告白
良樹と市原慎司は部活でサッカー部に入ってる。
だから部活の有る日は帰りの時間が志保と合わないのだが、志保はいつも部活が終わるのを待っている。図書室で時間を潰してるらしい。
「別に待ってなくても、先に帰っていいんだぜ?」
何回もそう言っているのだが、志保はそれでも待っている。
そんな彼女が、その日は休み時間に、申し訳なさそうにこう言った。
「ゴメンね、よしくん。今日は美咲ちゃんちで中間テストの勉強をすることになったの……だから、先に帰ってもいい?」
「いや、別にいいって。前から何度も言ってんじゃん。俺が部活の日は先に帰っていいんだぜって」
「そうだけど、1人で帰るのつまんないんだもん」
志保は口を尖らせながらそう言った。まあその気持ちは、良樹もわからないでもない。
「それはいいけど、帰りあんまり遅くなるなよな。1人なんだからさ」
「うん、わかってる。あんまり遅くならないようにするから。でも美咲ちゃんの家からウチまでは商店街をずっと歩くんだから、大丈夫だと思うよ?」
そういう問題じゃねーんだよと言ったら志保は首を傾げて「じゃあ、どういう問題なの?」と言った。
部活を終えた良樹は、みんなと別れて帰り道を歩いていた。1人での帰りが初めてなわけではないけれど、いつも一緒にいる人がいないというのは、やっぱり何かヘンな感じがする。
(1人で帰るの、久しぶりだよな)
前回1人で帰ったのはいつだったろう。たぶん志保が風邪引いて熱出したとき以来だ。あの時は志保にお粥作ったりしたっけ。そんなことを思い出す。
(あのお粥、志保は美味しかったって言ってたけど、ホントに美味かったのかなぁ?)
志保が転校してきてから、毎日一緒に登下校している。
(最初は父さんに言われたからだったけど……いつからだっけな。それが当たり前になってたな)
今では隣りに誰もいない帰り道の方が、よっぽどヘンな感じがする。
(人間って、変われば変わるもんだな)
片道30分の道のり。
いつもなら志保と話しながらの帰り道。
黙って1人で歩いているからなのか、その道のりは2人で歩いている時よりもずっと遠く感じるのが不思議だった。
「遠いな……」
彼は無意識のうちにそうつぶやいていた。
(なるほどね。確かにこれはちょっと退屈かも)
そんな彼が本屋の前を通りかかった時、そこに見慣れた後ろ姿を見つけた。
(……渡辺か?)
彼女は一人で、雑誌の立ち読みをしていた。
その横顔は、なぜかいつもよりもずっと寂しそうに見える。
(……なんか、あったのか?)
良樹が声をかけようか迷っていると、店の中から数人の、同じ学年の女子生徒たちが出てきた。
彼女たちは渡辺の姿を一瞥すると、わざと聞こえるようなヒソヒソ声で囁き合った。
「あ、渡辺さんだ」
「一人なんだ。いつもキツそうだもんね」
「なんか、可哀想じゃない?」
その悪意に満ちた言葉に、渡辺の肩がピクリと震えたのがわかった。
彼女は雑誌から顔を上げようとしない。
良樹の脳裏に、同じように周りから孤立していた小学校の頃の志保が蘇った。
あの小さな背中が。
――見て見ぬふりだけは、したくねえんだよ!
