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甘い檻


 朝になっても、ユキの膝は鈍く痛んだ。

 痛みそのものより、痛みがあることを思い出す瞬間がいちばん嫌だった。

 シェルターの半透明の壁は、今日も外のざわめきを薄く遮っている。

 完全な安全領域。侵入不可。干渉不可。

 そこに“いられる”ことだけが、救いだった。

「起きてる?」

 ノックは軽い。遠慮があるふりをした、慣れた音。

 扉が開き、モユルが入ってくる。笑顔。いつも通り、整った顔。

「……うん」

 ユキは上半身を起こした。

 声は出る。呼吸もできる。

 だから大丈夫。そういうことにしておけば、今日は終わる。

「よかった」

 モユルは手にしていた小さなトレイをベッド脇に置いた。

 水袋。回復ポーション。簡単な食べ物。膝用の包帯。

 全部、過不足なく揃っている。

「飲める? 喉、渇いてない?」

「……うん」

 ユキが水袋に手を伸ばすと、モユルが先に栓を開けた。

 ほんの少しだけ。ユキが持ちやすい角度で。

 たったそれだけのことなのに、頭が働かないユキには助かる。

「ゆっくりでいいよ」

 優しい声。

 優しい“手順”。

 考えなくていい。判断しなくていい。

 それが、今のユキには都合が良すぎた。

 水を飲む。喉が鳴る。

 モユルが、安心したように息を吐く。

「ごはんも、少しだけね。胃、びっくりするから」

 ユキは頷いた。

 頷けば、終わる。

 頷けば、怒られない。

 頷けば、今日も守られる。

「膝、見せて」

「……大丈夫」

「うん、分かってる。大丈夫にするために見るの」

 モユルは笑いながら、でも手つきは迷いがない。

 包帯をほどき、傷の具合を確認して、手早く巻き直す。

 触れ方がうまい。慣れている。

 ユキは目を伏せたまま、されるがままだった。

「痛い?」

「……ちょっと」

「じゃあ、今日は絶対外出なし」

 モユルは即決した。

 相談でも提案でもなく、決定。

「必要なもの、俺が買ってくる。素材も、ポーションも」

「……ありがとう」

「うん。言わなくてもやるけどね」

 笑って言う。冗談みたいに。

 でも、その“言わなくても”が、少しだけ怖い。

 ユキは、怖いのに、助かってしまう。

 助かることが、いちばんやばい。

「今日の予定、これ」

 モユルがインターフェースを出す。

 ユキの前に、簡単なリストが浮かんだ。

朝:水・回復

昼:休む(膝の負担ゼロ)

