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森に囲まれたここ守宮村は都心から少し外れた場所に存在する。
市や町からは孤立するように森に囲まれている守宮村には珍しいものがあった。
観光名所などないこの村にある唯一の高校、公立杜園高等学校である。全寮制の杜園高校は大きな山を切り開かれ、さらに生い茂る木に囲まれるようにして立っていた。
「ねぇ、ここの寮見た?」
「見た見た! 初め入った時びっくりしたよね。先輩から話は聞いてたけど、あんなのとは思わなかったもん」
長々と続く校長の話に飽きた少女らはこそこそと言葉を交わしている。
杜園高校の入学式は現在進行形で行われているが、このすぐ後に始業式がある。普通は別の日に行われるものなのだが、杜園高校は同じ日にすませてしまうのだ。
「広すぎだよね。一瞬場所間違えたかと思ったくらい」
「ここ田舎の高校なのにねー」
茜と同じセーラー服に身を包んだ少女たちは、杜園高校最大の名物とも言える寮の内装に驚いたらしい。
それもそのはずで、なぜか杜園高校は受験生たちに学校の見学をさせない。校舎も寮も、いっさい見学させず、入試と合格して学校へ行くまで中に入らせてもらえないのだ。
杜園高校は大きな山を切り崩した中心に位置するように建てられており、学校へ行くのも一苦労である。バスは定期的に通っているが、一日に二本程度。それを逃せば学校へ登校するのも不可能だ。
バスが通るため整えられた山道が歩けるとはいえ、徒歩で行けばバスの倍は時間がかかる。
しかし田舎といっても田んぼが多いだけで、少し行けば町や市にたどり着けるのだ。けれどそれが嫌だった子もおり、高校へ行くのと同時にこの村から出て行ってしまう者も少なくはない。
他の市からも杜園高校へ入学してくる者もいるけれど、なにしろ山に囲まれた学校だ。まともな登下校ができないだろうと思ったがゆえに、寮がつくられた。
そう、ここまではいい。
問題なのは――
『では、生徒会長から一言』
周りの生徒たちの話に耳を傾けていた茜が今朝の光景を思い出して軽く項垂れた時、凛とした少女の声がマイクを通して体育館に響く。
一瞬にして小声で囁きあっていた生徒たちの話し声を払拭した少女に茜は視線を向けた。
さらりと伸びた艶のある黒髪に凛とした表情。小さめな鼻に形の整った唇。何ものにも動じないようなその佇まいの彼女は、遠くから見ても美人という分類に入る少女だった。
短く発せられたそれを合図に壇上に上がったのは、杜園高校の制服をきっちりと着た男子生徒であった。
紺色のブレザーにきちんと絞められたネクタイ。
生徒会長というその男子生徒は三年生である。眼鏡越しに目を細めて微笑むその姿は柔らかな印象を与え、けれど隠しきれていない緊張した面持ちで口を開く。
『この度は、ご入学おめでとうございます。生徒会長を務める小宮卓です』
次いで簡単に祝いの言葉を述べ、卓は壇上を降りていった。
そして締めくくりの言葉とともに入学式は始業式へと移り変わり――式が終ったのと同時に生徒らは順に教室へと返される。
「あー、長かったなぁ。式」
「何も始業式までやらなくてもさぁ」
校舎へと続く渡り廊下で男子生徒がため息をつく。
それを聞いていた茜は内心少し同意しながら、軽く肩を叩かれて首をひねった。
「今朝ぶり」
茜と同じ制服に身を包んだ園江菊乃が隣に並ぶ。
肩あたりまで伸ばされた少し癖のある髪を揺らす彼女は茜の幼馴染である。
「疲れたー。始業式までやらなくてもいいのにねぇ。おかげでずっと座りっぱなしだし」
ため息をこぼす菊乃に苦笑した。
確かに長々と続く先生らの話はその時こそ耳に入っているが、その後は綺麗さっぱり忘れてしまう。
「遼平は?」
「遼平? 知らないけど、確かクラス一緒だったと思う。こんなところまで腐れ縁だよね。他の高校行けばいいのに」
「悪かったな。同じ高校で」
聞きなれた声が耳朶を打ち、茜は首をひねる。
「おはよ。朝会わなかったね?」
横に並んだ少年――時岡遼平は少し色素の薄い髪を掻く。
「寮からだったしなぁ。――やっぱり、茜んとこも同じ感じ?」
苦笑する遼平の表情から、やっぱり彼も驚いたんだなと思い頷いた。
――杜園高校の名物である寮には三つの種類がある。
女子寮、男子寮、そして職員たちが暮らす職員宿舎。
学校を挟む形でつくられたそれらの寮には各学年三クラスある生徒が生活している。
しかし、その広さが半端ではないのだ。
与えられた寮の部屋は広く、一人で使うのにはもったいないというほどのものであった。
備え付けの机に用途多彩な棚。一体何着入るのかと首を傾げてしまうほどの大きなクローゼット。そして、茜が今朝寝ていたベッドとすべて統一した家具は本当に田舎にある公立高校の寮なのかと思ってしまうほどだった。
しかも、公立の高校に寮があること自体が珍しいのだ。実際にこの部屋に入って来た時は自分の目を疑った。
「さすがにびっくりしたけど、あたしはいいけどな。広いし!」
「広いで片付けらんないだろ、あの部屋は。二人で使っても余るってのに」
誰もが驚くほどの寮の内装を、どうやら菊乃は気に入ったらしい。けれどそれとは対照的に、遼平は苦笑する。
通常この寮は二人一部屋だ。一部屋といっても個人の部屋は用意され、加えてリビングまである。リビングには備え付けのテレビに二人は余裕に使えるほどのテーブル、大きなソファーベッド。そして自炊できるようにとキッチンには冷蔵庫から食器棚など一通りそろえてあるのだ。
一から買い揃える必要はないという学校側の配慮だろう。
食事は一階に行けば食堂があり、朝食をとることもできる。さらに購買にはパンや日用品雑貨が売っており、夜十時まで開いているのだ。
私立の寮でもここまでしないぞと、寮に案内された生徒は皆目を見張った。けれど彼らにしてみれば広い部屋はありがたく、嬉しいものだった。
初めこそ驚いたものの、皆満足しているのが現状である。
だが、茜は少し違っていた。
二人一部屋が普通なのだが、茜は二人で使うはずの部屋を一人で使うことになったのだ。
同室になる生徒がいきなり来れなくなったのだと、困った顔をした教師から聞かされた。今更その部屋に誰かをあてることなどできず、茜は無駄に広い部屋をひとりで使うことになったのである。
「……広すぎるのも、問題」
茜はため息をつく。
広い部屋も二人でならいいのかもしれないが、ひとりであの広さは逆に寂しいと思う。
温かな雰囲気の、今まで暮らしていた家を思い出してよりいっそう寂しく感じた。