「――おい」
気づけば良樹は、彼女たちに声をかけていた。ヒソヒソと囁き合っていた女子生徒たちが、驚いて彼を振り返る。
「……オマエら、さっきから何コソコソ言ってんだよ。ダセえぞ」
彼のそのぶっきらぼうな一言に女子生徒たちは、「べ、別に!」と、顔を赤らめて、足早にその場を去っていった。
「……ありがと」
静まり返った本屋の店頭で、雑誌を戻しながら渡辺がポツリと、呟くように礼を言う。
「……別に。俺はああいうのが嫌いなだけだから。おせっかいだったか?」
「そんなことないよ。ありがと……川島くんって、優しいよね。噂とか信じないんだ」
「……俺は、自分が見たもんしか信じないから。だから噂話とかどうでもいいし」
良樹のその言葉に、渡辺はようやく顔を上げた。
その瞳が夕日を反射して、キラリと光った。
それはいつも見ている彼女の瞳とは、全く異なるものに見える。
「川島くん、いま帰りなの? 槇原さんは?」
「志保は江藤とテスト勉強なんだ」
「そっか、だから一人なんだね。じゃあさ、私と一緒に帰らない? 帰る方向、同じでしょ?」
「えっ!? 俺が? 渡辺と一緒に帰んの?」
「私と一緒に帰るのはイヤ?」
渡辺は少し前かがみになり、良樹の顔を覗き込むようにしてそう言った。
妙に子供っぽく見えたけれど、それがまた可愛らしくも思えた。
「それは別にいいけど、でも渡辺ん家ってこっちなの?」
「そうだよ。知らなかった?」
「……ごめん。知らなかった」
「だよねー。いつも槙原さんと一緒だから、他の女の子なんて目に入ってないよねー」
渡辺はちょっとからかうような口調でそう言った。でもなぜか少し楽しそうにも聞こえたのは気のせいだろうか。
「だから志保はそんなんじゃないって」
「あはは、そうだったね。ゴメンごめん。それより帰ろ? 遅くなっちゃうよ?」
通学路の途中に、地域の住民が神明社と呼んでいる古い神社がある。
そこは本来の帰り道からは外れているのだが、良樹と渡辺は自然とそこへ足を向けていた。
(もうちょっと話してたいな)
良樹はそう思って神明社に足を向けた。渡辺もついてきたということは、多分同じ気持ちなんじゃないかと思った。
2人は、少々罰当たりな話だが、神社の本殿の階段に腰掛けて話をした。会話はいつの間にか誰が誰と付き合っているとか、誰が誰を好きらしいとか、そんないかにも中学生的な恋愛話になっていった。
「そういえば川島くんって、隣りのクラスの市原くんとも仲良いよね。市原くんと一緒に帰ったりはしないの?」
「ああ、アイツとは通学路が途中で別れちゃうんだ。帰ってから待ち合わせて遊びに行ったりはするけど」
「ふーん、そうなんだ……市原くんって結構女の子に人気あるんだよね。好きだっていうコ、多いみたいだよ」
「らしいね。この前も告白されたって自慢された」
「川島くんも、市原くんみたいにモテてみたい?」
「うーん……そりゃあ、まあ女の子にモテたいってのは、男ならみんな思ってるんじゃねーのかな。でも俺は1人の女の子にモテればそれでいいかなぁ」
「えーっ、意外ーっ、川島くんってそんな一途なタイプの人だったんだ」
渡辺は目を丸くして驚いた。渡辺の反応を見て良樹は、自分自身が周りからどう見られているのか少し不安になった。
「でも、私はそういう人の方が好きだよ」
好きだよ。そのたった一言にドキリとする。
自分のことを好きだと言ったわけでもないのに、その一言だけで妙に彼女のことを今まで以上に意識してしまう。
「うん、私はそういう人の方が好きだな。それに川島くんってさ、いつも槙原さんのことをすっごく大事そうに見てるじゃない? 口では色々言うけど。そういう優しいところ、いいなってずっと思ってたんだよね」
(えっ? ずっと思ってた?)
