息ぐるしい
質のいい羽毛布団に包まれているみたいだった。
重くもなく、軽すぎもしない。
あたたかくて、静かで、何も考えなくていい。
モユルの優しさは、いつもそんな感じだった。
逃げ場を失うほど、やさしい。
だから、楽だった。
考えなくていい。
選ばなくていい。
間違えなくていい。
全部、モユルが決めてくれる。
ユキは、その“安心”に身を預けながら、
なぜか、ずっと息苦しかった。
夜のシェルターは、静かすぎた。
外のざわめきも、人の話し声も、遠くを行き交う足音も。
すべて、半透明の壁の向こうで遮断されている。
ここには届かない。
あるのは、淡い光と、一定の間隔で鳴るシステム音だけ。
ピッ。
ピッ。
機械の心臓みたいな音が、規則正しく空間を刻んでいる。
安全。
完全隔離。
侵入不可。
――完璧な檻。
ユキは、ベッドの上で膝を抱えていた。
無意識に、包帯の端を指でいじっている。
ほどけもしないのに、何度も、何度も。
指先が、落ち着きどころを探している。
包帯の下は、まだじんわり熱を持っていた。
動かすたびに、鈍い痛みが走る。
でも。
それより、もっと痛い場所があった。
胸の奥。
息を吸うたびに、そこがきしむ。
深呼吸しようとしても、肺が途中で止まる。
最後まで、吸いきれない。
(……苦しい)
理由は分かっている。
でも、言葉にすると壊れそうで、考えないふりをしていた。
コンコン。
控えめなノック音。
「……ユキ?」
聞き慣れた声。
反射的に、肩がこわばる。
「入るよ」
返事を探すより先に、扉が開いた。
外の光が、細く差し込む。
モユルだった。
整った髪。
穏やかな笑顔。
安心させるためだけに存在しているみたいな人。
「大丈夫? 痛み、強くなってない?」
「……ううん」
声が、自分でも驚くほど細かった。
喉が乾いている。
でも、声が出ない理由はそれじゃない。
モユルは、気づかない。
ベッドの横に腰を下ろす。
距離が近い。
逃げようと思えば逃げられる距離。
でも、逃げる理由を失わせる距離。
「今日はさ」
まるで、天気の話でもするみたいに。
「ナカジマ、また来てた」
ユキの肩が、ぴくりと跳ねる。
自分でも分かるくらい、はっきり。
「……そうなんだ」
「うん。でも断った」
さらっと言う。
「今はユキが最優先だから」
正しい言葉。
優しい言葉。
なのに。
胸の奥が、ぎゅっと縮む。
沈黙が落ちる。
モユルは、それを“不安”だと勘違いした。
「……嫌だった?」
「会いたかった?」
ユキは、首を横に振る。
「……違う」
「じゃあ――」
そこで、ユキは息を吸った。
深く。
逃げないように。
「……モユル」
「ん?」
呼んだだけで、喉が震える。
「……大事にしてくれてるの、わかる」
モユルが、少し照れたように笑う。
「当然でしょ」
「……ありがとうって、思ってる」
その瞬間。
モユルの指が、わずかに震えた。
違和感。
「……ユキ?」
ユキは俯く。
指先を強く絡める。
爪が、皮膚に食い込む。
「……でも」
声が詰まる。
一度、唇を噛んで。
「……息苦しい」
胸の奥が、きゅっと潰れる。
空気が足りないみたいに、喉が掠れる。
捻り出した言葉は、そのまま床に転がり落ちた。
「……え?」
モユルの顔から、血の気が引く。
「……俺……なにか……」
「してる?」
完全に動揺している声。
ユキは、目を閉じた。
今、言わなきゃ。
ここで黙ったら、戻れなくなる。
「外、出ちゃダメ」
「誰とも話さなくていい」
「予定も……全部……」
ぽつぽつ。
涙じゃない。
言葉がこぼれる。
「……決めてくれるの、楽だよ」
「考えなくていいし」
「失敗もしないし……」
笑おうとして、失敗する。
口角が引きつる。
「……でも」
「……つらい」
震えた声。
「……私……ここにいるだけで……」
「……閉じ込められてるみたいで……」
言った瞬間。
後悔が押し寄せる。
モユルの顔が、真っ白だった。
「……ごめん……!」
すぐだった。
「ごめん……そんなつもりじゃ……」
「俺……ユキが……壊れそうで……」
「怖くて……」
両手で顔を覆う。
声が掠れる。
「守りたかっただけなんだ……」
ユキは慌てて首を振る。
「ち、違う……!」
「責めてるんじゃ……」
「違う」
モユルが、顔を上げる。
必死な目。
「俺が悪い」
即答だった。
「……ごめん」
そっと、肩に指を置く。
触れているか分からないくらい、弱く。
「外、出ていい」
「好きなとこ行っていい」
「誰と話してもいい」
早口になる。まるで自分に言い聞かせるみたいに。
「俺……縛ってた」
「最低だった」
ユキは、目を瞬かせた。
「……いいの?」
「もちろん」
即答。
「ユキが苦しいなら……意味ない」
「……ただ」
その言葉に、落ち着きを取り戻してたはずのユキの心臓が跳ねる。
「これだけ、つけさせて」
小さな腕輪。
銀色で、無機質な。
「位置が分かるだけ」
「何もしない」
「事故とか……怖いから……」
必死な説明。
「首輪じゃない」
「お守りみたいなもん」
ユキは、それを見つめる。
軽い。
きれい。
優しそう。
――逃げ道を塞ぐ輪。
「……嫌?」
不安げな声。
ユキは首を振った。
「……いいよ」
断れなかった。
断ったら、モユルが壊れる。
それが、怖かった。
カチリ。
小さな音。
檻の鍵。
まるで最初からユキのために作られたかのように、ぴったりと嵌った。
「……ありがとう」
モユルは微笑んだ。
「これで安心」
「これからは自由だよ」
優しい声で。
優しい嘘を言う。
「……うん」
ユキも笑う。
でも。
胸は、少しも軽くならなかった。
むしろ。
何かが、ひとつ閉じた。
見えない扉が。
静かに。
確実に。
――閉まった。
外の音は、もう聞こえなかった。




