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親友の問いかけ

 楽しいはずの修学旅行。しかし良樹にとっては悪夢のような三日間だった。

 この三日間で何もかもが変わってしまった気がする。だが、どうしたらいいのか見当もつかなかった。

 

 帰りの新幹線。さすがに疲れたのか、生徒たちは誰もかれもが眠りについている。そんな中で良樹は一人、窓の外を眺めていた。彼の隣の席は空いている。

 そこに市原が静かにやってきて、腰を下ろした。良樹は窓の外から視線を動かそうとしない。

 

「……川島」

「……市原か。なんだよ」

 

 その拗ねた子供のような声を聞いて、市原は心の中で小さくため息をついた。 ああ、コイツは未だに何もわかっていないんだな、と。

 

 隣りに座りはしたものの、市原はそれ以上何も話しかけない。良樹も窓の外を眺めたまま何も言わない。ふたりの間にできた溝は全く埋まってはいない。

 それでも、先に話しかけたのは市原の方だった。

 

「ねえ川島……ひとつだけ、聞かせてくれないかな」

 

 市原の声は凪のように静かだった。まるで全ての感情を、その凪の水面の下に沈めてしまったかのように穏やかだった。

 しかし、その声には有無を言わせぬ重みがある。

 

「オマエは、本当に何も見えてないの?」

「……はぁ? なんの話だよ」

「江藤さんが、なんであれほど怒っていたのか。藤原くんが、なんであんな顔をしていたのか。渡辺さんが、なんであんな風に笑わなきゃいけなかったのか。そして槇原さんが、なんでオマエの前からいなくなりそうなのか」

「……っ!」

 

 良樹は息を飲んだ。市原の口から、志保の名前が最後に出てきた。それが、全てを物語っていた。

 

「川島、まだわからないフリをするつもり?」

「……っ」

 

 それは非難ではない。ただ、どうしようもなく悲しい響きを持った問いかけだった。

 

「……わかんねえよ。もう、なにがなんだかわかんねえんだよ……」

 

 それは、良樹の本音だった。だが半分は本当で、半分は考えることから逃げるための言い訳でもある。

 

「……そうか」

 

 市原は、本当に、心の底から悲しそうに、そう呟いた。

 そして、深く、深く息を吐いた。まるで自分の中に溜まっていた何かを全て吐き出すように。

 

「……親友としてのお節介だ。よく考えなよ。川島が本当に守らなきゃいけないのは誰なのか。そして、オマエが本当に謝らなきゃいけないのは誰に対してなのか」

 

 市原は、それだけを言うと立ち上がった。

 

「……じゃあな、川島」

 

 その「じゃあな」という言葉が、なぜか永遠の別れの挨拶のように、良樹の耳に響いた。


「ちょっ、待てよ、市原!」

 

 良樹は思わず市原の腕を掴んでいた。

 

「なんだい?」

「わかんないんだよ」

「わかんないって、何が?」

「だから、もう、どうしたらいいか、わかんないんだよ……」

「そっか」

「そっか、じゃねーよ」

 

 良樹の声は震えていた。

 

「なあ、市原。俺、怖いんだよ。オマエも、江藤も、志保も……みんな、俺の前からいなくなっちまうみたいで……怖いんだよ」

 

 それはまるで、助けを求める迷子の子供のような声だった。

「なあ、親友だろ? 助けてくれよ。俺、もう何がなんだかわかんねーんだよ。俺はどうすりゃいいんだよ……」

 

 良樹の瞳は、言い訳と助けを求める色に揺れているように見えた。そこに罪悪感の色はまだ、ない。その事実が市原の胸に刺さった。

 

 市原はもう一度深く息を吐くと、まるで今まで背負ってきた川島良樹の親友という重荷を今この場で下ろすかのように答えた。

 

「ゴメン、川島。それは僕には答えようがないよ」

「なんでだよ。助けてくれよ。親友だろ? 頼むよ」

「違うんだよ、川島。僕が教えたら何の意味も無いんだよ。その答えは川島自身で見つけないとダメなんだ」

 

 市原は「もう僕の役目は終わりなんだよ」と言うと、良樹の手を静かに、しかし有無を言わせぬ力で振り払った。

 

「……あとは川島、オマエが一人で考えて、一人で決めろよ」

 

 それは親友が残していった、あまりにも冷たく、そして、あまりにも優しい最後のエールだった。

 良樹はその答えを、これからたった一人で見つけ出さなければならない。

 市原が去った後の空席が、やけに広く、冷たく感じられた。

 新幹線は、東京へと、滑るように走り続ける。

 


