踏みにじられたあと、
森を出る頃には、もう日が傾いていた。
夕焼けが、やけに綺麗だった。
さっきまで、あんなに気持ち悪くて。怖くて。恥ずかしくて。死にたくなるくらい嫌だったのに。
世界は、何事もなかったみたいに回っている。
「……」
ユキは、黙ったまま歩いていた。
足元だけを見て。
枝を踏んで。石を避けて。それだけに集中して。
考えたら、壊れるから。
後ろでは、agjtmが機嫌よく鼻歌を鳴らしている。
「いやー、間に合ってよかったね」
「マジでギリだったじゃん」
軽い。軽すぎる。
さっき、あれを言わせた男の声とは思えない。
「……」
ユキは、返事をしない。
できない。
「なんで黙ってんの?」
agjtmが、横を見る。
「怒ってる?」
笑いながら。
「冗談じゃん」
冗談。
あれが。
「助けたでしょ?」
「結果オーライじゃん」
胸の奥が、ぎゅっと縮む。
(……結果……)
生きてる。足挫いただけ。他に何もされてない。無事。
それだけ。
それだけで、全部帳消しにされる。
「……ユキさ」
agjtmが、急に声を落とす。
「案外、素質あるよ」
ぞっとする。
「こういうの」
「男の扱い」
にやにや。
「覚えたら楽だよ?」
「生きやすくなる」
ユキの指が、小さく震えた。
「……やめて」
やっと出た声。
かすれている。
「なにを?」
分かってるくせに。
「……そういうの……」
agjtmは、一瞬きょとんとしてから、笑った。
「あー」
「真面目すぎ」
「減るもんじゃないじゃん、言葉くらい」
減った。
確実に。
何かが。
「……モユルのとこ、戻る?」
「もうすぐ終わると思うけど」
何事もなかったみたいに言う。
ユキは、こくりと頷いた。
それしかできなかった。
――――
王都の門を抜け、セーフティゾーンが見えた瞬間。
ユキの足が、わずかに止まった。
人がいる。
視線がある。
音がある。
“安全”のはずの場所が、もう怖い。
「お、戻った戻った」
agjtmが、軽く手を振るみたいに言った。
「じゃ、俺はこのへんで」
言い捨てるように。
まるで、送迎でもしたみたいに。
ユキは、何も言えなかった。
礼も、怒りも、拒絶も。
全部、喉で固まった。
agjtmは、背を向ける。
人混みに溶ける直前、振り返って笑った。
「また困ったら呼びな」
「優しいからさ、俺」
最悪の冗談。
ユキは、その場に立ち尽くしたまま、シェルターへ向かった。
――――
シェルター前。
扉に手をかけた瞬間だった。
「……ユキ!」
血走った目をしたモユルが、廊下の向こうから駆けてきた。
顔色が、明らかに悪い。
「どこ行ってたの……!?」
「連絡も取れないし……!」
本気で焦っている声。
それを聞いた瞬間。
ユキの胸が、きゅっと痛んだ。
(……心配……させた……)
「……ごめん」
反射で、謝る。
いつもの癖。
「怪我は?」
腕。足。顔。
必死に確認する。
「……こけただけ」
「……ほんと?」
「……うん」
本当だった。
体は。
モユルは、安堵したように息を吐いた。
でも、そのまま眉が歪む。
「……外、出ないでって言ったよね」
責める声じゃない。
心配の声。
だから、余計に苦しい。
「……ごめん」
また、謝る。
それしかできない。
その少し離れた場所で。
ナカジマが立っていた。
近づかない。割り込まない。
ただ、ユキの膝の赤い滲みを見て、目を細める。
視線が、一瞬だけ鋭くなる。
何か言いかけて。
やめる。
ユキが、見られるのを嫌がっているのが分かったから。
ナカジマは、視線を外した。
何も言わないまま、踵を返す。
――まるで、自分がここにいたことすら消すように。
ユキは、それに気づけない。
気づく余裕が、ない。
―――
夜。
シェルター。
ユキは、ベッドに横になっていた。
天井を見る。
ぼーっと。
何時間も。
言葉が、頭の中で再生される。
『大好き』
『抱いて』
『めちゃくちゃにして』
胃が、きゅっと縮む。
布団を、強く握る。
「……なんで……」
小さく呟く。
誰にでもなく。
自分に。
「……あんなこと……」
涙は、出ない。
もう、出ない。
それが一番怖かった。
(……私……)
(……汚れた……?)
答えはない。
でも。
胸の奥に。
黒い染みみたいなものが。
確実に残っていた。
――こうして。
ユキは。
「何もされていないのに」
少しずつ、壊れていった。
できる限り性描写なくやっていきますが、agjtmが何かしでかして危うくなったら大人しくムーンいきます。