夜:軽い食事、睡眠

※外出禁止

※来客なし

 文字が、やけに整って見えた。

 “生活”が、ここにある。

「……こんなに」

「当たり前。ユキは回復が優先」

 モユルは迷いなく言い切った。

「それと」

 一拍置いて、モユルは穏やかなまま続ける。

「個チャ、ちょっと整理した」

 ユキの指が止まる。

「……整理?」

「変なの多いから。見なくていい」

 ユキは言葉が出なかった。

 見たくない。

 でも“勝手に”消されるのも、どこか現実感がなくて、怖い。

 モユルはユキの迷いを、迷いとして拾わない。

 拾わずに、当たり前みたいに進める。

「ナカジマからも来てたけど、返信はいらないよ」

「……え」

「今は返す必要ない。疲れるだけ」

 笑顔が崩れない。

「ナカジマ、悪い人じゃない。分かってる。けど」

 そこで、モユルの声が少しだけ低くなる。

「今のユキに、余計な刺激いらない」

 ユキは頷いた。

 頷いてしまう。

 拒む理由が、見つからない。

 何より、考えるのがつらい。

「……うん」

「よし。いい子」

 モユルはユキの頭を撫でた。

 その手は優しい。

 優しいから、逆に重い。



 昼過ぎ、シェルターの外が少し騒がしくなった。

 壁越しに、気配だけが伝わる。

 ユキはベッドに座ったまま、目だけ動かした。

 外に出る気力なんてない。

 でも、外の気配が近いと、心臓が勝手に縮む。

 コンコン。

 小さなノック。

「……ユキ。いるか」

 低い声。ナカジマだ。

 ユキの呼吸が一瞬止まる。

 返事をしようとして、喉が張りついたみたいに動かない。

 その直後。

「俺が出る」

 モユルが立ち上がった。

 ユキに背を向ける。

 扉を開ける音。外気が一瞬だけ入って、すぐ遮断される。

 会話は、壁越しでも少し聞こえた。

「ナカジマ、悪いけど」

 モユルの声は穏やかだ。

 穏やかすぎて、断りの形をしていない。

「今日は来客なし。ユキ、休ませる」

「……俺は、顔だけでいい」

「顔だけ、が一番疲れるんだよ」

 笑って言う。

 笑って言いながら、譲らない。

「怪我してた。状況も……よくない」

 ナカジマの声が硬くなる。

 短く、呼吸が混じる。

「俺は確認したい。危険が続くなら――」

「危険が続くから、閉じるんだよ」

 モユルの言葉が、すぱっと落ちる。

「ユキは“守られる側”でいい。余計なことは俺がやる」

 一瞬の沈黙。

 その沈黙の濃さに、ユキの指先が冷たくなる。

「……お前」

 ナカジマが言いかけて、止める。

「ユキに確認させろ。本人の意思――」

「本人の意思が揺れてる時に、意思を聞くの?」

 モユルは穏やかな声のまま、刺すように言った。

「優しい顔して、追い詰めないで」

 ナカジマが息を吸う。

 何か言おうとして、言えない。

 ユキはベッドの端を握りしめた。

 自分のせいだ。

 自分が外に出た。

 自分が、戻ってきた時に、ちゃんと話せなかった。

 だから、二人がぶつかる。

 だから、ユキは“原因”のまま、部屋にいる。

「……分かった」

 ナカジマの声が、少しだけ遠ざかる。

「今日は引く。でも」

 足音が止まる。

「俺は諦めない」

 それだけ残して、去っていった。

 扉が閉まる。

 モユルが部屋に戻る。

「ごめんね。うるさかった?」

「……ううん」

 ユキは首を振った。

 うるさいのは会話じゃない。

 会話の中身だ。自分のせいだ。

 でも、それも言えない。

 モユルは、ユキの前に屈んで、目線を合わせる。

「ユキは、何も気にしなくていい」

 優しい声。

 優しい呪い。

「ここは安全。俺が、そうする」

 モユルは微笑む。

 いつもの、完璧な笑い方で。

「だから、今日は何もしなくていい」

 ユキは頷いた。

 頷いてしまった。

 頷けば守られる。

 頷けば、考えなくて済む。

 それが、今のユキの全部だった。


 夜。

 モユルはシェルターを出て、必要な物資をまとめて買って戻ってきた。

 帰還の通知音がして、ユキは反射的に肩を震わせる。

「ただいま」

 モユルの声で、やっと息が戻る。

「お土産。甘いやつもあるよ」

 ユキは小さく頷いた。

 甘いもの。

 嬉しいはずのもの。

 なのに、胸の奥が動かない。

 モユルはユキの反応を、疲れのせいにする。

 疲れのせいにして、さらに優しくなる。

「明日も、俺が全部やる」

「ユキは、休む」

「ずっと、ここにいよう」

 最後の言葉だけが、妙に耳に残った。

 ずっと。

 ユキは返事をしない。

 返事をしなくても、モユルは笑っている。

 笑っているのに、決まっている。



―――――――

 同じ頃。

 王都の門の外、初心者の森。

 木漏れ日が薄く、地面に斑に落ちている。

 そこを、白いシャツの少年がふらふら歩いていた。

 装備らしい装備はない。

 武器も見えない。

 片手にスケッチブックだけ。

 少年は、意味の分からない鼻歌を口の中で転がしている。

 歌詞はない。旋律だけ。

 足元の草を踏み、立ち止まり、また歩く。

 目的地なんてないみたいに。

 ふと、少年はスケッチブックを開いた。

 白い紙に、何かを描こうとして、手を止める。

 首を傾げて、笑った。

「……うん。こっち、いい」

 誰に言うでもなく、そう呟いて。

 少年はまた、鼻歌を続けながら、森の奥へ消えていった。

 白いシャツだけが、やけに目立っていた。

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