単独で泊りがけのような計画はできなかったので、これが初挑戦だった。春休みの頃から計画していたのだ。

「……はあ、合コンより一人で山歩きね。で、どこの山だよ」

「県北の赤倉山あかくらやま高崩山たかくずれやま。どっちも山小屋予約しているんだ」

 少し遠出になるので連休か長期休みじゃないと行けないのだ。それに野宿は趣味じゃない。シェラフそれ自体は割と好きなんだけど、地面に寝転がるのはちょっと好きになれない。

「……赤倉ぁ? あー小学六年の夏休みに登ったわ。しんどいし何も無いし、二度と来ねえと思ったな。山小屋ったって雑魚寝の風呂無しだろ」

「それは小学生だからだよ。大人の足ならほとんど散歩だよ」

 世の中には幼稚園で富士登山をする所もあるそうだ。

「あと、高崩にある山小屋は設備も良いんだよ。温泉もあるしさ」

 その分料金も高いけど。あと、最近の小学六年は今の僕と体格はそう変わらない。

「へえ。温泉ね。大学の登山サークルのお姉さんとかいれば話は別だけどな。ま、彼女と二人でなら良いかもしれないな。そう言えば登山部には入らないのか? この学校にもあるだろ、確か」

 ある。それなりに大きく伝統もあり、割と自然が身近なこの高校には登山部が存在する。

 存在はするのだが。

「んー、趣味が合わないんだ。高い所に登るのが好きなのと森歩きは違うから」

「はっはっは。高い所が好きって、その表現はまずいぞ。ま、俺から見れば女より山を取るのは完全に変態だと思うがな」

 生物学的にはそうかもしれない。しかし人間の本能は森と海を求めるような気もする。

 生命の故郷は海。人類の第二の故郷は森だ。ヨーロッパの人は森が嫌いだそうだけど、それはたぶん本能ではなく文化の違い。

 二人で馬鹿笑いしていた、その時だった。

 突然、僕らの真横に人の気配が現れた。

 それは本当に突然だった。

「……え?」

「おいどうした、いきなり横向いて……うおっ!」

 黒い人影だった。座っている僕らを見下ろしているようなんだけど表情が見えない。

 でも、笑っているような気配だけがそこにある。

「黒乃っ?」

 タケの声で、僕はそれが誰なのかようやく判別できた。

 黒乃ナイだ。いつの間にか、彼女は僕の机の横に来ていた。

 いつの間に? いや、そもそも彼女は人の輪を残したまま、ここに移動していた。残された連中も何かに化かされたような呆けた顔をしている。

「私と比べたらどうかしら」

 僕らを見下ろしたまま、彼女はそう言った。

 ……いや、見ているのは、僕の方だ。

「どう、って何が?」

「私と一緒に過ごすのと山を歩くのと、どっちが楽しいかしら」

 確定。理由は分からないけど、黒乃ナイは僕に用事があるらしい。

「ええと」

 前述の通り、僕は黒乃ナイが苦手だ。細胞レベルで反発している気がする。今もできるなら逃げ出したいと本能レベルで思っているほどだ。

 さっきまでかいていなかった筈の冷や汗が、今は背中いっぱいに溢れてシャツが貼り付いている。

 ところが、彼女は片手を僕の椅子の背もたれにかけている。これでは席を立つのは困難極まる状態だ。下手に立ち上がろうとして彼女が退かなければ、僕は黒乃ナイの身体に接触しなければならなくなる。

「く、黒乃は山に興味あんの?」

 突然の来襲に泡を吹いていたタケが気を取り直して声をかけた。まだ声が上擦っているけど。

「無いわ」

 あっさりと答える。それじゃあなんで僕に声をかけたんだろうか。

 クラスで僕だけが彼女に反応しないから、からかっているのだろうか、とも考える。

 でも、黒乃ナイと言う少女がそう言う行動をするとは思えない。

 いや、そもそも僕に声をかけると言う事が異常事態だった。彼女が積極的に何かと関わろうとする光景は見た事が無かったから。

 だから、その次の、僕にしか聞こえない声で言った言葉に僕は正直胆を潰した。


「あなた、私の物になりなさい。それが一番良い選択よ」


 本来なら蜂蜜のように甘い言葉も、僕の左目には死刑宣告と同様に認識された。


 酷い、ノイズ。強い、こんなに。顔も判らないほど、なのに。嘲笑うように吊り上がった口元だけが。

 亀裂。

 世界を、侵す、砂。


 それじゃ、と彼女は答えを待たずに僕たちの傍から離れ、人の輪の中に戻って行った。

 彼女が戻った輪は一瞬で解凍され、さっきと同じように話を始めた。


 まるで、時間の、隙間の、出来事。


 どうやら、彼女の質問は質問ですらなかったらしい。一体何をしに来たのか。

「いや、驚いたな。黒乃ってあんな事を言うんだな」

「え? あ、いや、激しく同感」

「あれか、お前が敬遠するから、からかいに来たのか」

「え?」

 僕をデートに誘いに来た、とは考えないらしい。最後のあれはやはり僕だけに聞こえていたようだ。

 無論、僕にだって理由は全然分からない。なぜ彼女が突然僕にあんな事を言ったのか。

 いや、そもそも会話に前提が存在していない。

 まるですでに全てが決まっているかのような、そんな話だった。

「……しかし、囲まれて話をされていて、よく俺達の会話が聴こえたもんだな」

「確かにね。余程いい耳をしている事は何となく知ってたけど、地獄耳も追加ってところだね」

 正直に言えばどうでもいい。


 黒乃ナイにはそんな前提なんか意味が無い気がするから。


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