気のせいか、良樹はなんだか顔が熱い気がした。
(なんだこれ……なんなんだ、これ)
「やっぱりね、女の子は好きな人には自分だけを見ていて欲しいものなの。自分にだけ優しくして欲しいって。多分女の子はみんなそうなんじゃないかなって思うけど」
「そりゃ男だって同じだよ」
好きな人には自分だけを見ていて欲しい。それはきっと男女関係のない感情だと良樹は言った。問題はそれを口に出せるか出せないかなんだろうと。
ところがなぜかそれから渡辺は黙ってしまった。
何かを考えているのか、それとも別の理由からなのか……良樹も急に話しづらくなってしまい、2人はしばらくの間、何も言わず黙ってしまった。
「ねえ。川島くんって、槙原さんのことが好きなの?」
「はあっ?」
ようやく口を開いたかと思ったら、渡辺は突然とんでもないことを言い出した。
「な、何言ってんだよ。俺と志保はそんなんじゃないって、何度も言ってんじゃん。ホントにそんなんじゃねえから」
良樹は慌てて否定した。そこを彼にとって本当に誤解されては困るところだ。
「そうなんだ。じゃあ、他に好きなコがいるとか?」
「いないって。好きなコなんていないから」
「そっか」
渡辺はそう言うと、なぜか嬉しそうな顔をした。
そして次に彼女の口からこぼれた言葉は、彼にとって思いもかけないものだった。
「じゃあ、さ……私が川島くんのカノジョに立候補してもいいかな?」
「えっ?」
驚いた良樹は思わず渡辺の顔を見つめた。
彼女のそのまっすぐな瞳に、良樹の心臓がドクンと跳ねる。
(カノジョに立候補って、いまそう言ったのか? そう言ったよな?)
この目の前の強くて脆い女の子を独り占めにできるのなら、素直に嬉しい。
良樹はそう思ったが、同時に彼の脳裏を焼くように、ある光景が蘇る。
――高校も、その先も、ずっと私を隣にいさせて欲しいの!
球技大会の帰り道。夕日の中で、泣き出しそうにそう訴えた志保の顔だ。
あの時、茶化すことすらできなかったその真剣さ。
彼女がどんな想いでそれを口にしたのか、良樹にはわからない。わからないが……。
(いいのか? 俺はここで渡辺の手を取ってしまって、ホントにいいのか?)
(それは、もしかして志保を裏切ることにならないか?)
(どうしよう。俺はどうすればいい? なんて答えればいいんだ?)
答えに詰まる良樹を、渡辺は不安そうにジッと見つめている。
「好きなコがいないなら……いいよね? どうかな?」
それでも良樹は、何も答えられずにいた。
「……ダメ?」
しびれを切らしたのか、渡辺は少し上目遣いでさらにそう尋ねた。
彼女の声が震えている。
良樹は、あらためて渡辺を見た。
彼の目の前にいるのは、噂に傷つき、さきほどのような悪意に囲まれ、それでもたった一人で立ってる。そんな女の子だ。
(俺、なのか……)
誰かがこの女の子を、さっきみたいな悪意から守ってあげなきゃいけない。そしてそれは、もしかしたら俺の役目なのかもしれない。
その時、良樹の頭に「女の子には絶対に恥をかかすな」という、むかし父から言われた言葉が浮かんだ。
(いや、違う。恥をかかせないためじゃない。俺だ。俺がコイツを守りたいんだ)
ようやく覚悟が決まった。
「……いや」
良樹は一度息を吸って、目の前の不安に震える瞳を、真っ直ぐに見つめ返した。
「……ダメじゃないよ。俺でいいなら。ゴメン、なんか突然だったからビックリしちゃって。ウン。全然ダメじゃない」
良樹のその言葉を聞いて、渡辺の瞳からポロリと、一粒の雫がこぼれ落ちた。
「……なーんだ。……良かった……」
「ゴメン。あんまりビックリしちゃったもんで、言葉が浮かんでこなくて」
「私の方こそゴメンね。泣くつもりなかったんだけど、もし断られたらどうしようってドキドキしてたからさ。ウンって言ってもらったら安心して、なんか涙出ちゃった」
そう言って彼女は、今まで見たことがないくらい安心しきった、まるで小さな子供のように無邪気な笑顔をみせた。
別れ際、手を振りながら帰っていく渡辺の姿を、良樹は見えなくなるまで目で追い続けた。
「……やべえ。カノジョが、できちまった……」
頭が、ボーッとする。
体が、フワフワする。
このどうしようもない高揚感はなんだ。
そのど真ん中でふいに、胸の奥がチクリと痛んだ。
けれど人生で初めてのカノジョができたというあまりにも甘い高揚感が、その小さな痛みをすぐにフワフワと覆い隠してしまった。
その後のことを、良樹は正直よく覚えていない。気がついた時は商店街を歩いていて、目の前には志保と市原が立っていた。




