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暴発

 修学旅行の二日目午前中。良樹たちの目的地は法隆寺だった。

 バスに乗り込んでも良樹は誰とも話さず、志保が美咲や藤原と話しているのを尻目に、一人で窓の外を睨みつけていた。

 

 法隆寺の境内は静かで落ち着いた空気が流れていた。それが今の良樹には余計に息苦しい。

 

「この五重塔は、日本に現存する最古の木造建築なんだ。すごいよね。千年以上も前に、こんなものが作られていたなんて」

 

 藤原は、しおりを片手に穏やかな声で志保に話しかけている。

 志保は少しだけ興味深そうな顔で藤原の説明に耳を傾けていた。

 

「へえ……そうなんだ。たしか釘とかは使ってないんだよね?」

「うん。その後の修理とかで使ってはいるらしいけど、もともとは組み木だけで、これだけの建物を支えているんだって。昔の人の知恵と技術ってホントにスゴイよね」

 

 二人の間で、穏やかな会話が紡がれていく。自分の知らない世界。自分の入り込めない空気。朝食の時と同じ光景が、また良樹の目の前で繰り広げられている。

 カチン、と頭の中で何かがキレる音がした。

 

(なんでだよ。なんでお前は、俺じゃない奴とそんな風に話すんだよ)

 

 良樹の焦りは、徐々に苛立ちへと変わっていく。



 法隆寺を見終わった良樹たちは、参道に立ち並ぶ土産物屋へと足を運んだ。

 法隆寺は定番の観光地だけに人が多い。当然彼ら以外の班もたくさん見に来ているし、他の学校の修学旅行生たちもいるし、もちろん一般の観光客も大勢いる。

 

 色とりどりのキーホルダー、木刀、そして仏像のミニチュア。修学旅行の熱気に浮かされた生徒たちの、楽しげな声が店内に響き渡っている。

 

「あ、川島くんだ。ヤッホー」

 

 そこには楽し気な表情の渡辺がいた。

 

「川島くんもお土産選びに来たの?」

「あ、うん。他のみんなが見たいって言うし……」

「ねぇねぇ、せっかくだからさ、何かお揃いのもの買わない? お守りとかキーホルダーとか、何でもいいんだけど」

「ああ、いいな。どれにしようか」

「そうだなぁ、男の子が持ってても恥ずかしくないのにしなきゃだし……」

 

 おかしい、と良樹は思った。

 

(あんなに楽しかった渡辺との会話が、今は全然頭に入ってこない……)

 

 昨日からもう、良樹は頭がグチャグチャだった。

 


 結局良樹と渡辺は、お揃いで色違いのキーホルダーを買った。

 渡辺は楽しそうに「どっちの色がいいかな?」なんて聞いてくれていた。

 でも良樹の耳には、その声は半分も届いていなかった。

 彼の意識は全部、店の奥で笑い合っている、あの三人の方へ釘付けになっていたからだ。


 「あ、これ可愛い! 鹿の角が生えてる」

「本当だ。でも、こっちの大仏様の螺髪をモチーフにしたやつも、面白いよね」

「なにそれ、ただのブツブツじゃん!  藤原、センスなーい!」


 穏やかな藤原の声と、快活な美咲の声。そしてその間で、くすくすと楽しそうに喉を鳴らす志保の笑い声。

 そこは、完璧なまでに調和の取れた世界だった。温かく穏やかで、そして自分の入り込む隙間が一ミリもない、完璧な三角形だ。

 その光景が良樹の心臓を、これまで感じたことのない激しい焦燥感で鷲掴みにした。

 

(……なんで俺は、あそこにいないんだろう)

 

 気がつけば渡辺が「じゃあ、こっちにするね」と、キーホルダーを手に取っていた。

 彼女がどんな顔をしていたかなんて、良樹は全く見ていなかった。

 

「じゃあ、また後でね。今日こそは遊びに来てくれるでしょ?」

「もちろん行くよ。昨日はゴメンな。今日は絶対行くから、待っててくれよな」

 

