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ただ君を守るだけでいい

サラサラ、という音が、ゆっくりと途切れた。

少年の手が、最後の線を引ききり、鉛筆を置く。

紙の上に残った線を、しばらく見つめる。

まるで、まだ何かを探しているみたいに。

やがて、小さく頷いた。

「……おわり」

独り言みたいな声。

風に溶けて、すぐに消えそうなほど小さな音だった。

ユキは、はっと顔を上げた。

「……え?」

思わず、声が漏れる。

もう?

まだ、この場所だけ時間が止まっているみたいだったのに。

少年はスケッチブックを閉じ、大事そうに胸に抱えて立ち上がる。

「……もっと、かく」

それだけ言って。

振り返りもせず、森の奥へ歩き出した。

「……え……」

行っちゃうの?

何も言わずに?

名前も聞かずに?

もう、二度と会えないかもしれないのに?

喉まで出かかった言葉は、結局、形にならなかった。

引き止める理由も、呼び止める勇気も、見つからなかった。

白いシャツが揺れる。

木漏れ日に溶けて、少しずつ輪郭を失っていく。

やがて、完全に消えた。

――静けさが戻る。

虫の声。

風の音。

葉擦れの微かな響き。

いつもの森。

なのに、どこか違って見えた。

胸の奥に、かすかな余韻が残っている。

触れれば壊れそうなほど、淡くて、あたたかいもの。

ユキは、そっと息を吐いた。

「……不思議な人……」

まだ、胸の奥は、あたたかかった。

―――――――

その少し奥。

木々の影に、ナカジマはいた。

ユキが森に入った時から、ずっと。

距離を保ったまま、視線だけを向けている。

見つからないように。

気づかれないように。

それでも、視線だけは離せなかった。

胸の奥が、冷たく締まる。

初心者の森。

油断すれば、簡単に命を落とす場所。

今のユキは、戦える状態じゃない。

分かっている。

分かっているからこそ、体が先に動いた。

―――――――

草むらが揺れる。

――ギチッ。

湿った音とともに、スライムが這い出す。

「……来るな」

掠れた声。

祈りにも、呪いにも似た響きだった。

次の瞬間、地面を蹴った。

――ザシュッ。

短剣が核を貫く。

鈍い衝撃が腕に伝わり、骨に響く。

消える。

まだだ。

視線を走らせる。

木の根元、岩陰、泉のそば。

すべてを視界に収める。

一体ずつ。

確実に。

ユキに近づく前に、潰す。

誰にも見せない戦い。

誰にも評価されない仕事。

汗が頬を伝う。

肺が熱を帯び、喉が焼ける。

それでも、止まらない。

――無事でいろ。

それだけだった。

―――――――

最後の一体。

小型ゴブリン。

踏み込む。

「……っ」

刃が逸れ、腕を裂く。

熱。

遅れてくる痛み。

歯を噛みしめる。

――グシャッ。

鈍く、嫌な音。

沈黙。

森は、静寂を取り戻す。

ナカジマは荒い息のまま、顔を上げた。

ユキは――いた。

無事だ。

生きている。

胸の奥が、一瞬だけ、ほどける。

……だが。

隣に、少年がいた。

並んで。

近くで。

穏やかに。

ユキは、笑っていた。

柔らかく。

無防備で。

まるで、そこだけ別の世界みたいに。

ナカジマの指先が、わずかに震える。

理解してしまった。

俺は、そこにはいない。

血も。

傷も。

必死だった時間も。

あの笑顔の前では、何の意味も持たない。

ナカジマは、ゆっくり拳を握る。

革手袋が、きしむ音を立てる。

「…馬鹿だな」

吐き出すような声。

守っているつもりで。

支えているつもりで。

結局、自分を納得させたかっただけだ。

ユキは楽しそうに話している。

その背中を見ていると、足が動かなくなる。

近づけば、壊れる気がした。

(いいんだ)

心の奥で、何度も繰り返す。

(笑ってるなら)

(……それで)

いい。

そう言い聞かせるたびに、胸が少しずつ削れる。

ナカジマは、一歩だけ下がった。

影の中へ。

誰にも見えない場所へ。

そこが、自分の居場所だと。

無理やり、思い込むために。

ただ、黙って。

立ち尽くしていた。


―――――――


《内部観測ログ/Phase1》


対象:ユキ

情緒安定:一時回復

依存対象:L(固定化傾向)

逃避傾向:顕著

乖離率:基準内


次段階移行:保留



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