黒ノ断章 EYE OF ALHAZRED
最後の謎を解きましょう。
そう、黒乃ナイは言った。
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僕の通報により、山小屋の亡骸は発見された。
奇妙な事に、三体はミイラではなく死体で、服や荷物も比較的良い状態で残されており、身元確認も楽だったようだ。
最もそれが新たな謎を呼び、世間を少し騒がせたが、僕にはもう関係無い。
そして何よりも大事な事は、ミイラの胸に有った黄の印は失われていた事だろう。
何者かが手に入れて、使うかもしれないけれど、たぶん黒乃ナイが何かしたのだから、謎でも何でもない。いずれ彼女が、あるいは彼女ではない彼女が何かに使うのかもしれない。
適当に辻褄が合わされ、真実は闇の中。
老教授はすでに大学の研究室も無くなっていたが、遺した研究は飯綱大学の研究室と図書館が引き取ったそうだ。『空を割る焔の舌』の研究はひっそりと残される事になった。もしかしたら未来の誰かが役立てるかもしれない。
占い師の事を貶めた人物は、とっくの昔に後ろに手が回って、今は霊感商法詐欺による立て続けの裁判と損害賠償でどうしようもなくなったとネットのニュースに出ていた。
山男は、遺体も遺品も実家が引き取った。山男の話に出た彼女の彼氏は今も行方不明。まあ、イタクァの周囲で生きてるんだろう。たぶん。
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連休が明けて、日常は何も変わらない。
結局連休を男友達と過ごしたらしいタケは、相変わらず前向きに鼻息荒く次のチャンスを狙っている。
夏休み前に一度大規模な合コンを開くぜ、と言っていたけど、さて、上手くいくのだろうか。
確かに夏休み前ならニーズはあるだろうけど、肝心のタケ本人が報われるかどうかは定かではない。
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4月15日
今なら分かる。
あの日、黒乃ナイは突然この学校に現れた。
『古の黒きアテン、或いはニャルラトホテプの祭日』
古代エジプトより続く、ニャルラトホテプ降臨の日。
かの終末の暗黒神を崇めるカルトは、今もなおこの日に忌まわしき儀式を行っているだろう。
らしいと言えばらしい。
そして僕は彼女に呼ばれて放課後の空き教室に来ていた。
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「どのくらいわかってるのかしら?」
あの日、幻視した時と同じように、黒乃ナイは教室の中心でただ一つ立てられた机の上に座っていた。
その姿はどこか、古のエジプトでネフレン=カによって祀られたニャルラトホテプの化身、顔の無いスフィンクスを思わせる。
「僕に黄衣の僧が何かの術をかけた。たぶんずっと幼い時に。誰でも良かったけど、たまたま僕が上手く適応した、そんなところかな。その術が僕の左目をおかしくした」
「正確には、貴方の脳よ。貴方の脳に、別の人間が体験したものを召喚し、定着させる。それはそう言う呪法。結果として左右どちらかの眼球に情報が入るようになる。そうね、貴方の場合は『アルハザードの瞳』とでも呼ぶのかしらね」
もっとも、その成功率は低い。
もともとは取り出した脳髄に施し、擬似的なデータバンクとして使用する為の呪法なのだ。
脳は優れたコンピュータであると言う。
しかしながら、生きて生活する人間に施す呪法ではなく、当然耐えられない。
おそらく何十人、もしかすると世界中で何十年にも渡って、千人以上があの黄衣の僧によって犠牲になっているかもしれない。
「そして、ハルキ君は覚醒した。それは即ち擬似的なアブドゥル・アルハザード。あるいは彼の執筆した最高の魔道書『キタブ・アル・アジフ』その物になった。おそらく、世界にこれ以上完璧な物は存在し得ない。文字通りの生ける『ネクロノミコン』よ。それはどう言う事かわかるかしら?」
「僕はもう永くない。そう言う事だろ?」
「正解。つまらないわね」
覚醒は能力を開花させる代わりに負担は増大する。今は小康状態だが、何かのきっかけ、ほんのちょっとした事で、僕は正気を失うか、或いは脳が壊れてあっさりと死ぬだろう。
身体か、或いは精神か。どちらかが間もなく潰える筈だ。
多く見積もってもせいぜい半年、だろうか。
だが、黒乃ナイは表情を変えず笑ったままだ。
僕の解答に満足したような節も無い。
「絶望した僕を見たかったんじゃないのか?」
「まさか。私は言ったわよ? 折角の喜劇役者を舞台から降ろすつもりは無いって。喜劇役者が降りた舞台は三文の悲劇だわ」
見えざる獣の手が僕の頭を強くつかんだ。
そのまま、僕は引きずられて黒乃ナイの前に引っ張り出される。
見上げれば、いやらしく露悪的な嘲笑を浮かべる黒乃ナイ。
まるで神に捧げられた生贄の気分だった。
頭はがっちりと鉤爪を持つ魔獣の前脚で掴まれている感じ。肌の感触だけで背筋が凍りそうだ。
そのまま、黒乃ナイの顔が身動きできない僕の顔に近付く。
ぐちゅり
僕の左目に、黒乃ナイの舌が溶け込んだ。
「んんんんっ!」
言葉にならない、全身を玩ばれるような快楽の感覚。
黒乃ナイの舌は僕の眼球と一体化し、視神経を侵食しながら脳まで入り込んでいく。
身体の中身から嬲られる未知の官能は、しかし決して麻薬のような恍惚感ではなく、悪夢を連続して見せられるようなおぞましい時間だった。
無限の拷問か、あるいは一瞬の夢か。
気が付くと僕は黒乃ナイから距離を置いた場所に突っ立っていた。
全身をびっしょりと濡らす汗が気持ち悪い。
「安定させたから、ハルキ君がその眼が原因で死ぬ事はなくなったわ」
さっきと同じような格好で黒乃ナイが微笑む。
「……ただし?」
「これから貴方がどう言う体験をして、その結果どうなったとしても、私は知らないわ。貴方は喜劇を演じ続けなさい」
禁断の智慧を手に入れようとする者は多い。
最早僕は何も知らなかった時間へと戻る事は許されない。
左目に映る黒乃ナイは机の玉座に腰かけ、長い黒髪を棚引かせ、白い腕で頬杖を突き、黒いタイツに包んだ細い脚を組んでいる。
その顔はのっぺらぼうの闇の穴だ。
黒い顔なのではなく、目も鼻も口も無いのではなく、全てを呑み込む闇その物なのだ。
それなのに、黒乃ナイが嘲笑を浮かべている事がわかる。
「『一にして全なるもの』タウィル・アト=ウルムはそれを望んでいる」
運命を規定する者、ニャルラトホテプの言葉なれば。
僕はいずれ彼の地に至るのだろう。
神座する幻夢郷の最果てへと。
ここが始まりの場所。
黒乃ナイは、そこに居る。