 そう答えはしたものの、昨日と違って全然気持ちが弾まない。それが彼のイライラになおのこと拍車をかけた。

 渡辺は自分の班の者たちと一緒に移動して行った。志保たちは、まだ土産を選んでいる。


 


 「どうしたの、川島。一人でボーッとして」

 

 皆の買い物が終わるのを外で待っていた良樹に、そう声をかけてきたのは市原だった。

 

「別にボーッとしてたわけじゃねえよ。みんなまだ土産見てるから、待ってるだけだし」

 

 良樹はそれだけ答えた。その答えを聞いて市原は「何かあったの?」と尋ねた。

 

「どーゆー意味だよ」

「どーゆー意味って、なんかイライラしてるように見えるから、また川島がなんかやらかしたのかなって思ってさ」

 

 こんな軽口、今までの彼らならなんてことないハズだ。なのに良樹はひどく腹を立てた。

 

「…………うるせえよ」

 

 じゃれあうような「うるせえ」じゃない。良樹は自分でもわかった。俺は怒ってるんだ、と。それが口調にモロ出てしまっていた。



 

 良樹と市原の間に不穏な空気が流れだした同じ時、志保はまだ土産物店にいた。


「あ、これ可愛い。瑞樹ちゃんに似合いそう。でもこっちもいいなぁ」


 志保は川島家の皆へのお土産を選んでいたのだ。


「樹さんと薫子さんには何がいいかなぁ。竜樹さんはどんなのを喜ぶんだろう。あ、でもここじゃなくて他のお店にもっといいのがあるかも……」

「どしたの、志保?」

「うん。川島家のみんなに、何を買っていこうかなって」

「アンタ、ホントにあの人たちのこと大好きだよね。四六時中考えてるんじゃない?」

「そんなことないけど……でも、大切な人たちだから……」

「いいよ、言わなくても。まあアタシが言いたいのはさ、志保が楽しそうにしてるとアタシも楽しくなるってこと!」

「美咲ちゃん……ありがとう」

 


 

「何も知らないくせに、オマエに何がわかるんだよ!」

 

 良樹はついつい怒りをぶつけてしまった。市原なら冗談めかして言い返してくれると、心のどこかで思っていたのかもしれない。

 

「わかるよ。親友だからね。でも、じゃあ親友だからこそ言わせてもらうよ」

「何をだよ」

「ねえ川島、オマエ、なにやってんの?」

「あぁ!?  何がだよ!」

「何が、じゃないよ。自分でわかんないの?」

 

 市原は厳しい眼差しで良樹を見据えている。

 

「僕はオマエと別れる時の渡辺さんを、今そこで見てたよ。オマエのやってることが、周りのみんなを傷つけてるってことがわかんないの?」

「うるせえな!  オマエに何がわかるんだよ!」

「わかるさ。みんなわかってる。みんなわかってるのに、オマエだけがわかってないんだよ。川島が本当に見なきゃいけない相手は誰なの?」

「知らねえよ、そんなもん!」



 

「志保、決まった?」

「うーん、あとひとつ、どうしようかなぁ……」


 他のみんなの分は決めた。後は……。


(よしくんの分はどうしようかなぁ)


 志保は悩んだ。自分からプレゼントを贈られて、良樹はどう思うだろうか? カノジョ以外の女の子から貰って、どう思うだろうか?


(でもみんなに買って、よしくんにだけ買わないのもヘンかなぁ)


 志保は悩みに悩んだ末、良樹の為にキーホルダーを買った。が、それはくしくも渡辺が選んだモノと全く同じだった。


(よしくん、ビックリするかな。喜んでくれるかな)



 

「川島! オマエはカノジョを不安にさせて、槇原さんを悲しませて、それで一体何がしたいんだよ!」

「うるせえ! 黙れよ!」

「いいや、黙らないね。川島、今のオマエはどうかしてるよ。二人の女の子を傷つけてさ、そんなの黙って見ていられるわけないだろ!」

「余計なお世話だっての! オマエには関係ねえのに、口挟んでくんじゃねえよ!」

「ふざけんな! 親友なんだから、関係ないわけないだろ!」

「それが、余計なお世話だって言ってんだよ!」



 

