秘めた想い
その日、志保は美咲の家で勉強会をしていた。テストが近いから一緒に勉強しよう、と美咲に誘われたからだ。
美咲の部屋でテーブルに相対する形で座り、参考書を開き問題集を解き、時折お互いに教え合う志保と美咲。
一見するとそれは、いつもの平和な光景でしかない。
しかし、志保は明らかに上の空で、ペンを持つ手も時折止まってしまう。
心ここにあらずなのは、誰の目にも明らかだった。
(このコは、もうホントに……)
美咲は気づいた。そして言った。
「……そういえばさ、この前、渡辺さんとちょっと話しちゃった」
その一言に、志保の肩がピクリと震える。
「……え?」
「いや、別に深い意味はないんだけど、ちょっと川島とのこと、聞いてみようかなー、なんて思ってさ」
美咲の言葉に、志保は力なく諦めたように笑う。
「……もういいの、美咲ちゃん。よしくんが渡辺さんのことを好きなのは、見ていればわかるし……だったら私が邪魔しちゃ、ダメだよ」
このコは、どうしてこんなに自分を卑下するんだろう、と美咲は思う。
知り合った頃からずっとそうだ。周りの目を気にして、自分を抑え込んでしまう。
志保の境遇は、もうずいぶん前に本人から聞いていた。
あまり話したくないだろうに、それを自分に話してくれたことが美咲は嬉しかった。それは、自分を信頼してくれている証だろうから。
けれど美咲は言いたい。もっと自分に自信を持て、と。
「もういいって……志保、アンタそれ、本心から言ってる?」
「……えっ?」
「本心なわけないよね。志保がどんだけ川島のことを好きなのか、アタシはわかってるつもりだよ?」
「美咲ちゃん……」
「志保。このまま見てるだけで、本当にいいの? このまま、川島の隣りが渡辺さんの『特等席』になっちゃっても、志保は平気なフリして笑っていられるの? 川島の隣りは志保だけの場所だったんじゃないの?」
「……だって、私に、何ができるって言うの?」
「できる、できないの話じゃないのよ。アタシが言ってるのは、志保がどうしたいかの話」
美咲はさらに言葉を続ける。
「もしかして志保さ、川島が自分のことを好きかどうかわからなくて、心配だったりするの?」
志保は少し考えた後、コクンと頷いた。
「そんなの考え過ぎだよぉ。川島も絶対志保のこと好きだって。間違いないって」
美咲は自信ありげにそう言った。
「なんでそう思うの?」
「だってさ、川島ってお父さんに命令されたからとか口では色々言ってるけどさ、でもそれでもいつも一緒にいるわけじゃん。だからそんなの絶対言い訳だって。毎日一緒に学校来て一緒に帰って、そんなの好きな人とじゃなきゃ絶対断るって。志保だってホントはそうだって思ってるんじゃないの?」
それはそうなのだが、実は志保の心配はそれだけではない。彼女の悩みは、それほど簡単で単純なものではない。
「でも……よしくんが同じように私のことを好きかって考えたら自信が無いの」
「えーっ? じゃあその自信が持てるまで待つわけぇ?」
「……でも気持ちを伝えてギクシャクしちゃって、今までと変わっちゃうぐらいなら、今はこのままでいいかなぁって。そりゃあ私だってホントは、よしくんから好きだって言われたいけど……」
「だったら、待っていないで自分から言っちゃいなよ!」
「……できないよ」
「なんで? 川島のこと大好きなくせに、なんで言えないの?」
「だって……怖いんだもん……」
志保は、これまで抑えていた感情が少しだけ溢れ出した。
「だって、もし私が好きだって言って、よしくんがそうじゃなかったら? きっともう今までみたいに隣りで笑い合うことなんて、できなくなっちゃう」
「それは……そうかもだけど」
「ゼロになっちゃうかもしれないんだよ? 今のこの関係が、全部なくなっちゃうくらいだったら、このままの方がずっといいもん」
志保はフラれるのも怖いが、良樹のそばにすらいられなくなることが何よりも怖かった。
「もし私が告白して、フラれちゃったら……きっともう、今までみたいにはいられないよ」
「……まあ、そりゃ、そうかもしれないけどさぁ」
「それだけじゃないの……もしそうなったら、家の中の空気が、おかしくなっちゃう。薫子さんや樹さんやみんなに迷惑かけちゃう……私のせいで、あの温かい場所を壊しちゃうかもしれない……それだけは、絶対にイヤなの。血の繋がってない私を心から愛してくれる人たちを、あの場所を、絶対に失いたくないの……」
美咲は思わず息を呑んだ。
「……志保、アンタまさか、ずっとそんなことまで考えてたの……?」
美咲も、川島家の人たちとは志保を介して何度も会っている。
(たしかに、みんなステキな人たちだもんね)
志保が大切な人たちだと思っていることは知っているし、失いたくない場所だと思っていることも知っている。
だが、自分の行動でみんなに迷惑をかけてしまうと、そのことをそこまで恐れているとは知らなかった。
「バカだなぁ志保は……そんなこと川島の家の誰も、望んでないに決まってるじゃん」
「美咲ちゃん……」
「でも、志保の気持ちは分かったよ。そんな重い十字架を、ずっと一人で背負ってたんだね」
美咲は、テーブル越しにそっと志保の手に自分の手を重ねた。
「でもさ、志保。アタシはアンタに笑っていてほしいの。川島家の皆も絶対そうだって。アンタが自分の気持ちに嘘ついて、作り笑顔でいることなんて、きっと誰も望んでないよ」
「……」
「もし……もしもだよ? アンタが告白して、最悪ゼロになっちゃったとしても……アンタは絶対一人じゃないから。だってアタシがいるじゃん。アタシがゼロには絶対させないから。だからね、自分のホントの気持ちをちゃんと伝えておかないと、後で後悔するんじゃないかって思ってさ」
美咲のその言葉は、志保の胸の奥に深々と突き刺さった。
(そうかな? 後悔しちゃうかな? やっぱり勇気を出して伝えた方がいいのかな?)
でもでも、もしよしくんが私を好きじゃなかったらどうすればいいの? 志保の頭の中は、やはり今までと同じように考えが堂々巡りを繰り返すだけだった。




