断章1 黒乃ナイはそこに居る
クトゥルフ神話のオムニバス形式になります。一部神話作品からの神格、クリーチャー等が登場します。
断章1 ~黒乃ナイはそこに居る~
黒乃ナイは人気者だ。
一年の四月半ば過ぎと言う一般的に言えば妙に過ぎる時期に転校してきた彼女は、瞬く間にクラスで男女問わず人の輪の中心に居るようになった。
身長一六八センチ。女子の中では飛び抜けている方だ。正直モデルならともかく美少女と言うには少し背が高い。
名前通りの黒髪は背を覆うほどに長く艶があって綺麗だが、黒く生き生きとしているようで触れたいとも思わない。
顔立ちは整っている方だと思うが目つきがナイフみたいに鋭く、可愛げが無いどころか怖気がする。
脚は長く腰が折れそうなほど細いが、かと言ってスタイルが目を引くと言う訳でもない。
肌はアルビノ並に白く日焼け知らずに見えるが、僕には華奢で白い指は軟体動物の触腕にも見える。
聞いている限りでは話術に優れているようにも思えないくせに、人を動かすのが抜群に上手い。
だから、黒乃ナイは人々の中心に居る。
まるで自分は王様でそこは玉座だとでも言うように、さも当たり前と言う感じで。
男も女も関係無く周囲に惹き付ける。そのくせ、時折希薄でそこに居るような感じがしなくなる時がある。
人を惹き付けるカリスマと言うのは案外そう言うものなのかもしれない。確か儒学における理想の王はそんな感じだと歴史の授業中の小噺で聞いた事がある。
人の認識の外に存在するのが、真の王。正しき支配者なのであると。
或いは神か。
なるほど、神の統治こそ人の理想だと東洋でも説かれていたのか。
そして、彼女が現れてから一度たりとも輪に加わらない僕は、黒乃ナイと言う少女が苦手だった。
別に彼女が僕よりも一〇センチ近く背が高いと言う事からじゃない。目つきが怖いからでもない。
言葉を交わした事も無く、性格を知る訳でもない。
『嫌い』だと言う感情ではなく、『苦手』なのだ。
なぜなら、彼女を見ていると左目が痛くなるのだ。
生まれついてのものか、僕の左目の視界には時折ノイズが入る。デジタル放送の今は余り無いけれどテレビの電波障害みたいなものだ。
全体が一瞬砂嵐のようにぶれたり、一カ所が、或いは人間がぶれたりする。ほとんどは一瞬で消えるのだが。
アメリカでは、テレビで起きるこれを確か『ゴースト』と呼ぶ。
黒乃ナイにはそれがよく起きる。
何と言うか、経験上それがロクでもない事の前兆だと言う事を僕は知っている。
僕はきっと、彼女の存在自体が苦手なのだ。
草食動物が肉食動物を見る感覚と言うのは、或いはこう言うものなのかもしれない。
完全なる天敵。
僕にとって黒乃ナイはできれば関わりたくない存在だった。このまま関わりなく高校生活が通り過ぎ、卒業して縁が切れれば、いやクラス替えで別々になれば意識にも残らない、残したくない存在だったと思う。
……でも、それは当り前のように甘い考えで。
僕はこの数日でそれを嫌と言うほど味わう事になるのだ。
五月五日。
地方紙の片隅に掲載された小さな記事。
ある山にある避難用の山小屋で、三人の遺体が発見された。
まだ白骨化しない状態だ。
三人とも以前から行方不明で、このうち二人は世間にそれなりに知られた人物の遺体だったのだが、奇妙な事にその三人の行方不明は時間的に数年の差があり、また死体の傷み具合もバラバラなのだが、行方不明になった順番にここで死んだと言う事だけが判明した。
つまり、彼らはこの山小屋に順番にやって来てそれぞれで原因は解らないが命を終えたと言う事になる。
一番目はともかく、二人目と三人目は死体の先客が居た状態で自分も死んだ訳だ。
時間差がある状態で。
更に奇妙な事に、この山小屋は滅多に使用されないとは言え、県の管理者によってきちんと毎年手入れされており、また今まで何人もの登山客が利用していた。
にも関わらず、その日に至るまで三つの死体は発見されなかった。
大きな記事にならなかったのはこの奇妙な事柄のせいだ。真っ当な目で見れば事件性が高く、無責任な目で見れば怪奇性溢れる厄介な事件。マスコミに嗅ぎつかれたらどうなるか分かったものじゃない。
不幸中の幸いと言うべきか、名の通った二人も最近では落ち目で半ば忘れ去られた存在だったらしく、マスコミの喰いつきはほとんど無かったようだ。
そして、僕はその事件のただ一人の生存者と言う事になる。遺体発見者が何を隠そうこの僕だからだ。発見者を生存者と呼ぶのはおかしいと思うかもしれなけど、それは明確な事実。
……僕は、確かにあの場所から生還したのだ。
とは言っても僕に答えられる範囲なんてたかが知れている。警察にも遺体があったとしか答えていない。僕にだってそこで本当は何が起きたのか全く分からないし、謎を解けるほど理解していない。
いや、理解できるのはこの世の人間ではないとすら思う。
それに、仮にその夜に起きた僕の体験を真っ正直に語ったところで、まあものの五分で質問は打ち切られるだろう。
たった一つだけ、僕が理解できる事。
この事件を『解決』したのは黒乃ナイだと言う事だけだ。
もしかしたら漢訳版アル・アジフが空海の手によって日本に持ち込まれたのかもしれない。そんな妄想を書き連ねてみました。