「ねえ、志保。なんか外が騒がしくない?」


 美咲が買い物を済ませた志保にそう言った直後、藤原が珍しく慌てた様子で「槇原さん、大変だ!」と二人に駆け寄って告げた。


「外で川島くんが!」


 スッと血の気の引くのが分かった。



 

 「オマエが槙原さんのことでムキになってるってのは見てればわかるよ。藤原に取られたみたいで気分悪いんだよな。そうだろ? 臆病者!」

「なんだと……ッ! この野郎!」

「なんだよ。図星を突かれて腹が立つのか、川島。子供かよ!」

「テメエ、ふざけんな!」

 

 良樹は、怒りに任せて思わず市原の胸ぐらを掴んで睨みつけた。

 市原は胸ぐらを掴まれたまま冷静に、しかし心の奥底に怒りを宿した目で睨み返す。

 

 良樹の世界から音が消える。

 目の前の親友の冷たい瞳。遠巻きに見ている野次馬たちの顔。店から慌てて飛び出してきた志保たちの姿。その全てが、まるでモノクロフィルムのように色を失い、スローモーションのように流れていった。

 聞こえてくるのは、頭の中に直接響いてくる、声、声、声。

 

「……臆病者」

「……なんで、私じゃないの?」

「……君が、彼女を泣かせたんだ」


「よしくん! 何してるの!」


 良樹を現実世界に引き戻したその声は、志保の叫び声だった。


「よしくん! やめて! 手を離して!」


 二人の間に志保が割って入った。

 志保は市原の胸倉を掴む良樹の腕に、すがりつくようにしがみつく。


「どうしたの? なにがあったの?」

「うるせえ! オマエには関係ねえ!」

「関係なくないよ! 二人とも私の大切な人だもん! ケンカなんかしないで!」

「うるせえ! うるせえ! うるせえ!」

「よしくん! どうしちゃったの!? 落ち着いてよ、よしくん!」

「うるせえんだよ! 黙ってろ!」


 良樹は怒りに任せて、自分の腕にしがみついている志保を力強く振りほどいてしまった。


「あっ!」


 その勢いでよろめいた志保は、そのまま地面に倒れこむように転んだ。

 その拍子に手にしていた袋から、川島家の皆の為に買ったお土産が、バッっと地面に散らばる。


「志保! 大丈夫!?」


 美咲が慌ててそう尋ねるが、志保の目は地面に散らばったお土産を見つめていた。


「……」


 あの人たちに、良樹に買ったお土産が、地面にバラバラに散らばっている。

 それは、彼女が何よりも大切にしていたものがバラバラになっているに等しい。そう見えた。


「……」


 志保の頬に一筋の涙が流れる。

 それを見た美咲の怒りは、いかばかりか。


「川島ぁ! アンタ、何してんのよ!」


 怒髪天を突くを絵にかいたような美咲に対して、もはや冷静さなど皆無の良樹は、怒り狂うという表現がピッタリの状態だった。


「川島! アンタ、志保を泣かせたね? アンタは志保を泣かせたんだよ! わかってんの!」


 美咲のその怒声で、まるで呪縛が解けたかのように良樹はハッと我に返った。

 目の前で涙を流す志保の、声にならない声が聞こえた。

 

 ――痛いよ、よしくん……。

 

 市原の胸ぐらを掴んでいた自分の手が、急にひどく熱く感じる。

 彼は、まるでそれを振り払うように、乱暴に手を離した。

 

「……ちっくしょうが!」

 

 悪態をつき、誰の顔も見ず、良樹は全ての声から逃げるようにその場から離れようとした。

 市原の冷めた視線も、藤原の痛ましげな視線も、美咲の憐れんだような視線も、もう全部どうでもよかった。

 

 そんな良樹の眼に、1人の女の子が写った。

 

(えっ!? なんでここに?)

 

 渡辺だった。同じ班のメンバーと移動したはずの渡辺が、なぜかまだそこにいたのだ。

 

(全部、見られたのか?)

 

 それは彼女の様子を見れば一目でわかった。

 

「……ごめん。お邪魔だったみたいだね」

 

 渡辺は、確かにそう言った。


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