 行きの車内とは全く違い、帰りの車内は驚くほど静かだった。

 良樹が周りを見渡すと、楽しかった修学旅行の疲れが出ているのだろう、ほとんどの生徒が未だに夢の中だった。

 その平和な光景が、彼が今いる地獄とのコントラストをいっそう際立たせている。

 

 良樹はトイレに行こうと席を立ち、渡辺の席の近くを通りかかった。

 彼女は友人の肩に寄りかかって、静かに眠っている。しかしその目元には泣いた後のような、微かな腫れが見えた気がした。

 

 志保はというと、美咲の隣で身を縮こまらせるようにして眠っていた。

 その寝顔はひどく苦しそうで、時折眉間に深いシワが寄る。その寝顔は良樹には痛々しさすら感じさせた。

 

(なんか悪い夢でも見てんのか?)

 

 彼女が見ているのが悪夢だとしたら、その原因は自分ではないのだろうか。

 

(俺が悪いのだとしたら、そうなのかもしれないな……)

 

 それでも彼にはわからない。

 

(俺はただ、一人の女の子を好きになっただけじゃねえか)

 

 ただそれだけのことなのに、どうして今みたいな状況を招いてしまったのか。自分の何が悪かったのか。何が間違っていたのか。

 

(女の子を好きになってこうなるのなら、好きになんてならない方がよかったじゃねえかよ)

 

 だがそれは渡辺との時間を否定することになる。良樹はすぐにその考えを自ら否定した。

 

(俺と渡辺が付き合うこと自体は良いも悪いもないハズだ。俺が悪かったのなら、間違えたとしたならそれから先のことだよな……)

 

 良樹は胸を締め付けられた。

 

(志保は何も言わないけど……)

 

 だが明らかに昔に戻ったかのような表情をするようになった。

 江藤も市原も自分に否定的な態度をとる。藤原もだ。

 だとしたら、やはり自分はどこかで何かを間違ってしまったのだろう。なら、このままじゃいけない。それぐらいはわかる。

 

 志保の寝顔を見ていたら、通路の向こう側で藤原が静かに本を読んでいるのに気づいた。

 藤原は眠っていなかった。だが良樹のことなど気にも留めず、ただ静かにページをめくっている。

 

(アイツはもう、俺をライバルとしてすら見ていないのかもしれないな……)

 

 その圧倒的な態度の差に、良樹は再び敗北感を覚えた。

 


 自分の席に戻った良樹は、膝の上で固く拳を握りしめた。

 市原の言葉と彼女たちの寝顔が、彼の心にひとつの決意を固めさせた。膝の上の拳に、爪が食い込むほど力が入る。

 

(もう、このままじゃいけないんだ)

 

 言い訳も、誰かのせいにするのも、もうナシだ。

 

(間違っていたのは、きっと俺なんだ……)

 

 渡辺の気持ちも、志保の痛みも、親友たちの忠告も、何ひとつまともに取り合おうとしなかった。そんな自分の傲慢さが全てを壊したのかもしれない。

 

(東京に帰ったら、まず渡辺に全て正直に話そう)

 

 なぜかわからないがずっと志保のことばかり考えていたこと。そのせいで渡辺を深く傷つけたこと。

 

(自分でもわからないことだらけだけど、それでも嘘や誤魔化しはナシで、正直に全て伝えよう)

 

 その上で渡辺が下すどんな判断も、自分は受け入れる。

 

(それが、俺が最初に果たさなきゃいけない、最低限の誠意な気がする)

 

 そして、志保だ。

 

(志保とは……今は、まだ話せないかもしれないな……)

 

 それでも彼は知らなければいけない。

 志保が、なぜあんなに苦しそうな顔で眠るのか。自分がどれだけ彼女を傷つけてきたのか。自分の知らないところで、彼女が一人で何を抱えてきたのか。

 

(それをちゃんと理解できなきゃ、俺はアイツに『守ってやる』なんて恥ずかしくて言えねえよ)

 

 自分は志保のことをわかってるようで、実は何もわかっていなかったのかもしれない。良樹は初めてそう思ったのだった。

 

 彼女の隣りにもう一度胸を張って立つ資格を得るために。志保という家族からの信頼を、もう一度取り戻すために、自分は変わらなきゃいけない。

 

 新幹線は、もうすぐ東京駅に着く。

 良樹は、固く目を閉じた。それは悪夢の終わり。そして、本当の戦いの始まりだった。

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