待てなかった代償
フィールドボス討伐イベントへの強制参加が告げられたのは、唐突だった。
モユルとナカジマは、例外なくメンバーに組み込まれる。
高戦力者には、ほぼ拒否権はない。
「……はぁ……」
モユルは小さく息を吐いた。
ユキの方を見る。
まだ状況をよく分かっていない顔で、きょとんとしている。
(……不安にさせたくないけど……)
ナカジマも、無言でユキを見ていた。
表情は穏やかだが、内心は落ち着いていない。
(……嫌な予感しかしない……)
最近の王都は、妙に空気が悪い。
ユキへの視線も、増えている。
本当は――
連れて行きたかった。
でも、それはできない。
「……すぐ戻るから」
モユルはユキの前にしゃがみ、視線を合わせる。
そっと、頭を撫でた。
「いい子で待っててね」
穏やかな声。
優しい笑顔。
でも、その奥には、はっきりとした不安が滲んでいた。
「外、出ないで」
「絶対だよ」
小さく、念を押す。
ナカジマも、低い声で続けた。
「……シェルターから出ないで」
「何かあったら、すぐ呼んで」
珍しく、少し強い口調だった。
それは――
“シェルターから出るな”という意味だった。
だが。
「うん、わかった」
ユキは、素直に頷いただけだった。
にこっと笑って。
「すぐ帰ってくるんでしょ?」
「なら、大丈夫だよ」
悪気ゼロ。
危機感ゼロ。
モユルの胸が、きゅっと締めつけられる。
「……ユキ」
何か言いかけて、やめた。
ナカジマは、その様子を横目で見ながら、胸の奥で何度も同じ言葉を繰り返していた。
(……嫌な予感しかしない)
(……今日、何か起きる)
根拠はない。
でも、外れたことがない感覚だった。
王都を離れてしばらくしても、胸のざわつきは消えなかった。
戦闘が始まっても。
スキルを回しても。
敵を削っても。
頭の片隅から、ユキの姿が離れない。
(……外、出てないよな)
(……ちゃんと……待ってるよな)
ナカジマは、無意識に何度もマップを確認していた。
――ユキの現在位置。
表示は、シェルター。
……のはずだった。
一瞬。
座標が、揺れた。
王都側に、ずれた。
「……?」
ナカジマの指が止まる。
もう一度、確認する。
シェルター外。
王都通り付近。
(……嘘だろ)
胸が、嫌な音を立てる。
次の瞬間。
ユキのアイコンが、急速に移動し始めた。
門の方へ。
森の方へ。
――逃走ルート。
「……っ」
ナカジマは、無意識に歯を食いしばった。
(……やっぱり……)
(……間に合わない……)
視線を上げる。
ボスのHPは、まだ半分以上。
終わらない。
戻れない。
助けに行けない。
胸の奥で、何かが壊れる音がした。
(……頼む……)
(……生きててくれ……)
―――
しばらくの間、ユキはシェルターで時間を潰していた。
インベントリの整理。
装備の手入れ。
細かい設定の確認。
やれることは、全部やった。
けれど。
スマホもない。
動画も見られない。
誰とも話せない。
やがて、完全に手持ち無沙汰になる。
(……暇……)
ベッドに仰向けになり、天井を見る。
ふと、モユルの言葉を思い出す。
『外、出ないで』
ナカジマの声も。
『待ってて』
……でも。
(ちょっとくらいなら……)
数秒後、起き上がった。
(……アクセサリーショップ、行ってみよ)
「すぐ戻るし」
誰に言うでもなく、そう呟いて。
深く考えないまま、扉を開ける。
――それが、間違いだった。
―――
王都の通りを歩いて、すぐだった。
「ユキちゃん……だよね?」
後ろから、声をかけられる。
振り向くと、知らない男が立っていた。
装備は高級品。 武器も、明らかに強化済み。 戦力差は、一目で分かる。
「……はい……」
警戒しながら答える。
男は、にやりと笑った。
「ずっと可愛いなって思ってたんだよね」
「ちょっと話さん?」
距離が、近い。
遠慮というものがない。
「いえ……もう行くんで」
踵を返そうとした瞬間。
「そんなこと言わないでさ」
男が、一歩詰めてくる。
腕に、触れそうになる。
その瞬間。
ユキは、反射的に走り出していた。
―――
「待って!」
すぐに、足音が追ってくる。
逃げる。
曲がる。
抜ける。
人混みを抜けて、門を出て――
気づけば、王都外れの森に入り込んでいた。
初心者の森。
人気のないフィールド。
「……はぁ……っ、はぁ……っ……」
息が、続かない。
喉が焼けるように痛い。
脚は、とっくに限界だった。
感覚が、薄れていく。
地面を踏んでいるのかどうかも、分からない。
それでも。
止まれなかった。
止まった瞬間、終わる。
「逃げないでよ」
背後から、声がする。
やけに穏やかで。
焦りも、苛立ちもなく。
――まるで、この状況を楽しんでいるみたいに。
ユキの背筋が、ぞくりと冷えた。
(……やだ……)
視界が、揺れる。
次の瞬間、足がもつれる。
――転ぶ。
硬い地面に叩きつけられ、息が詰まる。
膝に、鋭い痛み。
白い肌に、赤い血が滲んだ。
ぽたり。
ぽたり。
「……つかまえた」
低い声。
影が覆いかぶさる。
男は、歪んだ笑みを浮かべていた。
ゆっくりと、手が伸びてくる。
(……こんな世界……)
(……来たくなかったのに)
(……なんで……こんなことに……)
瞬間、
――表示が、視界に割り込んだ。
《パーソナルガード 再充填完了しました》 《使用しますか? ⇒ YES / NO》
考える暇はなかった。
ユキは、即座にYESを押す。
瞬間。
淡い光が広がり、身体を包む。
透明な結界が展開される。
男は、結界の手前で足を止めた。
「……チッ」
舌打ち。
ユキは、その場に崩れ落ちた。
(……助かった……)
でも。
分かっている。
これは、延命にすぎない。
一時間後には切れる。
地獄を、少し先延ばしにしただけだ。
――そのとき。
「あれ?」
軽い声が、横から聞こえた。
「ユキじゃん」
振り向く。
そこにいたのは――
agjtmだった。
にやにやと、いつもの笑顔で。
まるで、偶然通りかかったみたいに。




